vol.37【労災編】我慢発うつ病行き〜回想録のような備忘録〜「止まったら」「死ぬ」 38
痛みと痺れと不眠に悩まされながらも約5年間に渡る美魔女課長•不機嫌主任によるパワハラとは無縁の毎日を手に入れました(しかも合法的に😅)が、しかし…
非常に不安なんです
【自由に体を動かせない】ことが
怪我は脹脛の一部だけですが【不便が全身に及ぶ】ことが
【他者の手を借りずには生活が成り立たない】ことが
【誰の役にも立っていない】と思うことが
【迷惑をかけている】と思うことが
当時は部下も居ない【平パート】だったので【私にしかわからない業務はない】し【有給休暇3日以上や連休を希望するときは事前に部署員全員に理由を告知しなければならない】という謎の【不機嫌ルール】も気にせずに連続して休めるというのに…
今から考えると【うつ病】に通じる【考え方の癖】は既にでき上がっていました
何せ患部を自分で観ることができないので毎日の進捗が判かりません(包帯に血が広がっていると【出血しているのだなぁ】と判かる程度)
無力感に翻弄されながらも目標を取り敢えず【10日後の抜糸】に定め【毎日の通院】【右脚をできる限り水平に上げて安静】【刺激•圧迫しない】ことに努めました
医師👨⚕️からは【治療とは裂傷に対してであり脹脛を元に戻すことではない】【治療過程で感染や血腫発生の可能性がある】【症状が安定し治療効果が上がらなくなれば労災による治療は終了】【傷痕は大きく残る】【筋肉が大きく抉られた箇所は凹んだままになる】【希望があれば労災の枠外で形成外科•リハビリを】と説明を受けました
医師に【誠意を感じられ】たこと(受傷当日に自分の縫合をスマホ撮影し自画自賛した医師とは別)と【自分が最後まで責任持って診る】と名乗りを上げてくれたこと
不安で気が滅入る中で疑問•質問や薬の調整などに対して面倒がらずに【丁寧に対応】してくれたことが救いでした
【短時間なら】右脚を下ろしても構わないと医師から許可が下り(でも【安静】ですよ)た日から喋らない息子の肩を借りず(残念😢)とも椅子に座ったり室内を移動したりタクシーで通院できるようになってきました
そこで【マグロ体質(=止まったら死ぬ)】発動⬅️安静にできないやーつー
病院で会計を待つ時間に売店をヨチヨチと回遊したり帰りのタクシー🚖に図書館に寄ってもらったり…
もしかして調理もできるのでは?と欲を出し家にある物で夕食を作ったり…
この日を境に息子の買い物がおにぎり•弁当•惣菜類➡️米•野菜•肉•魚などに変わりました
期待させちゃいましたか?安静なのよ?作らざるを得ないではないですか…⬅️自業自得なんですけれどね
何とか毎日のサイクルもできあがり待ちに待った【抜糸予定日】
これさえ突破すれば包帯グルグル🌀🌀からは解放されるしシャワー🚿も浴びられる
前夜に出血🩸していたような気がしないでもないけれどそれはきっと気のせい
いざ診察台にうつ伏せに(随分と上手になりました💮)
アレやらコレやら処置をして(全く見えない)最後に【包帯グルグル🌀🌀】
ちょ•ちょ•ちょっと待ってプレイバックPart 2🎶
医師の説明が耳👂を素通り
解かったのは今日【抜糸ができなかった】ということだけ
先生👨⚕️約束が違うじゃないですか⁉︎
結局は安静にしなかったのはだ〜れ?という一言に尽きます
医療に関しては医師(時として看護師)の言うことをきくのが一番の速道ですね
今更…
vol.38も宜しくお願いします
sabinekoland様
サムネにフォトを使わせていただき
有難うございました