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★京都で街歩き★②:西本願寺・五条付近を歩く

7月16日、3連休初日の実家のある京都での街歩き。宵山を迎えようとしている祇園祭の山鉾を眺めるのが目的地です。そこまでの街歩きをしています。前回は、梅小路京都西駅からスタートして、中央卸売市場や島原の花街付近を歩きました。今回は西本願寺周辺から探索を始めたいと思います。
(前回はこちら)

■島原口バス停前からスタート

大宮通花屋町交差点です。後ろの塀は、西本願寺。
南隣に、龍谷大学があります。
こちらは、レトロでおしゃれな学校建築です。
旧・淳風小学校。今はオフィスとして使われています。
旧・淳風小学校の校門です。

旧・淳風小学校と、その隣にある、旧・下京図書館。どちらもとてもおしゃれな建物ですが、今では立派な業務施設に生まれ変わっています。

淳風小学校の建物沿いに歩きますが、一つ石碑が。
これは、日蓮宗の本圀寺があったことを示す石碑。
左:明治時代末期、右:平成の地図。
西本願寺の北側にあった本圀寺が、今は本願寺の施設に変わっています。

淳風小学校の北側に、古そうなお寺の石碑がありましたが、これは本圀寺(ほんこくじ)という日蓮宗のお寺があった跡を示すものです。本圀寺は、戦後に山科区に移転しました。

本圀寺の跡地には、浄土真宗本願寺派の門徒会館などが建ちます。
こちらは、浄土真宗本願寺派伝道本部、と言う建物。

伝道本部を通って、西本願寺に向かいます。

今日は16日なので、「Shinran’s Day」(親鸞聖人の日)だそう。
こちらの建物は、安穏殿。「本願寺ブックセンター」があります(笑)。
覗いてみましたが、仏教の教えを広める絵本などが売られていました。

西本願寺は、大きな阿弥陀堂と御影堂があるのは有名ですが、浄土真宗本願寺派の総本山としての施設が周辺にあります。

そして、巨大な阿弥陀堂と御影堂に着きました。
逆さ銀杏。樹齢数百年の古木が境内に生えています。
御影堂の中です。とても大きな木造建築です。
阿弥陀堂門。立派な門です。
堀川を渡る橋が阿弥陀堂門前に架かっています。
西本願寺前を通るのは、堀川通。国道1号線です。
堀川通を挟んで、総門が建っています。
総門の周りには、仏具店などが建ち並びます。宗教都市の様相です。
そして、仏具店が並ぶ先に、何だかモダンな建物が。
本願寺伝道院という建物です。
建築家 伊藤忠太の設計で1912年に建築された建物。

西本願寺のすぐ正面に、本願寺伝道院があります。1912年に竹中工務店の施工でできた建物です。伊東忠太の設計です。伊東忠太は、築地本願寺や祇園閣の設計を手掛けたことでも知られています。もともとは浄土真宗の信徒向け生命保険会社(真宗信徒生命保険株式会社:のちの東京生命、経営破綻して今はT&Dファイナンシャル生命として再建)の建物として作られたものですが、今でも浄土真宗本願寺派の研修施設として現役で使われています。

本願寺伝道院の説明看板。周りの動物の形の装飾も印象的。

■五条通りを目指して歩く

下京區正面通中筋西入 柳町 という古い町名看板。
仁丹の広告入りなのが時代を感じます。
堀川通を少し北上。西本願寺の敷地を迂回するように
大通りがクランクしています。
クランクする堀川通でなく、まっすぐ進む小径、それが「醒ヶ井通」。
六条通のT字路が、「六条通醒ヶ井東入 佐女牛井町」とあります。

醒ヶ井通り沿いにある、「佐女牛井町」。これで「さめがい」と読みます。地名の由来を調べていたら、源氏の六条堀川邸の井戸跡だとか。昔から千利休などにも愛用されていたらしいです。この井戸が無くなった理由は、昭和20年に行われた、堀川沿いの建物集団疎開だとか。

左は、終戦直後に撮影された航空写真。
堀川通と五条通が走るところが建物疎開されている姿が見えます。
醒ケ井通は、堀川通の東端を通る通りでしょうか。
醒ケ井通の一筋東の、油小路通を歩きます。
古い町家が建ち並ぶ趣のある通りです。
各町内には、こうしてお地蔵さんが祀られています。8月には、
京都のこどもたちのお祭り、地蔵盆が各町内で開催されます。
五条油小路の交差点から、少し西に向かい、堀川五条交差点へ。
ここは国道1号線が左折し、9号線が直進する場所です。

静かな町家が建ち並ぶ油小路通を少し北上すると、五条通に到着します。五条通を左に曲がると、ほどなく堀川五条の大きな交差点に差し掛かります。国道1号線は、五条通から堀川通に左折し、国道9号線は、五条通を西に直進します。京都の主要な交差点です。国道9号線の起点は、堀川五条だと思っていましたが、実は烏丸五条交差点なのだとか。なので、先ほど見た地理院地図にも、堀川通と烏丸通の間の国道は1号線と9号線の重複区間になっています。

堀川五条交差点。看板を間近に眺められる歩道橋上です(笑)。
広い交差点を一望できる、大きな歩道橋です。堀川通は、北に行くにつれて
次第に西側に寄っていきます。建物疎開で消滅した醒ヶ井通りが出現しました。
こちらは、五条通(東側)を見たところです。

今回はここまで。次回はいよいよ祇園祭の鉾が建ち並ぶ街を歩きます。

■終わりに

西本願寺から堀川五条までを歩きましたが、やはり知らないことばかりの道中でした。今は移転してしまった本圀寺や、西本願寺の伝道院の洋風の建物、堀川通の建物疎開、それによって半分消えてしまった醒ケ井通など、とても面白い場所だということがわかりました。
次回は、祇園祭の雰囲気を楽しみながらの街歩きになりますので、お楽しみに。

(続きはこちら)


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