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それと、この先の人生とか。

来年どこに住もうか、と考える中で
最近もうひとつ思っていることがある。


わたしはこれまでずっと、せいちゃんと二人で暮らしをつくることをひたすらに考えてきた。

鳩間に行って、やっとふたりでの暮らしをつくる第一歩を今年踏み出せた。

鳩間の暮らしは非日常的だとおもうけど、慣れてしまえば、とても住みやすい。

お金を使うところもないし、都会とは比べようもないほどにのんびりしている。急か急かしているひとは、ほとんどいない。

せいちゃんにとっても、教育環境としては抜群にいいと思う。ここでしか出来得ない経験を、この1年でもたくさんさせてもらっている。

行動範囲は相当限られているが、仕事をするにもいい環境だと思う。停電さえしなければ、wifiもあるし、余計な誘惑もほぼない。

自分さえ集中していれば、朝から夕方までがっつり8時間くらい仕事もできてしまう。反対に、一日中寝ていようと思えば、それも叶ってしまうけど。

ただ、鳩間にいてひとつだけ悩むことは、仲間が居ない寂しさだ。

これまで私はなんだかんだと関東にいて、せいさんちゃんが生まれてからもずっと仕事ばかりしてきて。常に誰かに会える環境にいたから、寂しさなんて感じたことがなかった。なんなら、人付き合いなんてめんどくさいと思ってきた。

だけど、鳩間に行って、せいちゃんと二人で暮らして。行く場所と言えば、加治工くらいで。

仕事仲間もママ友も居ない暮らしに、最初はなんてことなかったけど、この秋くらいから無性に寂しく感じるようになって。他愛もないくだらない話を、わざわざ会わなくてもできる環境の素晴らしさを実感した。

埼玉に出張に行ってたくさんの人に会って帰ると余計に感じたし、子守のためにお兄ちゃんが来てくれたときも、帰ったあとに二人っきりの暮らしに無性に寂しさを感じた。

そのせいか、今まで全く思ったことなんてなかったけど、最近、結婚したいと思うようになった。正確にいうと、一緒に暮らしをともにする家族がほしいと思った。

これまで私は、せいちゃんとふたりで幸せに楽しく暮らすことを考え続けてきたけど、別に二人でなければいけない必要はなくて、3人でも4人でも、新しく家族をつくってみんなで楽しく暮らすのも、それはそれでいいのかなあと思えるようになった。

きっと実家にいて、相変わらず仕事をしてたら、こうは思わなかっただろう。環境ひとつで、気持ちは変化するもんだなあと自分でも驚いている。


そんなことを思いながら、特に相手は居ないんだけど。とりあえず、いまのわたしは正直どこに住んでもいいと思ってるし、もし誰かいいパートナーが見つかったら、好きな場所に住んだらいいと思う。

それが埼玉だったらいいのかもしれないけど、もし埼玉よりも一緒に居たいと思えるひとがいたら、埼玉じゃない場所に住むのかもしれないし。鳩間で一緒に暮らせるひとがいたら、それはそれで楽しいかもしれない。

それもいいなあって思いながら、でも埼玉のことはずっと心のどこかに引っ掛かっている。

この天秤のかけ方はおかしいのかもしれないけど、でも私にとっての選択の仕方は、結局そこなんだ、とこの年末に改めて実感してしまった。

実をいうと、最近、埼玉じゃなくていいかなってちょっぴり思ってる自分もいた。なんとなく、新しい何かを踏み出したいなとか、思ってる自分がいる。

だけど、12月に入ってから、なんどか埼玉に通っているうちに、やっぱり思ってしまったのだ。

わたしは、この街のひとたちがすきだ。どうしようもなく、この街のひとたちがすきなのだ。

この街の人たちといると、わたしはとても幸せだと思える。
この街の人たちは、わたしのことをいつも温かく迎えてくれる。
この街の人たちは、わたしにとって仲間なのだ。

わたしとせいちゃんの新しい家族になってくれる人がもし現れたとき、それがもし埼玉ではない場所に住むことになったとき、わたしはこの街の人たちとの日常を諦められるのだろうか。

いや、手放さなくて済む方法があれば、それが一番いいのだけれど。でも結局のところ、わたしが埼玉でやりたいことは、この街の人たちとの日常を共有することなんだと思う。

どこに住んでもいいし、どこに居てもいい。埼玉に捉われる必要なんてない。そう思ってる自分がいる一方で、埼玉から離れたくない自分がいる。

おかしなことだけど、でもそれが正直な気持ちなんだから、しょうがない。

でも、こんなことしてたらいつまで経ってもわたしたちに家族はできないのかな、とも思ってしまう。埼玉が私にとっての拠り所である限り、なかなかこの先の人生は、進まないなあなんて。

2022年の4月から、わたしたちは一体どこで暮らそうか。

鳩間の暮らしは、それなりに気に入っている。何よりせいちゃんと向き合うには、とてもいい環境だから。鳩間にいるほうが、私がせいちゃんと一緒にいる時間は確実に長いし、良くも悪くも向き合う時間が多くなる。

きっと埼玉に住んだら、わたしは楽しくなってしまって、いろんな人に会いたくなってしまって、せいちゃんといる時間は鳩間よりも減ってしまう気がする。

それが悪いことではないけど、でも、いまの二人にとって、果たしてどんな環境に身を置いているのが一番いいのか。それが、答えなんじゃないかと、思う。

2021年の年の瀬に、誤魔化してきた自分の気持ちにちょっぴり気づいてしまった。

でも、それに気づいた今だからこそ、2022年はどこに居ようと、誰と居ようと、この街の人たちと一緒に過ごせる日常を、せいちゃんにとっての居場所を、まずは作ってみたいと思っている。それはきっと、住む場所としての選択肢だけではない方法がきっと、ある気がする。たぶん、だけど。

鳩間にいると、これが日常だなとも思うし、でも埼玉に帰ってくるとこれが日常だなとも思う。どちらも今の私にとっては日常であり非日常であり、なんというか、ほんとうに夢を見ているようなんだ。

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