大戸屋と上島竜兵さん
大戸屋に行くたびに上島さんを思い出す。
ダチョウ俱楽部の上島竜兵さんが亡くなったというニュースにショックを受けている。15年ほど前のことだが、私は東京の原宿駅近くにある大戸屋で、ダチョウ俱楽部と一緒に定食を食べるというテレビ番組にエキストラとして参加させてもらったことがある。大戸屋の定番メニュー「鳥の甘酢あん」をおいしそうに頬張るダチョウ俱楽部さんの近くのテーブルに、たまたま居合わせたお客さんを演じるというものだった。なぜそんなエキストラをやることになったのか、詳しい経緯は忘れてしまったが、たしか、当時の友人に誘われて好奇心に駆られ、一日だけ芸能人を見に行ったのだと思う。
原宿の大戸屋に現れたダチョウ俱楽部さんは、みなさん感じの良い方たちで、なかでも上島竜兵さんは愛嬌があって、私のような一回限りのエキストラに対しても、番組スタッフと同様に丁寧に接してくれた。長時間におよぶ撮影中も、何度も「大丈夫?」と声かけてくれて、とても気さくな方だった。テレビでお見かけするあの印象そのままの笑顔が素敵な方だった。
以来、私は大戸屋に足を運ぶたびに、上島さんの笑顔を思い出すようになった。
まさか、その上島さんが、あのような形でお亡くなりになったなんて、信じられない思いだ。笑顔の奥の人の心の中は誰にも分からないものだという当たり前の前提はともかくとして、こうした事態になる前にもう少し心理カウンセラー的なサービスが、世の中に普及しないものかと願わずにはいられない。芸能人は世の中をリードする存在だとしたら、最近立て続けに起こる芸能人の自殺が、メンタルカウンセラーを推進するモーティブになって社会を変えてくれるかもと期待もするが、現実はあまり変化がないようだ。テレビでは自殺防止ホットラインの電話番号を紹介してはいるけれど、現実にどのくらいの防止効果をあげているか分からない。本当に大事なことは、自殺を食い止めるよりも先に、もっとそれ以前の段階で、心が憂鬱なときにフランクに悩みを相談できて、かつプライバシーを守ってもらえる機関があることだ。
正直、世の中はこの問題に対して、いろいろと遅すぎると感じている。心理カウンセラーを増やそうと行政も取り組んではいるが、カウンセラーというのは勉強をして資格を取るまでに何年もかかり、さらに実践の場で経験を積んで悩める人の役に立てるようになるまでには、さらに何年もかかるものだ。つまり、なりたいという気持ちだけで、簡単に誰でもなれる職業ではない。コロナ禍で社会の経済環境がなかなか回復せず、悩める人が多い今、もっと何年も前からこうした事態に備えて、カウンセラーを養成しておくべきだったと嘆いても遅い。
話は少しズレるが、私がまだアメリカで学生だった頃、大学のキャンパス内にあるクリニックで受付のバイトをしていたことがある。クリニックには学生や一般人を問わず、多くの患者さんたちが心理カウンセリングを受けに来ていて、当時の私は困惑したものだった。
どうしてこんなにメンタルを病んでいる人が、アメリカには多いんだろう? 病んでいる国なのだろうか?
当時の私はそう誤解していた。のちに分かったことは、クリニックにやってきた人たちは、みんながみんなメンタルを病んでいたわけではなく、ちょっと辛いなと感じる程度の段階で早めに受診していたのだった。カウンセリングを受けるという行為は、そのくらいハードルが低いほうがいい。
しかし一方で、心理カウンセリングを受けたり、メンタルクリニックに行くということは、恥だと捉える人がいまだに少なくないのも現実だ。アメリカでもそう考える人がいなくはないが、日本では今もまだまだ多い。鬱などになることイコール、自分はダメな人間だと、自分で自分に烙印を押してしまうのだ。あるいは、他人がそのような偏見を抱くこともある。「あの人は鬱だから」「心が弱いから」といった陰口を職場で聞くこともある。心に辛さを抱えることが、その人の欠点であるかのような言い方を他人がしているのを耳にするたびに、社会の無理解の深刻さに愕然とした気持ちになる。
まずはこうしたものの見方から変えて、理解を広めていかないと、これからも社会の生きづらさは続いてしまうだろう。2022年にもなって、まだこんなことを書かないといけないとは、なんて古いままなのだろうと悔しく思う。前々から言われていることだが、いっこうに良い方へ変わらない。そんななかで、上島竜兵さんのニュースを聞いて、ああ、また救えなかったか!とやるせない気持ちになる。
今後は大戸屋に足を運び、心から美味しく定食を食べることは、たぶん私はもうできないだろう。「鳥の甘酢あん」定食をおいしそうに頬張っていたあの時の上島さんは、15年後の今を予期していたのだろうか?とか、あの頃はまだ楽しく仕事をされていたのかな、とか、いろいろと私の頭のなかで想像が巡り、止めることができない。だからしばらく大戸屋に行く気分にはなれそうもない。ただ、これだけは最後に書き残しておきたいが、一方的に世の中に別れを告げて旅立つことを決断するということは、近親者だけでなく、遠い遠いまったく関係ないはずの人にまで広く影響を与えることを、もっと多くの人に知っていてほしい。あなたの命はあなたが思っているよりも決して軽くはない。
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