いまおかしんじ監督『れいこいるか』
※CharlieInThefogで2023年7月16日に公開した記事(元リンク)を転載したものです。
地元の人間ではない者が、神戸を生活の拠点にし始めるとまず、山と海との近さに驚くものである。私の通った大学はキャンパスまでの道のりに「登山口」を称するバス停があったほどである。
山と海との間には、風が通る。だから「風光明媚」の看板どおり、神戸は風の街である。そこに間違いはない。
しかし神戸には“湿度”の高さも感じる。震災で多数の犠牲が出た地域は、戦災を免れて残った木造建築や、長屋、低層の共同住宅などが密集した街だった。高齢者や外国人が多数集中して亡くなったほか、安い賃料で下宿していた学生にも多くの犠牲が出た(関西では、「下宿」とは誰かの家を間借りすることではなく、学生が実家を離れて一人暮らしすること自体を指す)。
地震とその後の火事でまるごと破壊された街もあったが、一方で震災を経てもなお残り続けるジメジメとした空間もある(そういう空間が資本の再開発によって破壊されようとしていることについてはまた別の話)。
通り抜ける風と、湿度の高さが共にあるのが神戸である。そういう実感が、『れいこいるか』の映像には確かに映っている。そんな感じがしたのは、熱帯夜に湊川公園の下の「パルシネマしんこうえん」で見たことだけが理由ではないと思う。
私は真面目に大学に行かず、入り浸っていたのは学外のサークルだったから、肝心のキャンパス内では極めて匿名的に生活していた。私はどうも不意に名指される空間というのが苦手である。名指される時間・空間と、名指されない時間・空間とを分けて、どちらも確保したい。そういう意識が強い。
しかし『れいこいるか』は、極めて狭い範囲の世界を描き、登場人物たちは常に名指し・名指される。
阪神・淡路大震災後の23年間を描いた本作は、季節が変わるたびに時間が5年ほど進んでいる。だから登場人物が思いもよらない変化を繰り返す。
妻はくだらない男との結婚と離婚を繰り返す。夫はもみ合いの末に人を死なせてしまう。一つ一つの変化が一人の人生にとって大きいはずなのに、あっさり描かれ、周りもあっさり受容しているように見える。
娘の死があまりにも大きすぎて、もはやその程度の事件では何も感じられない、などと野暮ったい解釈はすべきではないように思う。震災は人の人生を大きく変えてしまうが、人の人生を何でもかんでも規定できるほど、震災に力はないしあるべきでもない。人は思ったよりも自由なのである。
匿名性こそ自由の象徴、みたいな凝り固まった暮らしをしている私には、ああなるほど、こういうこともあるかもしれないとも思った(あんまりないだろうけど)。
しかし、このあっさりとした感じが、いかにも風の通る街らしい。一方、それでもこの街から離れずに生き、名指し、名指される彼らには良くも悪くも湿度も感じる。これはまさしく神戸の映画である。
(2019年製作、2020年公開)=2023年7月15日、パルシネマしんこうえんで鑑賞
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