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子どもと男らしさ・女らしさ

長閑な15時過ぎ、私の職場では、自閉症の男の子が、おやつの皿をひっくり返して癇癪を起こしていた。
多分皿の色が気に入らなかったんだろう。
「お皿を投げるのはいけません。だめです。」と目を見て叱った。
彼は不貞腐れつつ、ごめんなさぁいと小さな声で謝って見せた。
「嫌な気持ちになった時は、私にお話しして。何が嫌だったの?」
と聞くと、
だって僕は男の子なのに!ピンクのお皿だった!青がいい!僕は女の子じゃない!
と答えた。
なるほど、と思い
「じゃあ次からは投げずに、青のお皿が良いですって言ってね。」
と言って青のお皿を出した。

彼は小1だ。
幼稚園の中で用いられた男女の分け方、トイレの看板の色、アニメ等でキャラクターが着ている服の色などが彼にとっては「心地良い規則性」であり、だからこそこだわってしまうのだろう。

障害に関わらず、そういった「心地いい規則性」を子供は無邪気に求める部分がある。
「子供は偏見がない」なんて言う人もいるが、それは大きな誤りだ。
解像度が低い分、差別的な発言を悪気なくする子供は沢山いる。

小3の男の子は私が少しメンズライクな服を着ている日に
「なんでそんな男っぽい服着んの?」
とからかって来たことがある。
男っぽい服が着たい、女にもそんな日があるってこと、と私は静かに笑った。

子供たちは目まぐるしく変わっていく世界を見つめながら、一生懸命それを捉えようとしている。なのに大人は何が正解なのかをハッキリは教えてくれない。大人だって迷っているし、答えを知らないし、古い規則性を信じたいからだ。

私はプロ野球が好きで、青年漫画、洋画が好きだ。そのため趣味の話なんてしたら、男性から「女子らしくないね!」「そんな女の人聞いた事ないわ〜!」「料理出来ないでしょ!」なんてことを言われ続けてきた。大人なんて、そんなもんだ。

逆に今の子供は「色」や「服」に性別を感じていて、「趣味」に対する女性らしさ、男性らしさという規範をあまり持ち合わせていない。おそらく様々なコンテンツにタブレット一枚で接続できる環境下で生まれた彼らは、性別に捉われず縦横無尽にエンタメを楽しんでいるからなのか。

青年漫画について話していたら男の子から
「良かったね、僕みたいなアニオタの友達ができて〜!明日もお話ししようね!」
と言われた時、なんだか感動してしまい、その子と話すためにジョジョを見返した。私が中学生の時はジョジョが好きなんて同級生に言えなかったから。

また男性アイドルが好きな男の子、恋愛ドラマが好きな男の子が今は沢山いる。
BTSに詳しい男の子、befirstのグッズを持っている男の子、SixTONESで踊る男の子を馬鹿にする雰囲気は全く無く、周りの男の子たちも「あ、それ知ってるー」ぐらいにしか思っていない。あやとり、折り紙が好きな男の子も沢山いる。
こういった雰囲気は私の子供時代と全く違う部分で、羨ましく思う。

私だって子どもに面と向かって教えられるハッキリとした答えは分からない。
ただ、これだけは言える。
「心地良い規則性」で括り切れるほど人間という生き物は単純では無く、自分の予想を超えていく多様さを持っているのだ。

前述したように今の子供たちは私の子供時代より、そういったニュートラルな視点を身に付けつつある。それは喜ばしい事だし、さらに進めていくべき部分でもある。

だから私はあえて子供が持つ規則性を無視した人間で居ようと思っている。
子供に「彼氏いるの?」と聞かれれば「彼女かもよ?」と返す。面白いのが、低学年の子は大抵冗談だと思って笑うんだけど、高学年の子は少し面食らったように黙って何かを考え出すのだ。
そう、高学年の子たちは少しずつ、世界の多様さを自分ごととして捉え、理解していっている。

ある高学年の女の子と、中学校の制服の話をしたことがあった。彼女は
「冬にスカートなんか無理だよね。私は普通にズボン履きたい」
と言ってきた。
私の中学校にも高校にも、ズボンの女の子居たよ。〇〇、ズボン似合うだろうね。と答えた。

いつもメンズライクな服を着て、男の子の友達とサッカーをする、ショートカットの高学年の女の子が居た。
彼女は低学年の子に、「男の子みたいだよ?」なんて真っ直ぐな質問を受けていたが、
「そうだね。良いでしょ。」
なんて返して、軽くいなしていた。彼女の友達も
「カッコいいっしょ。あんたもこれぐらいカッコよくなれるように頑張りなー!」
と言い、その子の肩を持っていた。

またある男の子は、同性愛者が結婚出来ない日本の現状についてのニュースを見て
「なんでダメなのか全然分からない。かわいそうじゃない?自分がもし男の人が好きだったら、海外に移住して結婚するなあ」
と言ってきた。
「君みたいな人が増えたら、世界はもうちょっとだけ優しい場所になるかもね。」
とわたしは返した。
彼はそうかな、みんなそう思ってると思うよ、だからなんでダメなのかが分からない、とブツブツ言っていた。

彼らは多分まだ知らない。同性愛について"生産性"が無いだとか、"少子化を加速させる"だとか、"家族の形を揺るがす"とか、そんな言葉を吐く大人が沢山いることを。
お前は女性らしくない、男性らしくない、もっと女性らしく振る舞え、男性らしく振る舞え、そんな社会の強い抑圧を。

人間の多様さを知り、他者に対し純粋な思いやりや共感を抱き、受容的な態度を身に付けた子どもは、天使のようだ。
多様さに揉まれながら世界について考えている子どもたちも同様に、あまりに純粋な存在だ。理想的な考えや態度は身に付いているが、社会の現状を知らない。
そんな彼らが社会に出たらどうなるのか、考えると気分が落ち込む。

今はまだ良い。学校の中では彼らが正義で、正論だから。

大人になった時、抑圧に苦しんで欲しくない。従って搾取される側ではなく、飲まれて迎合する側ではなく、自他の権利のために芯を持って抵抗できる側であって欲しい。

もし飲まれそうになった時はふと思い出して欲しい、「女だから出来ない」ことなんて無いと思ってたあの頃を、「男だからやっちゃいけない」ことなんて無いと思ってたあの頃を

そんな子供時代を作っていける大人でありたいと私は思っている。


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