
角田光代訳『源氏物語』感想 その2
はじめに
河出書房書房新社「日本文学全集5『源氏物語 中』」の感想です。これには「玉鬘」〜「雲隠」まで収録されています。
光源氏をはじめ、主要な登場人物たちは中年から老年期になっていきます。上巻で行動的だった人たちが落ち着いてくるのですが、次世代の人たちがびっくりすることを起こします。紫式部の話を組み立てる力を感じます。
読んでみて
出世魚のように呼び名が変わります
光源氏以外の人たちは、出世魚のように呼び名が変わります。
顕著なのは頭中将。光源氏の仲の良い友人であり義理の兄である彼は、出世するたびに内大臣、太政大臣、致仕の大臣と呼び名が変化していきます。役職名で呼ぶからでしょうが、読んでいる私は頭が混乱します。
さらに上巻で登場した明石の君。都に来てからは明石の上となり、娘が入内すると明石の御方になります。
明石の御方と光源氏との娘、明石の姫君は入内後明石女御となり明石の中宮と呼ばれます。この母と娘の呼び名が頭のなかでごちゃごちゃして困りました。
その度に登場人物の関係図を見ていました。
夕霧と柏木
光源氏と葵の上との息子の夕霧と頭中将(内大臣、太政大臣など)の息子は、それぞれに夕霧、柏木と変わらず呼ばれるので助かります。
このふたり、非常に良い性格でしかも頭もよく容姿も良いという非の打ち所がないのですが、仰天行動を起こします。
柏木は光源氏に降嫁した女三の宮に無理やり関係を持ち、子ども(薫)まで生まれます。
夕霧は柏木亡きあと、彼の妻である女二の宮と強引に結婚を迫ります。
なんてことでしょう!
品行方正で真面目だと評判の人間ほど男女の関係には疎く、突飛でもないことをするということを紫式部は知っていたようです。
女性の気持ちは二の次、三の次
光源氏が若いころ、1度だけ会ってそのまま亡くなってしまった夕顔。彼女は頭中将との間に娘がいました。その娘が玉鬘。光源氏は玉鬘を探し出し、自分の屋敷に住まわせわす。
誰と一緒にさせようか、宮仕えさせようか、いっそのこと自分の妻にしようか、と光源氏のなかでそういう思いがぐるぐると巡ります。
玉鬘は早く実の父である内大臣(かつての頭中将)に会いたいし、宮仕えは不安だとも思っています。光源氏は玉鬘の気持ちなどそっちのけ。玉鬘に聞くこともしないのです。
朱雀院(かつての帝)の内親王である女三の宮が降嫁してくる時の紫の上の気持ちも、尋常ではありません。事実上の北の方(正式な妻)なのですが、後ろ盾があるわけでもなくこれから自分はどうなるのだろう、と不安でたまらなくなります。
そこで出家したいと光源氏に訴えるのですが、光源氏は許しません。
同じく六条御息所の娘、秋好(あきこのむ)中宮も母の霊を慰め、成仏させたいと出家を望みますが、こちらも許されません。
女三の宮は光源氏にはあまり気に入られず、しかも紫の上が倒れてバタバタしている時に柏木に迫られます。断っても柏木が部屋に入ってきて、怖くて震えているのに強引に迫られます。かわいそうに。
女三の宮の姉、女二の宮は柏木が亡くなったあと結婚を迫る夕霧を遠ざけようとしますが、夕霧はそんなことお構い無しに結婚を進めていきます。
夕霧には雲居雁という内大臣(かつての頭中将)の娘が妻としているのに。
全く男たちは女君たちの心がどうなのか、慮ることをしないのです。なんてことでしょう!
平安時代の貴族社会のことが少しわかりました。貴族に生まれた女性たちは我慢を重ねて生きていたのですね。
笑いものになる
もう一つ、貴族社会の中では他人の目をとても気にして生きていたことがわかりました。
何かといえば「笑いものになるかもしれない」と考えるようで、どの登場人物たちもつぶやいています。
本当に窮屈な貴族社会です。
紫の上
紫の上に何でも話す光源氏
上巻の若紫の帖で登場する紫の上。「雀の子を犬君が逃がしたの」と祖母に訴えるかわいい姫様は、光源氏に引き取られ美しく教養高い人に成長していきます。まさに光源氏の理想の人。
それでも光源氏のほかの女君に対する興味は尽きません。
そして女君たちのことを紫の上に何でも話してきかせるのです。紫の上は本来ならば聞きたくない話なのだろうけど、ちゃんと聞いて光源氏の話相手になっています。
ある時、葵の上と六条御息所と明石の御方に対する光源氏の率直な気持ちを、紫の上に話しました。
三人とも気詰まりで、光源氏はこの人たちの前ではくつろげないと言います。三人とも教養のある人たちで、そこは光源氏の認めるところでありますが。
これを聞いてわかったのは、光源氏は紫の上の前ではリラックスできて心が和むのだということです。光源氏にとって紫の上が1番なのです。
六条御息所がやって来た!
ところが光源氏が紫の上に話したことを聞いていた人物がいました。すでに亡くなった六条御息所の怨霊です。怨霊は紫の上にとりつき紫の上は苦しみ出します。
怨霊は憑依した女童(めのわらわ)の口を借りて話し出しました。光源氏が六条御息所のことを「心のひねくれた付き合いにくい女」と言ったことが許せないと。
さらに紫の上を憎いとは思わないが、光源氏は仏神の加護が強くて近づけないので紫の上に取り憑いたとまで言いました。
とんだとばっちりの紫の上。でも笑い事ではありません。紫の上は危篤状態になってしまいます。
六条御息所はかなり粘着質のようで。この噂を聞いた秋好中宮が、出家して母親が成仏できるように拝みたい、と言った気持ちもわかります。
紫の上は幸福だったのでしょうか
光源氏が紫の上に
「あなたは私に引き取られたから幸せなのだよ」
と話したことがあります。
なんて恩着せがましい!と思ってしまいました。
紫の上は光源氏の理想の女君として育てられ、光源氏がリラックスできてホッとできる人です。ほかの女君のところへ行っても文句も言わないし、光源氏には都合の良い女君に育っています。
紫の上は幸福だと感じているのでしょうか。
紫の上が母方の祖母に育てられたのは、父である式部卿宮の北の方がキツイ人だったからです。「真木柱」にちょっと登場するこのふたり。このふたりのもとでは、紫の上がどのような扱いを受けたかわからないと思いました。
やっぱり光源氏に引き取られたほうがよかったのだろうとも思います。
でもなんだかね〜と釈然としません。光源氏の女性関係が派手すぎるもので…
さようなら 光源氏
紫の上の死
六条御息所の怨霊に取り憑かれ危篤状態に陥った紫の上。奇跡的にも回復の兆しを見せます。が、少しずつ少しずつ体力が落ちていきます。そして静かに亡くなりました。
その後の光源氏はぼんやりと日々を過ごしていました。紫の上が生きていればこんなことを言ったかもしれないな、と思ったり、紫の上にこうしてあげればよかったなあ、と後悔したりしていたのでしょう。
光源氏のこの様子を知ると、この二人はとてもいい夫婦だったのだと思います。光源氏に文句ばかり言っている私ですが、お互いにお互いを必要としていたとわかります。
いつまでも光輝く君
淡々と時間は流れて紫の上の一周忌が終わりました。その年の暮れ、罪の消滅を祈る祓う仏名会に久々に人前に姿をあらわした光源氏。さらに美しく光り輝きいっそうりっぱに見え、導師をつとめる僧は思わず涙したそうです。
ここを読んだとき、光源氏はいわゆる生物学的な「ヒト」ではないかもしれないと思ったのです。
光源氏を形容する「光り輝く」という言葉は何度も繰り返されてきました。若い時から、彼の姿、彼の奏でる音楽、彼が舞う姿などは、見ている人たちが思わず涙すると描かれてきました。
彼はいったい何者なのでしょう。『竹取物語』のかぐや姫のような存在なのか、人間界にやって来た菩薩様なのか…。こんなことを想像していると、紫式部がクスクス笑っているような気がします。
「雲隠」という表題だけの帖を作り、余韻を残した紫式部のセンスは本当に素晴らしいと感じます。
光源氏のことをいろいろ想像できますもん。
次は宇治十帖
「桐壺」〜「幻」まで、光源氏の一生を読みました。さまざまな登場人物が出てきましたが、強く印象に残っているのは光源氏と紫の上です。結局私にとっては『源氏物語』はこの二人の話だったようです。
そして次世代の話が始まります。
女三の宮と柏木の息子の薫は、筍をつかんでそのまま口に入れヨダレでダラダラになった乳児として登場していました。こんなにリアルに描写された赤ちゃんは、『源氏物語』のなかではいません。
幼児の匂宮は仏名会が終わったころに
「鬼やらいに大きな音を立てるには、何をしたらいいでしょう」
と言いながら走りまわっていました。
この二人が成人してどんな騒動を起こすのでしょう。
高校の授業で学んだはずですが、すっかり忘れてしまった私です。