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やべ、すーさんが本気出してきた。

こんにちは!チャレンジラボです!!

8月開所に向けて、ラボには様々な方が見学に来てくれています。
ラボのスタッフになりたい方、そしてサポーターを検討している方。
学校の先生や同じく就労支援事業所の方など。
そして、今朝はクモも来てくれました!!! 益虫ラッキー!!!

と言うことで、開所を目の前に、すーさんが「本気出していいですか?」と真顔で言うもんだから、「あ、まずは友達からで・・・」とよく分からない返事をしてしまいました。どうも、おもさんです。

さて、すーさんは日々引きこもりの支援団体に挨拶回りに行ってくれています。普段は静かなすーさんですが、営業トークは泣く子も眠るほどおしとやかで評判です。

誤解を招いたら恐縮ですが、我々は「支援」や「福祉」と言う言葉そのものはあまり好きではありません。インフラとして必要だよね、程度です。
やりたいと言う気持ちがバックボーンにあって始まるわけですが、必要なこととしてやる!と言うだけでもあります。

弊社には常にクレバーなサビ管「かっさん」がついてますから、おじさん二人が暴走しそうになった時に、冷ややかな目で睨みつけることによって絶妙な手綱操作をしてくれます。いつもありがとう。

と言うわけで、今日はすーさんが小説を書いてくれました。
始めに言っておきますが、私は全く頼んでいません!

小説書いてなんて頼んでおりません

私「なぜ小説を書いたの?」
すーさん「ペンが勝手に動いたんですよ」
私「じゃあ、行こう!!!!」

って感じでした。

昔、病院勤務時代にほとんど自発動がなかった80歳代の患者さんの家屋調査に行った時に、家につくなりその患者さんはのそのそと居間に自力で歩き、こたつの前にドカンと座って、囲碁を打ち始めたんです。
びっくりしたのと同時に、私は囲碁をほとんど知らなかったので、囲碁について聞いてみました。

私「囲碁って将棋とは全然違うんですか?」
おじい「囲碁はね、石と石との戦いなんだよ」
私「へー、どういうルールなんですか?」
おじい「石で石をやっつけるんだよ」

って会話をした時くらいの衝撃でした。

この顔便利すぎ。


前置きが長くなりましたね。
それでは、すーさん小説お楽しみくださいませ!

3分で読める? すーさん小説

嘗てイエス・キリストは弟子たちを相手に数え切れないほど多くの例え話をした。その意味を聖書の中でキリスト自身何らかの教訓を得るためであると語っている。私は時々小説を書くが、小説というのも、あるいは、映画や芝居、舞台のようなものもある種の例え話ではなかろうか。私は来年とうとう50歳になるがまだまだ人生の教訓と言うのが沢山必要だ。それはなぜかというと私にも悩むことがあるからである。少し前からよく言われるいわゆる「生き辛さ」を感じる人々にも多くの教訓が必要なのではあるまいか。その一助となるため今回「すーさんコラム」に小説を書いてみた。3分で読めるショートショートです。尚、タイトルと本文は全く関係ないのでご了承下さい。


アラビアン・モーニング


マダム・マチルダの仮面舞踏会に、フルーツの仮面を付けて行ってから、ダイアナ ・ローガンは一躍街の人気者となっていた。

そのフルーツの仮面は、時に女たちを無垢な少女のように恋をさせて、時に男たちを蠱惑的に夜の街へと誘うのだった。

またマダム・マチルダの仮面舞踏会に、フルーツの仮面を付けて行ってから、ダイアナ・ローガンに求婚するものが、後を絶たなくなっていた。

若くしてジョン・ホプキンス大学の教授となり、立派な顎鬚を蓄えたブライアン・アダムスもその一人で、彼は毎日のように、フルーツの仮面を付けたダイアナ・ローガンに、薔薇の花束を贈るのを怠らなかった。

ブライアン・アダムスは明晰な頭脳を持つだけでなく、その誠実な人柄でも知られていた。三度の食事の度に神への感謝の言葉を忘れなかった。暇さえあれば、世界中の人々の幸福のために祈っていた。

フルーツの仮面を付けたダイアナ・ローガンを誰もが羨んでいた。そして、ダイアナ・ローガンの誠実で温厚な人柄から、多くの人が彼女に声援を送った。親友のパトリシア・モーリスもブライアン・アダムスから薔薇の花束が贈られてくる度、半ば嫉妬しながらも、ダイアナ・ローガンの背中を押した。

弟のチャック・ローガンは、得意のギターを掻き鳴らしながら(尚、不登校気味で、背中に漢字で「鈍痛」というタトゥーを入れたチャック・ローガンが「キル・オール・ザ・ピープル」というバンドでボーカルを担当していることは姉弟だけの秘密だった)、ダイアナ・ローガンのために愛の唄を歌った。

でも、ダイアナ・ローガンは悩んでいた。フルーツの仮面を外せば、自分はただの平凡な女の子。ダイアナ・ローガンはそれをよく知っていた。

一人鏡の前でフルーツの仮面を外しては、ダイアナ・ローガンは溜息を漏らしていた。フルーツの仮面を外したダイアナ・ローガンはラクダに似ていた。

今日もブライアン・アダムスから両手で抱えきれないほどの薔薇の花束が贈られてきた。

ダイアナ・ローガンの心は激しく傷んだ。一人胸に抱えきれずに、ダイアナ・ローガンは、夕焼け時には麦畑が真っ赤に染まる聖セバスチャン教会の主任修道女、マザー・マクダレナの下を訪ねた。

強い風が吹き両脇で麦畑が燃えるように靡く中、ダイアナ・ローガンは教会へと続く坂道を上った。

まだ何も疑うことの知らなかった幼き日、毎週通った懐かしいあの教会。あの頃と変わったことと言えば、教会の外壁に絡み付いた蔦が太く長くなっていたことぐらいであった。その教会の壁も夕日を浴びて炎のように真っ赤に染め上げられていた。

教会の重い扉を力を込めて開くダイアナ・ローガン。祭壇の前には両膝を折り、祈りを捧げるマザー・マグダレナの姿があった。

いつの間にかその両目から、大粒の涙を流すダイアナ・ローガン。マザー・マグナレナはゆっくりと振り返ると、その胸にダイアナ・ローガンを迎えた。マザー・マグナレナはダイアナ・ローガンを優しく抱き締めながら言った。

「街で起きていることは私の耳にも入っています。フルーツの仮面を付けたまま生きて行きなさい。フルーツの仮面を付けたあなたもあなた。ラクダに似たあなたもあなた。主はあなたを許すでしょう」

マザー・マクダレナの言葉に頷き、ダイアナ・ローガンはフルーツの仮面を付けた。振り返るとそこには抱えきれないほどの多くの薔薇の花束を抱えたブライアン・アダムスがいた。そしてまたその隣にはマダム・マチルダの姿があった。マダム・マチルダは言った。

「フルーツの仮面を付けたあなたも素敵よ。でも、フルーツの仮面を付けるかどうか迷っているあなたはもっと素敵よ」

「マダム!」とダイアナ・ローガンは言った。

そして、気付いた時、ダイアナ・ローガンはブライアン・アダムスの胸の中に飛び込んでいた。


解釈はそれぞれでいい。

この小説から何を汲み取るか。
すーさんは何を表現したかったのか。
ぶっちゃけましょう。なんでもいいんです。

言葉を初め、あらゆる表現は、表現された瞬間に自分を手離れます。
この文章は私おもりが書きましたが、読んでくださる方が脳内で翻訳して解釈されるでしょうから、私はそのことを知る由もありません。
かろうじて、リアルな私を知っている人はこの文章を「うすら関西弁」で音声再生しているのではないでしょうか。

言葉は時に誰かを励まし、時に傷つけたりするもんです。
だから、慎重に言葉を選ぶべきだとは思いますが、どんなに慎重に扱っても、どう受け取られるかは分からない。
誤解されることもあるでしょう。

きっと、この文章を読んでいる人は「おもりはふざけたやつだ!」と思うかもしれませんが、多分想像の600倍は真面目にふざけています。誤解しないでくださいね。

さて、すーさんが書いてくれた一つのストーリー。
そこからあなたが感じたものはなんでしょうか?

「すーさんはきっと素敵な人なんだろうな」
「そうか、仮面はつけっぱなしにしてもいいんだ。」
「今日も暑いな」

ナイスチャレンジ!!!!!!


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