自分の小説を話す#1
国語の授業みたいになっちゃいましたが今回は、『教室の窓辺に一番近い木』(以下『窓辺の木』)
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写真はgreen31さん(https://www.photo-ac.com/profile/23257028)の物をお借りしました。
さて、まずこの作品は高校時代に選択授業で書いた物が元になっています。
実は高校時代に書いたのが元になっているのはこの作品だけでなく、『あなたの想像エンド』も同じように授業で書いた作品に手を加えたものでう。
まぁ『想像エンド』はだいぶ加筆修正入れてますので、変わってないのは話の流れくらいですけどね!笑 『想像エンド』またの機会にお話しします!
さて、今回の『窓辺の木』ですが、説明はおおむねタイトル通りです。笑
教室の窓辺から見える景色『私』が『一本の木』に焦点を当てて心情を綴る一人称視点の詩です。
最初の季節は『春』。
花がたくさん咲く季節であり、入学シーズンですね!
『私』が窓辺を見ると、一本の『木』が目の前に。
どうやら梢に新芽と「真っ赤な粒の花」があるそうです。
「粒のような赤い花」と聞いて皆さんは何を思い出しますか?
最初に話しちゃいますが、『私』がみているこの『木』は「もみじ」です。
紅葉の花言葉には「大切な思い出」とい花言葉があります。
この詩は『もみじ』を通して『私』思い出を巡っているわけです。
因みに梢(こずえ)とは 木の幹や枝先の先端という意味です。木末(こぬれ)とも言います。
枝先に新しく芽生えた葉と真っ赤な花、そして遠くから飛んでくる桃色の花びら、ピンクの花びらとは桜を指しています。ここでは私は『ピンク』と表現しています。少しまだ幼さを感じられますね!
そして「胸に花を飾る私」は新入生を表しています。
中学生から新たに高校生になる自分。そして胸にある花や窓辺の木に咲く花のように華々しい高校生活への憧れを期待しています。
2章目は夏、一年を綴っているので春夏秋冬で順番は続きます。
夏は日差しが強いですよね!
日焼け止め必須です。教室の窓辺ですから直射日光です。外にある木は当然日光浴しているわけですが、窓際の『私』も延々日に照らされているわけです。笑
窓辺の木同様、『私』の片腕も真っ赤に日焼けをしてしまいます。͡͡この章では『木』と『私』はシンクロしています。
さて、3章目は秋です。紅葉の季節ですね!
いよいよ『もみじ』が紅葉を始めます。
『窓が赤い』のは遠くの山も近くの木も深い赤に染まって、自分の視界に赤の比率が増えているわけです。赤色の事を単に『真っ赤』とは言わずにここでは『深紅』と言っています。
表現の仕方が春の自分より成長しているのが分かります。
『秋風に揺られ木の葉を散らして』いくほど、この時期は風が強いです。遠くの山も揺れているのが分かるほど強い風が吹いていたみたいです。
『私』の住む地域は盆地ですので強い風がよく吹く地形だったのでしょう。
そしてそんな風に乗せて届く花の香り…これは金木犀です。
金木犀は秋咲きでオレンジ色の小さな花が咲く気です。風が無くても数メートル届くほどの強い香りが特徴です。
作中の『私』の家の庭には金木犀が植えられていて、金木犀が何処に植えられているか探してしまう程度には、金木犀の花が好きなようです。
次の章は冬、寒さが厳しくなります。
『上着を手に取る私』は冬が近づき物語が進むことを表しています。
4章目、季節は冬。一年の最後です。ゆ
積もった雪の重みで枝が傾いている様子を『白無垢を着て項垂れる』なんて、えらく詩的に表していますね!
『白無垢』とは日本の結婚式には必要不可欠な、着物の上から着る真っ白な羽織ものです。ウェディングドレスなどではなく白無垢と表現しているのは舞台が日本ということです。
『赤黒い葉』とは枯葉ですね。
枯れた葉は気にとって不要な部分です。そこに栄養を送らないように散らしていきます。
寒さで体冷えると、なんだか心まで冷えていく感覚がさあります。一年が終わるなあ、なんて思いを馳せてしまいますよね、冬って。笑
作中の『私』も、散っていく葉や、静かに積もる雪にも、雪に吸われていく私の声も音も、全てに寂しさや虚しさを感じてるようです。
さてこの詩の最終、5章目です。
新たな春の訪れです。
『私』も学年が変わり、心新たに二年生に進学しました。
教室も変わり、『去年見ていた窓辺の木』も遠くに見えます。
そんな木を見て、『誰があの木を見ているんだろう』と自分ではない誰かの事を考えます。
去年は自分と木の事を考えるのに精一杯でしたが、周りの事を気にする余力があり、『ピンク』と表していた色の表現も『桃色』と言っていますね。心の成長が感じられます。
そして今度は『今目の前にある近くの木』に目を向けます。
その気は以前の木より小ぶりで葉がまだありません。
しかし『桃色の玉』が付いているようです。これは、『今の木』を説明していると同時に、実は『前の木』を見ている新入生の子を表現しています。
まず、『今の木』は前に見ていた『もみじ』の木よりも小さな桃色の玉のような花が咲いている梅の花です。
紅葉の花は春の新芽とともに咲いていますが、梅には花しか咲きません。
そして、新たに『前の木』を見ている子は、『梅の花のように上品さががあり、私よりも少し小さい子』だという事を梅で表しています。
『前の木を見ている新入生のあの子は、気を思って何を感じるんだろう。』と、そのことの出会いを期待している様子で5章は終わります。
なんだかちょっと国語の授業っぽくなりましたかね!笑
如何でしたでしょうか。
どうぞこんなモノが国語の勉強になるんならいくらでも使ってやってください。笑
質問やら何かあればコメントもお待ちしてます!自分でも気付かない矛盾や伏線っぽいものもあるかもしれないので、あれば教えてください。笑
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