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ど田舎のDNAをもつ僕が、関西人として誇らしい評価を受けた話

「コロナで外出しなくなって最近太ってきてなぁ、二の腕の肉がヤバイねん」

昨日、昼食中に社員食堂でこんな声が聞こえてきた。こんなん絶対にどんな奴か確認したい衝動に駆られてしまう。

周りを見渡すふりをして、さりげなくその聞こえてきた先をパッと見たが、一般的に見てスタイルが良い女性社員だった。

さらに続ける。
本人はため息をつきながら、顔は少し笑っていたかな。細い二の腕を見せて同僚に必死に太った有り様を力説し始めた。

誰がどう見ても
「全くヤバくない二の腕」なので、
「いやいや、そんなことないですよ」
「え?それでヤバいならみんなヤバいっすよ」
と周りの男たちが言うわけだ。

するとその女性社員は
「もうほんとにヤバイ。見てよ、プルンプルン!最近1ヶ月ぐらい仕事が忙しくて全然運動できてないし」

と、まだ
「そんなことないっすよ」の言葉を欲しがるのだ。

このとき、僕の斜め前には
「どう考えても直近5年ぐらいは運動していないであろうポッチャリ女性」
がいたが、その女性を見ると
「私は何も雑音は聞こえていませんよ」的なスーッと引いた表情をしながら目の前にある食事に集中していた。

僕はこの緊張と緩和の狭間で、何とも表現しがたい気まずい時間を過ごした。

関西のお笑い魂

関西人のDNAを持たない僕には時々、本当なのか、かまってちゃんなのか、ネタなのかの区別がつかない場面に遭遇する。
今回のケースは、
「そんなことないっすよー」待ちの
「かまってちゃん」だと思うが、関西には独特の「笑いの文化」と「パターン化された笑い」がある。

「自分をおとしめて笑いを取る」
という笑いがあって、自分の「ダメなところ」とか「ボケっぷり」を強調して笑いをとる、いわゆる「自虐ネタ」と言われるものだ。本人がどんなに能力があり、容姿端麗でも、なんらかのダメな経験を自虐して笑いをとる。

それに対して、近くにいる関西人がすかさず突っ込みをいれて、場が笑いでつつまれる。笑いが起こる多くのトークは少々誇張されたネタが大半ではあるがそれでもいい。

関西では「アホちゃうか!」って言われるのは誇らしいことであり、ボケを察知した最適なタイミングで「アホやろ、お前!」って突っ込むのは、重要なコミュ力が試される「マナー」である。

社内でもモテる人は笑いが取れる人だ。既婚の中年の平社員であろうが関係ない。

「おもろい」人は人気者で常に周りに人がいる。どんなにイケメンでも、ボケもつっこみもできずにクールに振舞っていたら「あの子、かっこいいのにおもろないな」といった理不尽な減点ポイントが発生する。

非ネイティブ関西人には、関西弁のマスターは難しい

ど田舎で18年、関西に住んで23年。
人生の半分以上を関西で過ごしてきて、もはや第二の故郷と言える。
じいさんになっても住みたいか?と聞かれると即答はできないが、それもありかなと思う。

だからと言って、ど田舎の血が身も心も関西に染まったのかと言えばそんなことはない。
言葉は23年も住んでいながらも意識して標準語を使っている。

そもそも関西弁独特のイントネーションは法則性があるかと思えばそうでもなく、単語によって全く違うイントネーションなので理解するのはとても難しい。

僕ですら別地域から来た人が関西弁を使っていたら、「あ、この人、エセってる」「関西出身ではないな」と見抜くことができるので、当然ネイティブ関西人からすると「あ、慣れない関西弁を一生懸命使おうとしているな」と一瞬で思われるだろう。

僕の子ども達は流暢な関西弁だが、僕はそう思われるのが恥ずかしくて関西弁をずっと避けてきたチキンである。

日常的に感じる関西と関東の違い

首都圏では、東京勤務の埼玉や神奈川暮らしの人を「埼玉都民」、「神奈川都民」と呼ぶ言葉があるように「東京の人」と一体化している。

一方で、関西人は、関西という概念を誇りに思いつつ、「神戸は関西じゃない」とか「京都は関西じゃない」とか「大阪とは一緒にせんといて」というこだわりが強い。

今回のコロナ対策だって大阪と兵庫で知事同士が大人げなく大喧嘩した。「維新の会には武庫川(兵庫と大阪の境界となる川)を渡らせない」「大阪はコロナで大げさすぎる」「大阪と神戸の不要不急の往来を禁止する」

でももう慣れるもんだ。こういった対立は全然珍しくない。パフォーマンスかな?なんかのフリかな?とさえ思ってしまう。

関西は府県間が「喧嘩体質」で、なんにしてもこだわって連帯しないから、経済成長の関西の伸び率は一貫して他の地域に劣後している。

空港だって伊丹、関空があるのに国や自治体、経済界の反対を押し切って500億以上の費用をかけて神戸空港ができた。ようやく「仲直りして」関西3空港の一体運営が動き出すところまできて、不運にもこのコロナで爆死である。
関西にいたら、ハハハッ!これってもしかしてオチか?って思うほどに脳内が笑いにハックされている。

あと、電車は関東と違って分かりづらい。
大阪の環状線は路線名の通り環状運転をしていると思ったら大間違いで、大阪から天王寺まで行こうとすると、ちゃんと確認しなければならない。

多種多様な列車が行き交う路線で「乗っていれば一周していつかは着く」山手線とは違い、何気なく来た列車に乗ってしまうと意図せず到着先が「USJ」や「関西空港」ってこともある。

「特急」の概念も私鉄ごとにバラバラで分かりづらい。阪神線、阪急線の「特急」電車は特急料金払わなくてもいい。
大阪と京都を結ぶ京阪電鉄は、快速特急、特急、快速急行、急行、準急、区間急行、普通。
もうここまでくるともう、わけが分かんない。

あとはやっぱりこれだ。
関西人は「東京なんて気にしてへん。関心ないわ」と言うが、それは田舎人の僕が客観的にみて嘘かなと思う。
東京に対するライバル意識はすごく強い。

出張でよく関東に行くが「関西風うどん屋」は見かけるが、関西で「関東風うどん屋」はもしかしたら探せばあるのかもしれないが見たことがない。

関西人の大半は東京のうどんつゆの色を「濃すぎる」と文句言うが、東京ではどちらも楽しむ。これが地方出身者が半分を形成する東京の多様性とも言えるもので、多様なものをそのまま許容する柔軟性がある。

色々、あるけど僕はそんな関西が好きだし関西人が好きだ。

僕の子どもは純関西人になるだろうが、僕はやっぱり田舎の血なので色々と戸惑うこともある。

そんな中で、関西に来て一番良かったと思ったことは、日曜日の真っ昼間から全国ネットだとヤバいだろーっていう毒の効いたトーク番組を関西なら許されると思ってバンバンやってる。
日常のありふれた光景の中心に「笑い」がある。関西って笑い包まれている。なんて幸せな地域なんだと思った。

今日で連続投稿95記事目。
以前、100記事で一旦noteを見直すと宣言したとおり、もぅこのnote連続投稿もカウントダウンだ。

今までやってきて、一回だけ個別でメッセージを頂いたことがある。それが嬉しくてね。今まで続けてきた原動力になりました。
 
私信なので詳細は避けるが、疲れ切ってしんどい時に僕のnoteを読んで「あほらしくて思わず苦笑いしてしまった。後から思い出しても笑っちゃいました」

という内容だった。

「アホちゃうか!」「アホらしくて面白い」
前述した通り関西では誇るべき褒め言葉である。全然関西人ではないけど、少しは関西の血が混じってきたのかな、と思えばそれはそれで嬉しかった。

僕は辛いこと失敗したことは、時間経過で笑いになると思っている。
誰かが僕の失敗談を「声を出して笑っちゃった」と言ってくれたらとっても嬉しい。

笑いって人を幸せにする。
だから、そういう文章が書けたということは、一人の人を一瞬でも幸せにできたんだってことなんだって思う。

これからも万人ではなくとも、どこかの誰かにとって訳に立つ、そんな文章を書いていきたい。


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