チャガタイ中野
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これまでの人生を「岐路」を中心に振り返った自伝的エッセイ集です
同人文芸誌「溶鉱炉」にて執筆した小説を掲載します
普段の日曜日は妻と娘と三人でどこかへ出かけるのだが、妻に所用があったため、昨日は私だけで近所の公園へ娘を連れていくこととなった。寒空の昼下がり、公園に他の親子の姿はなく、陽の当たる片隅で老人たちが青空将棋に興じているだけだった。 1時間ほど砂場でのアイスクリーム屋さんごっこに付き合っていたけど、さすがに寒くなってきたので、まだ遊びたい娘を連れて近くにあるイオンに向かった。突っ張りポールを買わなきゃいけなかったことを思い出して探したけど欲しいサイズのものがなく、あとで車で
連続岐路エッセイ 最終回 仕事を失うまで、残り二ヶ月を切っていた。 ちょうどその頃、東京の外れにある大手自動車工場に季節工として働きに来ていた三〇歳の従兄弟が、契約期間を満了して長崎へ戻ろうとしていた。この一年、私は彼に付き合って東京の色々な場所を案内していた。 三〇歳になるまで長崎を離れたことがなかった彼には「一度は東京で暮らしてみたい」という願望があったらしい。彼は週末の度に都心に出てきては、精力的に色んな街を遊び歩いていた。たった一年間であったが「東京 は楽しか
連続岐路エッセイその④ 試験に合格したとは言え、じゃあすぐに行政書士として食っていけるかというとそんなわけはない。私はしばらくは派遣社員を継続しながら資格をどう活かすか考えることにした。派遣先は大手広告代理店の子会社でDTPを専門にやっているところだった。前職のスキルが十分に活かせる職場で人間関係も悪くない。残業は多く、たまに徹夜作業もあったが特に苦にすることなく、ストレスを感じることはあまりなかった。 この職場で、私の運命を大きく変える……ことはなかったが、その後の
連続岐路エッセイその③ 卒業後は上京するつもりだという話をしたら、北九州で何となく演劇をしながら暮らしていた一人の先輩が「俺も東京に行って芝居しようと思ってたんだよ」と言ってきた。じゃあ節約のためにも向こうで同居しようかという流れで話は進んでいった。この先輩が木村である。 木村は特別芝居が上手いというタイプではなかったが、ハートが強く恥じらいのないぶっ飛んだ演技が出来る稀有な役者で、彼だったら東京の演劇シーンでも通用するんじゃないかと思っていた。 上京直前の一九九九
連続岐路エッセイその② 演劇をやりたいと言いながら具体的なイメージがまったくなかった私は、大学の演劇研究会に入って、その本気度にまず驚かされた。生っちょろい部活動などではなく、それはほとんど劇団であった。会場は外部のホールを借りる、照明は自分たちで回路図を書いて吊りこんでいく、舞台装置や小道具、衣装などももちろん自分たちの手作りで、搬入から舞台の設営までには二、三日の期間を要する。そしてチラシ、ポスター、パンフレットのデザイン、版下作り、印刷会社への入稿、パンフレットに載
連続岐路エッセイその① 一九九四年、当時十九歳だった私は大学進学のために長崎を出た。将来に対する目標など、何も持たない無気力な若者だった私は、ただ「このまま働きたくない」という、とても後ろ向きな理由で進学を志していた。大学選びも「演劇サークルがあるところ」という、学問とは何ら関係のない部分を重視していた。そしてとにかく実家を、長崎を出たかった。 なぜ演劇サークルなのか? 何も打ち込むもののない高校時代を送った当時の私が唯一やりたかったものが演劇だった。 そもそも、
宋建民 1 『本日、新宿歌舞伎町の雑居ビルで殺人事件が起きた模様です。今日午後七時ごろ、会員制クラブ『ブルーバタフライ』の店内で、指定暴力団工藤組の幹部金山龍一、四十七歳が突然店内に入ってきた何者かに銃撃されました。その後、病院へと搬送されましたが、間もなく死亡が確認。発砲した男はサンタクロースの格好をしており、そのまま逃走。周辺を巡回していた警察官が追いましたが、逃げられたということです。警察は暴力団同士の抗争だとして、男の行方を追うとともに、さらに調べをすすめる方針です
由里子 1 こんなはずではなかったのに―― 江口由里子はクリスマスの甲州街道を新宿から初台へ向かって歩きながら、先ほど起こった出来事を反芻していた。 「妻とは別れて、お前と結婚するつもりだよ」 そんな言葉が嘘だということはもちろん分かっているつもりだったし、本気で言っているなんて信じていたわけではない。 ここ一カ月ほど体調がすぐれずイラついていたせいだろうか、どうしてあんな言葉が口をついて出てしまったのか、今になっても分からない。 「ねえ、奥さんといつ別れるの?
綾野 2 穂村の話が一段落したあと、少しためらいはあったが綾野はひょんなことから手に入れた拳銃の扱いについて相談することにした。 説明するよりも実物を見せた方が早いと思い、紙袋から慎重に取り出してテーブルの上にゴトンと置く。それは、俗にリボルバー式と呼ばれるものだろうか、六発の弾が装填出来る回転体の付いた一丁の拳銃であった。さらに袋の奥には、ご丁寧にチョコレートの箱にカモフラージュして入れられた十数発の弾までついている。穂村はチキンを頬張りながら、その咀嚼をやめることな
穂村2 穂村は九州の筑豊地方の出身である。昭和初期から高度成長の時代にかけて発展した炭鉱の街だ。 穂村が物心ついた頃には、もう現役で採掘している炭鉱はなかったが、周りには人が住まなくなってもぬけの殻となった炭鉱住宅や、稼働を止めたまま何年経っても処分されない工場や設備が廃墟と化して点在していた。 近所の子供たちは、この廃墟を遊び場としていたが、あるとき廃工場の壁が崩れて、遊んでいた子供が足に怪我をするという事故が起こった。これを期に自治体がこの辺りの廃墟を立入禁止地区
綾野1 待ち合わせの場所は歌舞伎町の入り口となる、ドンキホーテ前の角であった。ジングルベルが鳴り響く街は浮わついたカップルで賑わっている。今年はクリスマスイブが金曜日だということで、例年よりも一層人出が多いのだろう。そう思いながら、独身で恋人のいないは、同じく寂しいバツイチ独身の男友達、穂村の到着を待っていた。 穂村は綾野の大学時代の同級生だ。この二人に竹本を合わせた三人が学生時代から三十八歳となったいまでも、親友として仲良くやっている。穂村は今年の始めに離婚したとは
穂村1 築地にある国立がんセンターを出た穂村雄介は、地下鉄に乗って新宿へと向かっていた。今日は歌舞伎町で綾野と飲みに行くことになっている。座席に腰を下ろすと、向かいに座る六歳くらいの女の子が隣の母親にプレゼントをねだっている。「はいはい、いい子にしてたらサンタさんが持ってきてくれるかもね」と母親は軽くいなす。 今日はクリスマスイブだ。その隣では二人組の女子高生が、これから行くのであろう友達の家でのパーティーの打ち合わせを時折笑い声を挟みながら賑やかに話し込んでいる。さすがに
八月九日、午前十一時〇二分――。 長崎では大人も子供もみな一斉に動きを止め、かつての被害者たちに黙祷を捧げる。いや、厳密にいうとみんながみんな黙祷するわけではないだろう。車を運転中の人、接客中の人、現場仕事の真っ只中の人などはそれどころではないのかもしれない。ただ、心のどこかで「ああ、この日この時間か」と思いを馳せる。せめて長崎に生まれたからには、せめて何か縁があって長崎に住んでいるからには、そうあって欲しいと願うのは、被爆二世として生まれた俺のわがままだろうか。 も