🤱【あなたの為を思って】宿題 751
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小学校の多分中学年だったと思う。
国語の教科書に「橋」についての文章が載っていた。
その日の国語の宿題は、❶橋の種類❷特徴❸具体的な橋の名前、をノートにまとめること。
私が母に連絡帳を見せたのか?
母が私に「今日の宿題は?」と訊いたのだったか……?
当時は子どもが多かった。
子どもがいるご家庭から、母が百科事典を借りてきた。
タブレット端末を配布される現代では考えられないけれど。
「はし」のページを開いた母から、「ここに載っているのをノートに書き出してみなさい」と半ば命令された。
日頃から
「どうして?」
と疑問を口にするだけで
「口ごたえしなさんなっ‼︎」
と母から怒られていた私は、心の中だけで
「どうして?」
と思いながら、いくつかの橋を書き出した。
「宿題が終わった」
と思った私に母は
「全部書きなさい」
と更に命令した。
百科事典の「はし」の項目に記載されている橋の全てを国語のノートに書き出した。
母から「テレビなしデー」を設定されたり、8時に就寝することを強制されていた小学生の私が、初めて夜中の2時頃まで起きていた(起こされていた)。
翌日の国語の時間、殆どのクラスメイトは教科書に載っている橋だけをノートに書いていた。
一旦ノートを集めた先生は
「よくできました」だけではなく「よく調べました」とも赤ペンで書いてくれたけれど、ただそれだけだった。
帰宅した私に待っていたのは、百科事典を返しに行ってお礼を言うこと。
私は百科事典を借りたいとは思わなかったし、借りる必要があるとは思わなかったし、有難いとも思わなかった。
何故だか当時の母は私に、「他者に比して突出する」ことを強く期待していたのだと思う。
この宿題のエピソードは、地味なのにとても鮮明に覚えている。
小学校には紺色のノーカラージャケットとプリーツスカートと帽子の奨励服があった。
制服ではないのに、行事には着用を奨励される(一応強制ではない)。
ボタン付け、プリーツのアイロン、スカートの裾の上げ下げ、体操服のゼッケン付け、学期初めの雑巾持参。
そのどれもが
「自分のことでしょ?」
という母の一言で私の役割りになっていた。
私がやるには、「母が教える」という一手間が必要。
母も面倒だったと思う。
しかも母の教え方は、全くできない子どもに手ほどきするというよりは、「できて当然」という地点からスタートする。
「できない子どもができるようになる」ではなく「できて当たり前なんだから、上手くできるように」。
結果的には、お料理にしろアイロンにしろお裁縫にしろ、5年生になって家庭科で習うよりも先にできるようになっていた。
多分、他のクラスメイトよりも上手くできるようになっていたと思う。
真新しいふかふかのタオルで作った雑巾やジグザグミシンでステッチが入った雑巾をクラスメイトが集めていく。
使い古して薄汚れ硬くなったタオル、歪んだ手縫いの不揃いの目、持参した雑巾を手渡す瞬間の緊張。
今なら「使い古しのタオルの方がよく水分を吸う」「ふわふわのタオルより乾きやすい」と知っているけれど、当時の私は恥ずかしいとしか思えなかった。
どれも生活基礎能力、ないよりはある方が良い。
できないよりはできた方が良い。
ただの甘えだと言えばそれまでだけど
「お母さんが私のためにやってくれた」という温かい想い出は生まれないし、母に対する感謝の気持ちは育たなかった。
5才下の妹は、私の年齢になっても「小さいから」「末っ子だから」「甘えただから」「わがままだから」で免除されていた。
私の僻みだと解っている。
でもねお母さん、いつまで妹のことを「小さいから」「末っ子だから」って庇うの?
きょうだいの生まれた順番は変わらないのよ。
5才の年齢差は死ぬまで縮まることはないのよ。
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#心琴 様⤵️
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