『関心領域』
『関心領域』を見に行ってきました!!
予告編を見たときから絶対に観る、と決め、アカデミー賞ノミネートの知らせを聞き、いつ公開かと調べたら5月24日!どれほど待ちわびたことでしょうか。
例によってわかりにくいモチーフもたくさん、カタルシスは特になし、という作品ではあるので、ほかの人の感想などを読んでしまうと、自分の考えたことがどこかに行ってしまいそう。
家に帰っていの一番にこちらのnoteを書きます。整理しきれていない部分のほうが少ないので、目次などは特になく、勢いのまま書かれたものだと思ってください。
舞台は第二次世界大戦中のドイツ。アウシュヴィッツ強制収容所の所長一家の物語。
自然に囲まれ、赴任してからの3年間で素敵な家と庭を造り、使用人を複数人雇って贅沢に暮らしている様が描かれている。
元気な子供たちと大型犬との悠々自適な生活は戦時中とは思えないほど。
塀のすぐ隣の収容所の様子は全く描かれず、塀の向こう側で燃え盛る炎や煙突からの煙が見えたり、銃声が聞こえるくらい。
生活音へのこだわりはとても感じられ、赤ちゃんが泣いている声や小鳥の鳴き声など、普通の生活を表現するうえですら省かれがちな音も聞こえてきたので、映画館で観ることをかなりお勧めする。
基本塀の向こうの生活は描かれないとはいえ、父親は家でも収容に関する仕事をし、少女は夜な夜な家を抜け出しリンゴを埋めたり(?)している。亡くなったユダヤ人がお守りとして持っていたペンダント(?)を拾ってその中に入っていた詩を読みながらピアノを弾いていたり、使用人も家を抜け出していることを知っていたり、不思議な描写はある。
効果音も不気味ではあるのだが、とはいえそこから悲劇が起きるというわけでもなく淡々と生活は進んでいく。
特徴的だったのが、横長のスクリーンではあるものの、縦長長方形に見えるカットが多かったことだ。
廊下を正面からうつし、スクリーンの大半を壁が占める、奥から手前(手前から奥)へのルドルフの移動、など。そのほかも視点の固定やカメラのスライド移動が多かったイメージはある。
映画『シャイニング』の男の子が廊下を三輪車で走る感じのカットが続くと思っていただければ近いかも(説明が下手)。
お母さんがいきなり家を去ることや、謎の花のカットなどちょっとだけ不気味なシーンが多く、日常が少しずつ戦争の影に侵犯されていく怖さは全体的に感じた。
最後のシーン、「ヘス作戦」と自身の名を付けられた作戦を任せられるルドルフ。螺旋階段を降りながら彼は嘔吐する。
作戦の重責にプレッシャーを感じるのか、多くの人を殺すことになにかを感じるのか(後者はないと思うが)。もともと彼は感情を表出することが少ないのでその真意はわからない。
嘔吐のシーンから一転、現代のアウシュヴィッツ収容所のシーンに転換する。焼け残った大量の靴、犠牲者の顔写真、囚人服。そしてスクリーン越しにこちらを見つけたルドルフのカットに戻る。彼は体を起こし螺旋階段を再び降りていく。
ここからは私の解釈だが、私は歴史とは螺旋階段のようなものだと思っている。彼自身が現代にタイムリープしたとして、最後はやはり現代から過去へ戻っていく、彼のいるべき時代に戻っていく(螺旋階段を降りる)ように感じた。
ここで映画が終わるので、使用人たちの関係や、アウシュヴィッツに戻れたルドルフと家族たちの関係、少女が行っていた行動の真実などは一切明かされない。
映画全体にはびこるうっすらとした気味悪さと、とはいえ軍人家族はぜいたくな暮らしをし、淡々と生活が続いていく様子は感じられた。
カットの特異さ、映像演出のすばらしさ、音響のこだわり、本当に面白かったんだけど、それを説明しきるだけの言葉を持ち合わせていないのが悔し~~となる作品だった。
ストーリーテリングだけを期待したら期待外れになると思うので、要注意作品かもしれない。
でも待ちに待って、公開後すぐに劇場で見たことに関しては後悔全くなしでした!
追記
かれらの特権階級について、彼らが特権階級にいることに対する自覚はあり(贅沢をさせてやってる)、見えないようにわざとしている(つたを植えている)、というのは描かれていた。彼らは無邪気で無垢で無関心なわけではないだろう、りんごの取り合いについて男の子のセリフもわざと見ないようにしている、が、あまりその点についてはこのnoteで論じていない。