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24.養子に出されかけたその後

養子縁組の誓約書に署名捺印をしたその後。

『もううんざりだ!お母さんも出てってくれ!』
父も色々と溜まっていたのだろう。
今度は出ていけ話が、突然母にまで飛び火した。
展開が急すぎる!!
落ち着け、おやじ!!!

これには母も予想してなかったようで、今朝流した涙とは別のものを早速流すことになった。
『何で!ひどい!あんまりだわー!!』
母が大きな声を出して、うわーと泣くので、私は急に冷静になり、私たちは行き先があるけど、ここで父親に捨てられたら母親はきっと一人では生きていけない。直感的にそう思った。
そして、自分が養子に出されるのはいいけど、母親を追い出さないでくれ。どうかどうかお願いします。と心から神様に祈った。

そうこうしているうちに朝になって、弟と妹が起きてきた。物々しい雰囲気にただ事ではないと察知したらしい。『どうしたの?』と妹が両親に聞くと、
『もうこの子(私)はうちの子じゃないから、お姉ちゃんだと思わなくていいからな!』
と朝一番でなかなかショッキングな内容を小学生たちにぶっこんでいた。
オイオイ、朝からステーキ並みに重すぎやしないかい。胸焼けしちゃうぜ。。。

弟も妹も何と答えたらいいかわからずうろたえていて、そのまま隣のキッチンに行くように促され、重い空気で朝食を食べていたと思う。ある意味すげーよあんたたち。

昨夜からのジェットコースターっぷりについていけず、私は疲れもあってか急にものすごい眠気に襲われたのを今でもハッキリと覚えている。

はあ、なんか何もかも疲れたなぁ。。
何でいつもこうなっちゃうんだろう。
野生のゴリラ(姉)は勝手に家を出ていくし、親は離婚だし、私は養子に出されるし、ほんとM子のせいで一家離散だよ!本当にそうなったら一生恨んでやる!!

私はぶつけどころのない怒りを今は自宅でたっぷり絞られているであろうM子へ向けるしかなかった。
いくらイキがっていても、しょせん中学生なんて親がいないと生活できないし、ものすごいダメージを受けるのだ。
この先どうなってしまうのだろうという底知れぬ不安が私を襲ったのだった。

翌日M子と学校で会ったら、気まずそうに『ごめんね、大丈夫だった?』と言ってきたが、
きっとM子の想像の範囲を超えた内容なので、そのまま話すとさすがに気の毒に思い、何となくうやむやに苦笑いをしてその場を切り抜けた。

それからしばらくは親の気が変わるようにと、私は務めておとなしくお利口さんに過ごした。家も家族もなくなったら、中学生の身分で収入もないし、携帯電話も持っていないので
路頭に迷ってしまう。
彼氏も同じ中学に通っていたのだが、実家住まいで家族構成が訳ありなので住ましてもらえる訳も無いし、友達の家だって数日が限界だ。
本当に養子に出されたら、引っ越しするだろうから、友達と離れてしまうな。
どのくらい遠くに行くんだろう。
県外だったら、いじめにでもあったらどうしよう。
頭の中で想像力が猛威を振るい、私を恐怖のどん底に陥れた。
こんなに毎日養子に出されるのか心配しないといけないの、ほんとに嫌だ!!
早くこの恐怖が終わってほしいと毎日眠りにつくときにお祈りをした。

騒動から1週間たっても、親が離婚届を書いている様子も、私が養子に出される話も一切なかったので、どうやら私はこのままこの家で住み続けていいようだ。
何となく日常が戻り、毎日中学校に通い、いつも通りが戻ってきた。
1か月くらいたって、さすがにもうないだろうと確信し、私の養子縁組計画は静かに無かったことになったのだった。

今は父親が亡くなってしまったので、あの時の事を聞けないが、もし生きていたら本当に手放すつもりだったのか、どういう気持ちだったのかを聞いてみたいとNOTEに綴りながらふと考えたけど、結局聞かなくて良かったとも思う。
今思い出しても、おなかの奥のほうがぞぞぞっとして、複雑な心境になるエピソードだ。

でも我が家の騒動はこんなのまだ序の口だった。
中学生の私が想像できない困難が、まるでアドベンチャーゲームのように次々と仕掛けられ起きていくなんてこの時はまだ知る由も無かった。

つづく

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