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11月・12月に読んだ本

今朝は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に、2024年ラストのコメダモーニングでウインナーコーヒーを飲んできました。もちろんホットで☕️

1年間このシリーズを書いてきて、どうやら珈琲は年中おいしいようだ、ということに気づきはじめています。来年も珈琲を片手にゆっくり本を読んで過ごせますように。


はじめに

今回は、11・12月に読んだ本の記録と、いま読みかけの本たちについて書きます。
この二ヶ月は、旅に行ったり、卒論の締め切りに追われたり、哲学対話をしたりと、あわただしくあっという間に過ぎた二ヶ月でした。

1冊目と3冊目の本がとくにお気に入りで、読み終わりたくない気持ちでいっぱいいっぱいになりながら頁をめくりました。読み終わりたくなくて自分の意思で読むのを中断したのは生まれてはじめてだった。結局読み切ったけど、これからの人生で何度も読み直すであろう、ほんとうに大切な二冊です。


前回までのnoteはこちらから↓

このシリーズは、読書感想文ではなく、ゆるっと読んだ本を提示しつつわたしの気持ちを書き留めていくものです。読書感想文より軽い気持ちで肩の力を抜いて書いているので、みなさまもぜひ、珈琲片手にのんびり読んでくださるとうれしいです。



***

①『目を開けてごらん、離陸するから』 大崎清夏

今年のベストブックをこえて、人生の本棚に入った一冊。
詩人の大崎さんが書いた、エッセイと小説(わたしはぜんぶエッセイだと思って読んでいました)です。

この本を買ったのはもう一年以上まえで、カンボジア行きの飛行機のなかでやっと読むことができました。
買ったときから「この本はぜったいに飛行機に乗るときに読もう」と思ってあたため続けていて、もうほとんど存在を忘れかけていたんだけど、カンボジア行きが決まって本棚から引っ張り出してきました。

このときを待っていたんじゃないか、わたしに読んでもらうためにあの日あの古本屋のあの棚に置いてあったんじゃないか、なんて思ってしまうほど、ほんとうにいまのわたしにパチっとはまる一冊だった。

なんていうか、「わたしであり続ける」ということが、自分のすてきだと思った部分を飾ることや誇張することによって成り立っているのではなくて、世界中のどこにほうり出されても、きっとわたしはわたしであり続けられるだろう、という小さな勇気のような、希望のようなものをもらってしまったなあと思いました。


②『コーヒーにミルクを入れるような愛』 くどうれいん

12月中旬に卒論が書き終わって、やっと、なににも追われずにのんびりした気持ちで読むことのできた本でした。

これも読み終わるのが惜しくて実はまだ読み終わっていないんだけど、どうしても今年のうちにリストに入れたくて、この記録に追加してしまいました。
買った日にかえりの電車で読みはじめたらとまらなくて、こんなエッセイストがいたのにどうして今まで知らなかったんだろう、と後悔したくらい、わたしの隣にいてくれる一冊だった。

わたしがエッセイを読むようになったのは、たぶんここ1年くらいのことで、それまではずっと小説と新書ばかりを読んできました。
いまでもそんなにエッセイが好きなわけではないというか、ざっくり言えば他人にあまり関心がないので、だれかの生活とか恋愛について書かれていても積極的に読みたいと思うタイプではないんだけど、
くどうれいんさんは、なんというか、わたしの心に一緒にいてほしい、と思って、大好きになりました。

わたしは珈琲にはミルクを入れないので、タイトルだけ読んだ恋人から「あなたのコーヒーにミルクを入れることは、愛じゃないね」と言われたことがちょっと笑えた。


③『体の贈り物』 レベッカ・ブラウン

卒論の文献として読みはじめたのだけど、あまりにも良くて、今年のベストブックに入りました。

『体の贈り物』は、小説家であり同性愛者のレベッカ・ブラウンが、自らの介護体験を生かして書いたケアについての小説です。
主人公の「私」は、エイズ患者の身の回りの世話(ケア)をする仕事に従事していて、さまざまな患者との関わりを通じて、ケアしつつケアされるという経験をしていく。これは、「私」から患者へと、ケアの「贈り物」をする物語でありながら、ケア提供者である「私」が死にゆく人たちから「贈り物」を授かる話でもあります。

わたし自身は卒論で、自分自身のヤングケアラーとしての/あるいはヤングケアラーではない経験から、これまでの福祉や哲学で語られてきた「ケア」が不十分だったのではないか、というようなことを書きました。
この本を読みながら、ケアってほんとうに、そんなに単純なものでも綺麗なものでもなくて、こんなにも苦しくて辛い瞬間がそこにはあるんだ、と何度も思った。かわいそうで涙がでるのでも、共感して悲しくなるのでもなくて、ただ、うなずきながら、胸いっぱいに彼女の痛みを抱きしめながら読みました。


④『「聴く」ことの力』 鷲田清一

これも、卒論のために読んだ本です。
卒論のために読みはじめたのだけど、「聴く」ということに関してはむしろ、哲学対話のことを思い浮かべながら読みました。

話がつうじないとき、ふつう内容をもっと細かく、ていねいに話そうとする。が、皮肉なことに、内容が細かくなればなるほどこころが離れているようにおもわれてくる。で、あせってもっとしゃべる。ことばの真空状態がこわくて、さらに機関銃のように言葉を発射する・・・

鷲田清一、『「聴く」ことの力』、1991、75頁。

わたしも哲学対話をはじめる前は、友だちとの会話の隙間でも、初めましての人と話すときでも、とにかくずっと機関銃のようにしゃべっていたなあ、と思う。

哲学対話をするようになってからは、「ひとの話を一生懸命きく」というルールがすっかり身に染みてしまったのはもちろんだけど、自分もほんとうに話したいことをきちんと言葉を選んで話したいと思うようになったし、自分ひとりで話しているのではなくて相手とともになにかを作ろうとしているのだと思うようになったので、のんびりゆっくり聴いて話すということが比較的できるようになってきたんじゃないかなと思います。


⑤『利他・ケア・傷の倫理学』 近内悠太

何回もnoteにリンクを貼り付けておきながら全然読み終わらず(後回しにしてばかり)、ほんとうにやっとのことで読み終わりました。

ケアとか利他とかに関する本というより、ヴィトゲンシュタインの説明がわかりやすい本だなあと思ったら、近内さんはヴィトゲンシュタインのご専門でした。そりゃそうだ、と思って笑った。

わたしは「利他」という言葉にずっと不信感があって、いまだに、なんとなく受け入れられないままでいる。「わたし」が出発点でないことってほんとうにあるのかなあ。

利他に関しては、伊藤亜紗さんや國分功一郎さんら5人の書かれた『「利他」とは何か』も、いろいろな視点から考えることができておすすめです。


⑥『母という呪縛 娘という監獄』 齊藤彩

図書館で半年以上も順番待ちをして借りました。

滋賀医科大学生母親事件について書かれたノンフィクションです。
筆者は記者で、髙崎あかりと拘置所や刑務所での面会・書簡のやり取りを重ねて描き出した、事件まえの物語。

わたし自身もあまりハッピーではない家族で育ち、いまもさまざまな問題にもみくちゃにされながら生きているので、母親を殺した彼女とわたしが紙一重であると何度も感じたし、彼女の気持ちが自分に染み出してくるほどに、わかる、と思ったりもしました。

読みながらいろんなことを思い出してしんどくなりつつ、それでもわたしはそうしなかったし、そうはならなかったし、これからもそうはならないであろうと思えるのはどうしてだろう、と思った。

なんというか、とにかく、わたしは強くありたい。
いまはそうはできていないけど、両親のことも、兄弟のことも、おばあちゃんたちも、わたしがぜんぶ吸い込んで救いたい。わたしが苦しみの果てになりたい。そうなれるだけの強さがほしい、ということに改めて気づかされた一冊でした。


おわりに

卒論から解放されて、これからどんどん読みたい本を読めるぞーと思うとすごくしあわせな今日この頃です。

きっと来年になったら、なんだかんだ後回しにしちゃって読めないんだろうなあと思いつつ(締切直前は、なぜかやたら関係ないことにやる気がでる魔法。そろそろ解けちゃいそう)、このうれしい気持ちのうちに、2025年に読みたいと思っている本たちを並べておきます。

みなさま、よいお年をお迎えください。


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