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44歳の誕生日に母から貰った手紙による気付き
44歳の誕生日を迎えた私は母から誕生日の手紙を貰いました。
特に毎年貰うものではなく、今年は特別に手紙を貰いました。
半年程度前に投稿した「貢献感から始める自己受容 70歳からの母の劇的変化」にも記載しましたが、70歳を過ぎたころから母は時折、手料理を我が家の家族のために作ってくれるようになりました。
それは今でも続いており、ほぼ毎週欠かさず手料理を作ってくれます。最近では100円ショップで調理道具をいろいろ買い揃えたり、YouTubeを見て料理を勉強したりしています。
そんなこともあり、20代後半で実家を出て以来といって良いほど実家に帰る機会が増えました。
母の手紙には私の命が母のお腹の中に宿った時の喜びから、子育て経験、家族で過ごした思い出や私への感謝の言葉が書かれていました。
私も子育てに試行錯誤しているのと同じように、母も子育てに試行錯誤しながら生きてきたのだと思うと勇気づけられました。
人はついつい親や教師、先輩や上司といった自分を導いてくれるであろうと期待してしまう存在に対して、完璧を求めたり、高い理想を求めてしまうこともあると思います。
「親とは〇〇であるべき」、「教師とは△△の存在であるべき」といった具合です。
そして自分の期待通りでないと、相手に失望したり、時には非難したりすることにつながります。
一方で親や教師、先輩、上司もその期待に沿うべく、その役割を振る舞いますが、誰しも思っていた通り、上手くいかないこともあります。
時には間違いを起こしたり、自分の思惑とは別にうまくいかないこともあります。ただ、期待に応えたい気持ちが強い、もしくはその役割に対する自分の思い込みがある故に理想通りにならない現実に失望したり、間違いを素直に認められないこともあります。
人は誰しも生まれたときから共に成長を遂げていく同士だと思うと、もっと気楽に生きることができるのかもしれないと思いました。
母が素直に自分の気持ちを書いてくれたことで、今後の生き方がとても楽になりそうです。改めて母に感謝したいと思いました。
「おかあさん、ありがとう!」