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厳しい言葉【マインド】
私、(今現在)人に対して厳しい言葉が言えないのですが、それはどうしてなんだろう?と考えてみたことを書いてみます。
厳しい言葉
二つの側面
1)厳しいことは言わず、なぁなぁにする
2)泣かせちゃうかもしれないけど、あえて厳しいことを言う
(でも、意地悪とかじゃなくて、必要なことを伝える)
2)って必要なんだと思うけれど、私は(今現在は)怖くてできないです。
あぁ、「怖くて」できないんだ。
と書きながら気づきました。何が怖いんだろう?
①相手に嫌われるのが怖い?
どうかなぁ。嫌われることはもう、大丈夫になったはず。
②相手が、恐怖ですくんでしまうのが怖い?
これかなぁ?自分が相手の立場になった時、私ならめちゃ心臓に悪いから・・・かな?
③厳しいことを言っている時の自分が嫌い。
これもありますね。般若の顔にになっている自分が嫌です。それならば、にこにこしながら言えばいいのかな?
あるできごと
とある勉強の場で、先輩があえて苦言を呈してくれた場面に遭遇しました。
内容は、本当に「ごもっとも」「その通り」で
私は、その苦言の内容を聞くためにその場に居合わせたのだと思います。
そして、私は試されている気がしました。
必要な時には、私もちゃんとこういう苦言も人に言えるのか? と。
両極端を受け入れて、自分のポジションを決める
「できない」?「やらない」?
「できない」と「やらない」は違います。
全ては中庸です。
いいも、悪いもありません。
苦言を呈された後輩さんは、たぶん泣いていたと思いますし、もしかしたら怖くなってもう集まりに顔を出してくれないかもしれません。
それでも、その苦言を呈した先輩を責める気持ちもありません。
全てはその場にいた全員にとって「必要な出来事」であるからです。
両極端を受け入れた上で自分はどうするか決める
さて、その先輩の行為を非難しないとして、私ならできるか?ということです。
ー 自分はできない
ではなく
ー 自分もできる、けれど私は敢えてしない
と自分が選択するのが肝心なのです。
あまあまの自分も、厳しい自分もどちらでもよい。その幅の中で、自分はどのくらいの位置にいると決めるのか、それだけのことなのです。
私も、必要な時には厳しい言葉も人に伝えられるようにしなければ!
お茶会をやっています。
8月のお知らせは以下の通りです。
私自身が、40代半ばから「人生このまま終わりたくない」「でも何をどうしたらいいのかわからない」状態から
手探りでいろいろやってみて今の生活になりました。
その間、悩んできたこと、学んできたことが沢山あります。
もし今、「なんだかわからないけれど、このままではいやだ」という気持ちが少しでもおありならば、そんな方に何かヒントになるものを持ち帰っていただけたらと思い、お茶会をしています。
参加してくださった方からは、「元気が出た」「ヒントを得られた」とご好評いただいております。
インスタライブでは常連の皆様からも、「ここへ来るとホッとする」「話しの引き出しが多くて面白い」と言っていただけます。
そんな「ホッとする空間」で、「今あなたに必要な何かのヒント」を拾ってみませんか?
私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!
両極端をどちらも許容したうえで、自分はその間のどこにポジションをとるか。そこを決めればいいわけです。
ちか (2024.8.4)