言語が伝わらない・分かれない人から逃げる生き方をする
同じ日本人なのに、同じ日本語でやりとりしてるのに、言っていることがわからない、伝えたいことが伝わらない、認識があってない違和感を感じる
昔から感じていた、人とのコミュニケーションにおける違和感。
人とのやりとりは常に違和感がつきものなんだと思っていた。人とのコミュニケーションとは、そういうものなんだと思っていた。
ただ、最近、それは違うということがわかってきた。
あぁ、この人とは意思疎通ができているな、同じ言葉を同じような視点で捉えて、同じ意味で使っているな、と感じる人と話ができてきたからだ。
うまく意思疎通できてると感じる人との話は、なんとも楽しく、居心地が良く、自分の存在が認められるような包容感を感じる。
言葉って、便利だけど厄介だ。
同じ言葉をやりとりしても、含む意味が人によって異なるから、意思疎通できてるように見えて全くできていないという事象に陥りやすい。
そういうコミュニケーションをとると、空振りしてる感覚がする。振っても振っても当たらない感覚。
言語が通じる人と出会えたとき、自分の生きてる意味を実感できる。
相手が言いたいこと、伝えたいことのニュアンスが、手に取るようにわかる。
そういう人は、自分と同じように世界を捉えていて、だから同じ言語に対して自分と同じような意味を持たせて使っている。
自分のことを理解する上で、同じ感覚で世界を捉えている人と出会い意見交換をすることはとても大切だ。
その人と話すとなぜ心地いいのかを探れば、自分の価値観が見えてくる。
私が長年、人とのコミュニケーションに対して孤独感や空振りを感じていた理由が、最近よくわかる。
何かを生み出す人、今で言うとクリエイターと話すと、めちゃくちゃ心地がいい。
クリエイターは作るために物事の作られ方を理解するために深く話を聞く。作り方やその構造を理解したいという好奇心が強いから。
私の周りの人たちの話は、昔から浅いと感じていた。
そして、興味の対象と興味の深さが、違うなと違和感を感じていた。
私は深掘りをする。なぜ?なぜ?と聞いてしまう。周りから尋問みたいだと怖がられた。
怖がられるから、深掘りすることは控えていた。
クリエイター人種と話すようになってから、私はこっちの人たちと話して、素敵なものを生み出したいと思ってしまった。思っていることに、気づけた。
だから、これからは同じ言語を同じような捉え方をしている人のいる世界に行こうと思う。
クリエイターは周りから理解されない孤独感を抱えることが多く、ひっそり暮らしていることが多い。
だから、探しにいこうと思う。会いに行こう。
会って、意見交換して、熱意をもって何かを作る話を夜が更けるまでしたい。
そこにお酒はあってもなくてもいい。なくても心が沸る未来の話ができるだろう。
だから、今言語が噛み合わない人からは、逃げるのだ。
私がダメなんじゃなくて、合わない。
逃げて、逃げて、合う人を探して会いに行くんだ。