外食産業に例えるなら、noteはセントラル・キッチン
2018年にnote界で何が起きたのか?
note投稿の忍耐力は2年
私がフォローさせてもらっている方々のアカウントを見返してみて、気づいたことがある。約500人のうち、100人もの方々が、2018年でnoteの投稿をやめていたのだ。
なぜ2018年に集中しているのだろう? フォロワーが100人以下の少ない方をはじめとして、フォロワー1000人、3000人の方もやめている。そしてなんとフォロワーが1万人以上いらっしゃる方々も2018年の夏を最後にnoteの投稿をやめていた。
これはあくまで私の推測でしかないのだが、noteを投稿し続ける忍耐力は2年が限度なのだろうと思う。なぜなら2018年でやめた方々の大半が2016年あるいは2015年の暮れからnoteを開始しているからだ。そしてこれも推測なのだが、やめていく理由は大きく分けて3パターンだろうと思われる。
パターン① 私のように500人前後といった、フォロワーが少ないユーザーにとっては、noteはTwitterのような拡散力や有名人同士の喧嘩に参加するなどの刺激的なやりとりがないために、投稿年数を経るごとに穏やかな内輪サイトになってしまい、これではFacebookと変わらないと退屈してnoteをやめた。同じ内輪サイトならFacebookの方がリアル友達で構成しているSNSなので、noteよりもプライバシーが守られるような気がする(あくまで気がするだけだが)と思い、noteを去った。
パターン② フォロワーが3000人前後いるユーザーは、もっと多くのフォロワーを増やすことを目的としてnoteを始め、あわよくばインフルエンサーになることさえ期待していたが、思ったよりもフォロワーが伸びずにがっかりして他のSNSに去っていった。noteはTwitterのように何かの拍子で一時的にバズったり、それによって一夜にしてフォロワーが1000人増えるなどのプチ・ミラクルは起こらない。地道に投稿して1人ずつフォロワーを増やしていくしかない地味なプラットフォームだ。その穏やかさが彼らにとってはじれったかったのかもしれない。
パターン③ フォロワーが1万人以上いるユーザーは、もっと現実的な課金集客力のあるサイトに移っていった。Wordpressなどを使っている人ならば、最近CodocというWordpressから発した新しいSNSが出来た。Codocは執筆スタイルなどはnoteとよく似ているが、課金システムがもっと細かく打ち立てられていて、noteのように「投げ銭」や「サポート」など他人の善意が降ってくるのを茫然と待ちわびなくて済む。しかしCodocに参入できるのは初めから限られた人であるから、今が潮時だとそちらに移っていった。(ちなみに、Codocは誰でもアカウントを作れますと唄っているが、実際にはある程度の知名度がある人でないと、アカウントを持つ意味がないと思われる)
2018年で去っていったユーザーは、文章を書いている人だけでなく、漫画、音楽、料理の写真などすべての分野に均等だった。なかにはテレビやネットなどでお馴染みの有名人もいるが、期待したほどの収入にならないと分かると去っていった。この有名人の記事が読みたいなと思う人が私には何人かいて、それがきっかけでnoteユーザーになったのに、彼らが早々とnoteを去っていったのにはがっかりした。
noteはセントラル・キッチン
ちなみに私がnoteを始めたのは2016年の夏で、今年の夏で4年になる。私がnoteを続けられたのは、それは外食産業で例えるなら、noteは私にとってセントラル・キッチンだからだ。セントラル・キッチンで作られた総菜やお弁当は、コンビニやスーパーやファミレスに運ばれて、そこで初めてお客さんに届く。セントラル・キッチンの中でお弁当は販売されていない。それと同じで、noteで書いたエッセイはnoteの読者に多く読まれることは期待せずに、TwitterやFacebookやその他のSNSサイトに即シェアして、そちらで読まれてバズることを期待している。TwitterやFacebookはコンビニやスーパーであり、noteというセントラル・キッチンから流れてきた投稿を広げる場所だ。
そんなふうに考えたら、noteも面白いじゃないか?
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