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仰げば尊し。人生で大切なことは全て‘’スラダン‘’から教わった。
休会していたジム通いを再開した。
じつに2度の挫折を経ながらの3年ぶりの‘’おひさしゅう‘’である。
再開初日。
気づけば、足でしゃにむにダンベルを持ち上げていた。文字にすれば「んぐおおおおおおっっっ!」という感じで、それは心地よい筋肉痛ではなく、筋肉がズタボロになったような不快感だった。
今年の‘’丹後ウルトラマラソン‘’で
絶対リベンジを掲げるボクは、
ランニングの‘’距離‘’を増やすだけでも
もちろん腹筋やふくらはぎの強化はできるが、それとは別に、筋トレからのアプローチで筋力増強を図りたいと思ったのだ。
我が人生をふりかえると、
小学2年のときに
父親が監督をしていた影響でミニバスを始め、中学までほとんど毎日練習をしていた。
そして高校は
バリバリのラグビー部。
来る日も来る日も部活に明け暮れ、青春の多くの時間を運動に費やし、
パワーアップを求めて筋トレを行ってきた。
その頃から思っていたが、
久しぶりに筋トレを再開すると、
たいてい、アドレナリンだか何だか知らないが、そういうものがドバッと出て、気分がとてつもなく高揚し、やる気がみなぎりすぎて、やりすぎて失敗する。
結果、身体を痛め、次にトレーニングをする気力を逸し、習慣として根づかせるのが困難となるのだ。
‘’今日はいいや‘’
‘’ムリだ‘’
‘’あきらめよう‘’
次の一歩に向かおうとするとき、
しんどかった記憶が鮮明に蘇り、ヤル気をゴッソリと削ぎ落としてくる。
そんな‘’諦める‘’なんぞの発言をした日にゃあ、ボクらの世代、、、、
冗談っぽく、いじらしく、わざとらしく、
颯爽とツッコむモノが現れる。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
普通に聞けば、
‘’くっさ‘’
‘’きっも‘’
であろうが、
これには元ネタが存在する。
![](https://assets.st-note.com/img/1674700255616-3vz71iSmvY.jpg?width=1200)
SLAM DUNKの安西先生の名言である。
‘’諦める‘’というフレーズに反応して、これを引用するのが、ボクらの世代。
いまでも流行のドラマやアニメの名言を引用してクサいことを言うのは日常的なコミュニケーションの1つであるから、誰もがこれにはピンとこようか。
たとえば、
会議好きの上層部を横目でみながら
‘’事件は会議室で起こってるんじゃない。現場で起こっているんだ!‘’
と同僚とコソコソ上司批判をしたり、
過度に心配してくる過保護な周囲に、
‘’わたし、失敗しないので‘’
と、おどけて言ってみたりして。
そんな感じで、
SLAM DUNKが流行った当時は、このアニメの名言がリアルの会話へと飛び出し、ガンガンに使われていた。
それほど名言の宝庫であったし、誰からも認知されたアニメだった。
少しレアではあるが、
ボクがこのアニメで一番スキな名言を紹介しよう。
「ムリだっていうのはいつだって、チャレンジしてない奴よね」
この元ネタは、
‘’SLAM DUNK あれから10日後‘’
SLAM DUNKの著者・井上雄彦氏が、173センチという身長でアメリカのコートに立った田臥勇太選手に感動し、
SLAM DUNKの続編として
ショートストーリーで描かれたのだ。
「知ってる?桜木君」
「日本人初のNBA選手がうまれたって」
「なぬ?アメリカ?」
「うん」
「ほとんどの人が日本人にはムリって思ってたらしいわ。だけど・・・」
「ムリだっていうのはいつだって、チャレンジしてない奴よね」
![](https://assets.st-note.com/img/1674641903160-eGCewLY8Nk.jpg?width=1200)
こんな風に、
ボクの世代、いや少なくとも毎日ダムダムしていたボクの世代のバスケ部員は、『SLAM DUNK』の影響をモロに受け、繰り出される数々の名言から大切なことを教わってきた。
「SLAM DUNK」は、
ボクの青春そのものだった。
ド直球世代であり、学生時代を振り返ると、いつもそばに花道たちがいたような、
そんな気がするのだ。
映画‘’THE FIRST SLAM DUNK‘’を観てきた
もちろん公開当初より、評判が良いことは知っていた。しかし原作もアニメも擦りきれるほどみてきたボクは、
「いや、ストーリー知ってるし。」
「わざわざ映画館で観なくてもいずれテレビでやるっしょ。」
という、ここでも‘’斜‘’に構えたスタンスを思考の包囲にガッツリと張り巡らせてしまい、完全にウェーブの初動に乗り遅れてしまっていたのだ。
しかし先日、多くのnoterさんからの勧めもあり、またnoteに熱く書かれた‘’SLAM DUNK‘’映画のレビューの記事を読むにつれて、
あ、これはまずい。
と。
ようやくこれはウェーブどころじゃない。
もはや‘’ムーブメント‘’が起こっているのだ、
という事態に気づいた。
ボクもこうはしていられない。可及的速やかに観なきゃいけない。これ以上アワアワ・オヨオヨしているうちに、完全に時代から取り残されてしまう。
そんな焦りにも似た感情に押しつぶされそうになったボクは、満を持して、そして‘’フォロワーさんが言うからしゃあない‘’という大義名分を両手で抱えながら、
いそいそと長女と観に行くことにした。
◇
公開後に、公式がHPで発表しているとおり、
本作は「山王戦」が描かれてあった。
‘’これはスゴい!‘’
もはやその一言である。
レビューなんだから、
何か気の効いた感想を残さないといけないと思うのだが、もっぱら感想文の苦手なボクは‘’ネタバレさせない‘’という
ものすごい高いハードルをクリアしながら、それ以上のフレーズを捻り出すことなんてできっこない。
スゴいっす。
とにかくスゴいのだ。
あくまで抽象的に「スゴい」という漫然たる事実を連呼して申し訳ないが、
まあ、どのようにスゴいのか、どこがスゴいのかというディテールを語ることは、おそらく誰からもボクは期待されていないだろうし、それは感情豊かで語彙力豊富なnoterさんに任せるとして、
ボクは違う観点から綴ってみたい。
と、思う。
今までコミックでしか見れなかった山王戦。そもそも深津、沢北、河田が動いているだけでも泣いてしまう感動ものではある。
が、
この映画。
加えていちいち演出がニクく、それが絶妙に感動を助長させているのだ。
やっぱり山王戦。
名場面が多すぎる。
これが、映画を通して改めて感じた印象である。
‘’そもそも名場面とは何か‘’
これには色々な定義ができてしまいそうだが
ボクは、
どんなドラマでも、
アニメでも、
リアルの友人関係でも
‘’極限状態‘’でそれぞれのキャラクターが持ち前の‘’味‘’をさらけだす瞬間に名場面が生まれるものだと定義している。
たとえばジャイアンがのび太を守るために「うりゃあああ!」と自慢の‘’ぶん殴り‘’で相手に立ち向かったり、
バイキンマンが「アンパンマンは!俺様が倒すんだー!」と叫びながら、アンパンマンを苦しめる敵に立ち向かったり。
それまでに描かれてきたキャラクターの持ち前の‘’味‘’が極限状態で惜しげもなく披露されたとき。
そこに名場面が生まれ、
見る人に感動を与える、
と、思っている。
この視点から、山王戦における湘北メンバーの印象的なシーンを挙げてみたい。
赤木剛憲:オレたちゃ別に仲良しじゃねえし…
宮城リョータ:ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!
桜木花道:おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!シロートだからよ!
三井寿:おうオレは三井、あきらめの悪い男!!
流川楓:いがみあってきた桜木への渾身のラストパス
極限状態で、それぞれの人間が自分の味をさらけだす。赤木は「孤独」、宮城は「チビ」、桜木は「素人」、三井は「あきらめない」、流川は「パスをしない」それまでに描かれてきたキャラクターの歴史が、ひとつのコマ、ひとつのセリフに凝縮される。
その瞬間に名場面が生まれる。
そしてボクの感情は揺さぶられる。
コミックもアニメも擦り切れるほど見たから見なくていい?
テレビでやるっしょ?
ふざけるものイイカゲンにしてほしい。
号泣。号泣である。何回泣けば良いんだ。泣き過ぎて映像が霞んでよく見えない。
くそ面白い。くそ感動。
最高。最高の映画でございます。
まさしく至福の一日だった。
SLAM DUNKのメンバーに出会え、そして名場面と名言を映像でみることができて、
うん、なんというか。
ありがとう……
そう感謝を伝えたい。
帰宅後…
すでに本作を会社の同僚と観覧済みであった妻から、帰るなり早々に
‘’SLAM DUNK面白かったっしょ?‘’
と聞かれた。
が、
いままで夫婦間でも‘’観ない‘’と意地を張り続けていた手前、今さら引っ込みのつかなかったボクは、
「まぁね、思ったほど悪くは無かったわ。でも、俺は‘’スラダン‘’はそもそもストーリー知っているからね。最後のシュートやって、みんな静寂としてシンミリしてたけど、オレはわかっていたから。さほどの感動はないわ。☆3.7くらいかな」
まぁ悪くなかった?
☆3.7?
まさかの‘’スラダン‘’呼び?
お前、さっきまで長女に見られないようにあんなに号泣していたじゃねえか。未だに意地に意地を重ねて爆走するキャラを押し通す厨二病か?何歳になっても変わらず、サイアクの人間性じゃないか
はぁ?またいつものそれか。
妻は呆れ果ててボクを無視し、
そして今度は長女に感想を聞いた。
「よく意味が分からなかった。けどね、横向いたらパパ泣いてたよ。」
お、おぅ…。
な、なんと。見ていたのか。
言うなよ…ムスメよ。
妻がニンマリ笑ってボクをジロリとみた。
「あ〜あ。やっぱり良かったんでしょ。今回はパパの負けやね。」
そう。
負けたのだ。
観なくてもいい、じゃなかった。
観てよかったのだ。
往年のファンと名乗るなら観なきゃならんかったのだ。
妻が正しかったのだ。
ん?負けた?負ける?
ふと、そんなことを考えているとね。
ボクの耳元で山王の堂本監督が囁き始めた。
『負けたことがある』というのが
いつか大きな財産になるんだ。
ってさ。