理想の社会科教師とは何か

経緯

実務経験がない私の意見は理想論でしかないだろうが、大学生が理想を語らず誰が語るんだ!の気持ちで書いていこうと思う。理想の教育像なんて学習指導要領に書いてあるじゃないか、という意見も一旦無視する。

公民科(社会科)はしばしば暗記科目だと思われがちだ。共通テストを見ても、多少説明文や導入が長くなったくらいにして結局はキーワードと人物を結び付けて覚えておけば結局8割程度は取れる知識ゲー的な要素がある。選択式ではそれが限界であることなど重々承知だが、公民科をただの暗記科目だ、詰込み勉強の一個に過ぎないのだと思っているのであればそれはとても勿体無いことだと私は思う。社会科教員に求められるのは、この詰込み式では得ることが出来ない体験や知見を与える力ではないかと考える。具体例は後述する。

そもそも、私が社会科で最初に好きになったのは歴史だった。小学生の頃は戦国時代の歴史マンガを見てはノートに戦いの名称や武将の名前を写していた。(今思うとよく分からないことをしていたなと思う)
高校に入ってからは世界史に興味を持った。歴史上の出来事に全て理由がある(意図がある)ことが妙に面白いと感じていた。特に18~20世紀の欧米諸国の動向は興味深かった。フランス革命はなぜ起きたのか、ヒトラーの何がドイツ国民を引き付けたのか?そんなことに興味を持って調べていくうちに、ル・ボンの著書『群集心理』と出会った。この本の大筋を大雑把に言えば「集団になった時の人々の行動は個人での行動と異なる」という考察をフランス革命を例に主張している。社会というものに興味の幅が広がったのはこの本に出合ってからだと思う。

大学に進学した後も社会、人間への興味はあった。(講義としてがっつり学ぶことは出来ていないが。)教育や政治、経済について学んでいくうちに、私は公民科を教える意義として暫定的な一つの結論を導いた。それは「現実というゲームのルールと仕組みを教えることと、プレイヤー(自分自身)を動かすコマンドを増やすこと」である。橘玲さんの『無理ゲー社会』をオマージュしたような雰囲気もあるが私の中では(暫定)一番しっくり来ている言葉である。順に説明する。

まず、現実はゲームに近い要素が多いと思う。エリクソンはライフ・サイクルという概念を提唱して、各発達段階に発達課題を設定した。また、通過儀礼・受験・就職・結婚・出産など、ライフイベントが多く用意されているのも疑いようがないだろう。また、現代という社会構造の中で、人々は暗黙のルールに従って生きている。暗黙のルールとは、道徳や宗教、世間の声、などだ。道徳や宗教に比べて、世間の声に影響力がないと考える人もいるかもしれない。私が、世間の声として挙げる例の一つはSDGsだ。SDGsでは「環境のため」「平等な社会のため」と謳って人々(や企業)の行動を縛っている。もちろん、法によっても人は縛られているため、それもルールの一つということが出来るだろう。
次に、この社会の仕組みについてだ。経済や政治など、この社会には頑丈で崩れにくい基盤がある。この基盤を無視したことをすることは(物理的には出来るとしても)ほぼ不可能である。極端な例でいえば、「交通事故を減らすために車の運転を禁止する」「環境破壊を止めるためにエアコンの使用を禁止する」などだろうか。政経で教えるべきはこの仕組みがどうできているのか、どう使いこなすと自分の希望をかなえることが出来るのか、ということ私は考える。「現実というゲームのルールと仕組み」とはこれらのことである。

次に、「プレイヤーを動かすコマンド」というのは、個人の行動原理がどうであるかということである。フランス革命が啓蒙思想のもとで起きたように、ニューディール政策がケインズ主義のもとで行われたように、物事が前に進むには何かしらの思想的なガイドがある。啓蒙思想がなければ人権や三権分立などを制度化することは出来なかった。新たな概念を獲得することで人は新たな選択肢(コマンド)を選べるようになるのだと思う。もちろん選択肢が多い方がゲームは有利に進めることが出来る。私が言いたかったのはそういうことである(ちょっと言葉足らずかも知れないが。)
倫理も政治も経済も、知っていることで行動の選択肢は広がる。より生徒の人生を豊かにすることが出来るのである。私はそう信じている。

最後に、詰込み式には出来ない授業を考える。一言でいえば議論型である。ある議題についてグループワークや個人活動を通して思考を深めていき、自分なりの答え(結論)を出すことである。例えば、「参議院は必要か?」「死刑は廃止するべきか?」などだ。既存の制度や思想でも、批判的に見てみたり改めて考え直してみることで価値を再認識することや、創造的で革新的な意見を出すことが出来るかもしれない。そのプロセスをクラス全体で議論しながら体験することこそが、”学校でしか出来ないこと”、“詰込み式では出来ないこと”ではないかと考える。

実践例とまとめ

授業の最初に議題を提示する。議題に沿って必要な知識を説明した後に教科書やネット、図書館の本などを使ってグループで調べ学習をさせる。議題に対して賛成、反対が出そろった後にグループ、全体で意見共有をさせて対比をする。もし片方に意見が寄った場合は先生自身が少数意見の支持者に回り議論を展開する。意見が出そろったところで、議題に対する回答を生徒に書かせる。この時、意見はもちろん変わっても良いし、新たな見解に至ったらそれも書いても良いと思う。参議院の例でいえば、「参議院の選出方法は~~のような仕組みがいいと思います。」「新たに三つ目の議院、○議院を創設したらよいと思います。」などだろうか。

書いてあることに多少の間違いもあるかもしれないが、だいたい私が言いたかったことはかけたと思う。受験中心の授業を取り去る方法は、今後も考え続けていきたいと思っている。

ご高覧ありがとうございました。
笹かま


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?