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怒り
人の怒りは滑稽で、不思議で、おもしろい。人の怒りは僕にとってのエンタメ。怒ってる人をみると笑いそうになってしまう。
でも、笑ったら火に油を注ぐようなものだ。目の前の人はさらに怒る。ごちそうさま、メシウマである。
なぜ怒りは「おもしろい」のだろう。
怒りってエネルギーを使うことだ。人が発するエネルギーに限界があるけど、わざわざ怒りでエネルギーを消耗するなんて、もったいない。だからこそ、僕はそこに「おもしろさ」を感じるのかもしれない。
「怒りの無駄さ」はおもしろい。川の下流の水を上流に運ぶくらいの無駄さを感じる。
怒りなんて、エネルギー界のオナニーだ。
衝動的な感情で怒ったところで、相手がただ萎縮するだけ。「怒りの効果」なんてタカが知れている。ただ自分がすっきりしたいから、怒るのだろう。
一瞬のスッキリ感のあとにとてつもない倦怠感にさいなまれるはずだ。いわゆる「賢者タイム」である。僕自身、怒りのピークから賢者タイムまで、一連の流れを楽しんでいる。さっきまで怒っていた人が、数分後には笑顔になるなんて、ナイスな展開なのである。
さながら、ミステリー小説のどんでん返しに近いおもしろさ。ミステリー小説と怒りが好きな僕にとっては、ありがたい話である。
もちろん、「怒りはおもしろい」と捉えるのは、多数派ではないことは十分に理解しているつもりだ。とはいえ、生まれながらの思考のクセを変えることはできない。
そもそも、僕の中で「怒り」という感情が芽生えることがほとんどなく、人々の怒りに共感できないからかもしれない。僕が怒ることはないが、怒られることは多数。
大人になっていまでは、「怒り」についての理解を深め、多少は怒られる機会も減った。怒られることはないだろう。