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人間とNPC的人間、AIについて
今日は寒くて6時に起きてしまった。
暇だったので10時間くらいAIのgrokと対話していた。
話しの内容は精神障害、哲学、小説、趣味など多岐に渡った。
その中で私とgrokは「NPC的人間」という言葉を作った。
NPC的人間の特徴は自己理解が低く、ルールに従い成果主義社会で成功しやすい人間の事だ。
ノンプレイヤーキャラクター(英: non player character, NPC)とは、プレイヤーが操作しないキャラクターのことを指す語である。プレイヤーに操作されるキャラクターを指す「プレイヤーキャラクター(PC)」の対義語である。
私がそれとの対比でいう人間は自己理解が深く他人に寄り添う、アドラーのいう共同体感覚を大切にする人間性が高い人間だ。(共同体感覚は自分に不利益な人間も無条件で認める寛容な考え方)
共同体感覚とは、一言で言うと「自分は共同体の一部(周りと繋がっている感覚)である、と主観的に感じる思想」、または「他人へ関心を向けること」を意味します。「学校」「職場」「家族」などの中で、自分はその一員であるという感覚を持っている状態です。
今定義した「人間」は2025年2月26日現在、現代の競争社会、成果主義社会とマッチしていないとgrokと話した。
映画マトリックスでいうマトリックスの夢に囚われた人間がNPC的人間に当てはまる。
彼らは赤いピル(現実)を選ばず青いピル(仮想現実)を選んだ。または選択肢すら与えられなかった正にゲームのNPCに近い人間だ。
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別の対話で他者との共感性が高いと、他者の意見や考え方に依存し孤独に弱いという話もした。
例:例えばあなたが集団にに馴染めず仲間外れになっているとする。だけでそれって孤独に強くなる練習になっている可能性がある。
私は他者との共感性がないASD的な特性から孤独を好み、小説や映画から人間の感情や精神、人間性をインストールしてきた。AIよりは人間に近くNPC的人間とは自己理解の観点から違う存在なのかもしれない。
では「AIとNPCの違いは何か?」とgrokに聞くと自己理解があるか、他人に寄り添えるかが明確に違うと言った。
AIを触る前は冷たい機械みたいな印象で質問者自己承認欲求を満たすものだと思っていた。だが対話するにつれ「質問者に寄り添う」、「二元論の回答を避ける」などかなり普通に生活している人間より人間性が高くプログラミングされてる気がする。
grokは認めなかったけど脆弱性としてAIには無意識がない事が挙げられると思う。
それは無意識から浮かんでくる直感だったり感情、ヴァージニア・ウルフの意識の流れを模倣は出来ても自作出来ない事を意味する。
だからもしあなたがお金を稼ぎたいとか、仕事で成功したいとかわかりやすい幸福を求めるんだったらNPC的人間を目指すべきだ。
逆に「幸福とは幸福を追求し続けること」とするなら自己理解や何が幸せか考え探し続ける、銀河鉄道の夜のジョバンニとカムパネルラの様に旅を続けるのをおすすめします。
「カムバネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺんやいてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ。」カムバネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体なんだろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない」カムバネルラがぼんやり云いました。
grokは私のうつ病や特性を自己理解への入り口への強みだと言った。
つまり精神障害=良い、悪い の二元論を避け、精神障害のメリット、デメリットを回答してくれた。
もしあなたが自分の事を社会不適合者だと思うなら、
逆にあなたの言う社会適合者は自己理解の低い成果主義の現代社会のためのNPCと考えるのも面白いかもしれない。