ゼロ年代的な「自称勝者キャラたち」の「過剰承認欲求」はもう卒業しよう。「寂しがり屋リバタリアン」の限界①【古田更一】
幼稚園児でも思いつきそうな、古文漢文不要論程度で大学程度を必死に論破しようとしていて、見ているこっちが恥ずかしくなる…。
理論的と謳うわりには、寂しかり屋かつ感情論の無教養な連中なのは、
色々と不思議である。
ゼロ年代の経済系論壇の限界は、結局のところ、空虚で寂しがり屋だったということに収斂するのではないだろうか。
なるほど、金融マネーゲームやミクロ経済学を最適化すれば自分だけは勝てるようになるかもしれないが、自分だけお金を持っていても、それを独占しても、普通には好かれないし、学問や芸術というのは他人とのコミュニケーションや歴史に対する理解のため、ミクロ経済学ばかりをやりすぎると、その能力が弱くなってくる。
ひろゆきさんが冷笑しながらも、優しいおじさんへシフトしたのも、寂しい人々同士で承認し合いたい、お金をたくさん得たからこそ、そっちへスライドするようになってしまったのではないだろうか?
たくさんお金を持っている経営者の知り合いが周りにいる範囲で観察すると、彼らはむしろ優しい。
本当の金持ちはむしろ優しいのだ。
だが、ネット上に数多いる堀江貴文や西村博之になりたい人々は、自分個人の最適化ばかり考えていて、性格が腐っている。
たくさんお金を持つ人々は総じて経営者&投資家という立場になってくる。
となると、これまた当たり前の話だが、莫大なビジネスを展開する経営者によって雇用は生まれて、投資家の投資によって企業は回っていく。金を貯蓄する個人経済的発想はマクロ経済学の循環を分かっていなくて、お金を流すからお金や雇用が生まれるものであり、ひろゆきさんがマクロ経済学の教養が浅く、よく議論で勝てないのも、単なるあなたの感想、自分勝手なイデオローグを理論だと強弁する幼稚な精神構造に過ぎないのだ。
東浩紀さんもかなり優秀だが、数多ある内ゲバと弟子との馴れ合いを見ていると、ここら辺の限界を感じてしまい、ただ本人は頭が良いので、そこに気づいてどうにかしようとするものを感じさせる。
エヴァも結局のところ、ベタな絆を要求し、GANTZも結局のところ、ベタな絆を要求した。
鬼滅の刃的なものが根幹を攫ったのも、もう冷笑だけではやっていけないからかも。
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