【節約生#677】同窓会で話したいことなんてあるのだろうか
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
同窓会で何を話すのか
節約記事を探すのは趣味のひとつでもある。生きがいというわけではないけれども、いろいろな節約に対する思いに触れられる。
先日、節約をしすぎて同窓会で話すコンテンツがないという記事を見かけた。
節約が手段であることを忘れて目的化するといけませんよー、という内容である。けれども、「同窓会で話すことがない」と語る方は出てこない。実在はしないようだ。
同窓会で話すことがないと言って節約にかけた人生を悔やむような悲惨なひとがいなくてよかった、というのが感想ではある。
ついでに、そもそも同窓会で話したいことなんてあるのだろうか、という感想ももった。
記事の著者は、次のように述べている。
批判するわけではないけれども、ふだんから大事な人と飲み会をして、何らかの特別な思い出だとかを断らないでいると同窓会で面白いことが語れるらしい。
実のところ、お酒の席などでの会話が楽しいと思ったことはない。自分の話も相手の話も面白くはない。ときおり話術に長けている人が、他愛もないことを盛って盛って面白おかしくしてくれるくらいである。後には何も残らない、その場だけの面白さである。
昔の話を少しすればよいくらいに考えている自分は少数派だったのかもしれない。
節約の目的、人生の目的はいろいろ
節約の情報を集めていくと、だいたい途中で飽きがきてしまうことが多い。
手段としての節約情報をまとめている人やサービスは多い。たいてい似通ってくる。節約情報を売っていることもあるけれども、図書館で本を借りる程度では、似たりよったりである。お金の使い方の最適化が節約に現れるので、共通してくるのは当然なのだろう。
ちなみに、節約情報にお金を出さないことを裏ルールにしていた。節約のためにお金を出すことは節約道に反すると考えたからである。
しかしながら、節約に向かう姿勢や考え方は人それぞれである。これは少しおもしろい。
人とのつながりは大事であることは共感できる。人とのつながりを捨ててまで節約にのめりこむことが悪かどうかはちょっとわからない。それもその人の想いだろうから。節約にのめり込んだ結果としての同窓会で語る面白いコンテンツがないことについては、自分とはまったく違う価値観であった。
ただ、違う価値観に触れると、自身の考えを再考するきっかけになる。そういう意味で楽しい記事であった。