取るに足りないこと一つひとつが、一つの答に向かって
植物や言葉などの小さなトピックを、noteに投稿してきましたが、どうやら私は、自分がいなかった過去に、当時の人々が何を思い、何をみていたかに関心があるようです。
この植物には何故こんな名前がつけられたのか。
食べていたのか。愛でていたのか。珍しかったのか。身近だったのか。
この言葉は、誰がどんなふうに使っていたのか。
森羅万象の中に人は何を見ていたのか‥。
息子に何度も勧められた「図書館の魔女」をようやく読み始めました。まだ一冊目ですが、その中に心底うらやましく思った箇所があります。
図書館の魔女は、フィクション作品ですが、出てくる事象は架空のものではなく、実在のものが多いように思います。上記の文もある植物に言及したものです。
この植物について調べてみましたが、著者の知識の確かさ(あるいは綿密な下調べ)に感嘆しました。
(次の記事で紹介させていただきますね。)
本を読んでいると、著者の方が見ている世界は、私に見えている世界と違うんだろうな、と思うことがあります。
地質学に通じた方は、岩石や地層から大地の歴史を見ているんだろうな。恐竜時代の景色さえ見えているのかも。
歴史であれば、地形から文明が交差する様子や、交易や戦争の一場面を頭の中で景色と重ね合わせているのかも。
世界を重層的に見られるようになる。
それが勉強であり、日頃の研鑽の賜物。
それを怠っていて、うらやましいもなにもないですね。
まずはできるところから、一歩一歩。
(とりあえず図書館の魔女を読み終えよう。続きが楽しみ。)