ルックバックをルックバック
○観終わって、たまらず踵を返し次の回も続けて観た。ルックバックをルックバックです。上映時間が58分だから是非1日に連続で2回観てほしい。
終盤の藤野の「部屋から出さなきゃ死ぬことなんて なかったのに」の絶望の後に、物語をもう一度振り返って、京本の「部屋から出て良かった」「藤野ちゃん、部屋から出してくれてありがとう」を観て、良かったんだよ と胸があったかくなった。
鑑賞2回目は藤野の記憶の中へ入りましょう。
○原作自体がとても映像的な描き方でしたが、その原作をなぞるだけじゃない映像にする意気込みが生々しく感じられた。
線が揺らいでた。
藤本タツキの絵よりうまいのではってくらいの画力だった。
最初の夜空の月から始まる360度のぐるんってので、これは平面の世界ではないですよーと言っているような気がして、これはすごいアニメ映画なんだって感じた。
過ぎていく四季と背中で表した孤独な戦いの時間経過に泣きそうになる。
増えていく本と扇風機のコマ割はぐっとくる。
本や生活品や景色は変わっていくのに、机に向かう後ろ姿は変わらない。足を椅子に乗せたり姿勢を微妙に変えてくところが本っ当に魅せる描き方だな!
京本が藤野に会いたいがために走って扉を開ける描写は本っっっ当に眩しかった。
自分の中に発生したイメージを人に伝えるには過剰なまでに作り込んでやっと伝わるのかもしれない。
絵がとんでもなく上手い人が気付いてることって何だろう。
漫画を読んでハッとするシーンやセリフがあったときって、心の時が止まるんだけど、そういう“間”というか心情の滞空時間が原作読んだときとぴったりな速度で映像になっていて、時間の使い方も完璧でした。
○藤野と京本の関係
藤野は京本を知る前から一生懸命漫画を描き続けている。漫画にたくさん触れていて、画力はまだまだでも、ちゃんと面白い展開の漫画を描ける。自分は出来る!と自負しているからこそ、突然現れたとんでもない画力の才能に愕然としてしまう。藤野を挫折させたのは京本だけど、藤野のことを誰よりも尊敬して認めて憧れてくれたのも京本。
すごいなと思ったのは、初めて対面したときに京本に「どうして4コマ描くのやめたんですか?」と聞かれたとき、
「漫画の賞に出す話考えてて ステップアップのためにやめた」とかなり攻めの目標を言ったこと。ダサい逃げの言葉なんて言わなかった。藤野の描きたい欲を京本が発火させた。
初めて会話したあの時間で、絵を描くためにお互いがお互いにとって不可欠な存在に変わり、“一緒に”漫画を描く関係にあっというまになっちゃった。
京本にとって尊敬する存在だった藤野が手を引っ張って外に出してくれた。
『もっと絵…うまくなりたいもん…』という願望の先は、尊敬する藤野と並べるようになるため&レベルアップして藤野とまた一緒に漫画を描くためなのかと思うと…泣く
○絵描きやクリエイターの人達が通ってきたであろう、ひたすら手を動かす努力の日々が詰め込まれている映画だった。
ひたすら机に向かって描き続ける背中に尊さを感じる。
この映画がキッカケになって机に向かい続けて創作をはじめる人がいるかもしれない。
一方で、全ての時間を費やして机に向かい続けなければと分かっていたのに出来なかった人。そんな自分の弱さが浮き彫りになり、出来る人と出来なかった自分の差を痛感して泣いてしまうかもしれない。
岡田斗司夫が言ってたよ。「感動の本質とは罪悪感であり、罪悪感を解消するために人は感動するって。そんな風に純粋に生きてない自分を許すために感動する。」って。
その通りだと思う。私は感動しまくっていました。
4コマが届いた世界線で、藤野が男を蹴り倒したシーンは涙が出る。
その爽快さに。
荒唐無稽な爽快なイメージをしながら、私はなんとかやっていってる。みんなだってそうでしょう?
だから、そんな世界を見せてくれる漫画も映画も好きだ。
あの下りが、“京本が生きてるあちらの世界はある設定なのか、あの映画みたいだ” とかは私にとってはどうでもよくて、
ただ爽快なイメージが見れたことが救いであって生きてく糧になる。
○映画を観て自分の中に残った印象。
【1】自分が誰かにとって少しでも憧れの存在であったなら、背筋正して生きなきゃなという事。
【2】『もっと絵…上手くなりたいもん…』という純粋な欲望を大切に優先出来る人には敵わないなって事。
【3】エンドロールが印象的だった。
監督プロデューサー動画デザインなど製作に関わった人達への敬意が伝わってきた。
たしかにそれが全ての映画だった。
そしてharuka nakamuraの劇伴が素晴らしかったなー!自然光を目の当たりにしたような写実性と物語性のある音楽。
秋田県出身の藤本タツキ
福島県出身の押山清高
青森県出身のharuka nakamura
良いグルーヴでした!