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クオリアとは

クオリアとは、脳科学用語であり、

「感覚的な意識や経験のこと」
「意識的・主観的に感じたり経験したりする質感」

一つの体験に関しての
五感を用いた経験や思い出の質感は、他の人との共有は不可能です。

何故ならば同じ体験をしたとしても、
その前後のストーリー背景が異なるからです。

朝日一つにとっても、ある人は初日の出の思い出となり、
別の人は夜勤明けの思い出
となります。

またそれぞれの前後の出来事が、
悲しければ、悲しい思い出に引っ張られてしまい。
楽しければ、楽しい思い出に引っ張られるからです。

その生きてきた人生の知識・経験の集合体がクオリアになるからです。

例えが、双子の方々が同じように生きてきても、
感じる・経験するクオリアが異なるからです。

一人一人同じクオリアは存在せず、他人とは共有できません。
(他人の気持ちが100%判らない問題)

非常に尊いものです。唯一無二です。

何故クオリアが共有できないかは、私なりの解釈として、

自分の人生をインストール中と言いますか、
自分の人生を純粋に生ききるために
必要だからと考えております。

正直、この仕様を創り出した人をビンタしたい気分です。
「お題を捌くために、何とか考えうるベストの選択を
し続けたけど、長くて辛いよ」と

多分死後、一切の躊躇なくビンタチャンスを逃さぬため、
輪廻転生がさもあるように、後続の憂いを断つように今考えうる行動をし、
輪廻転生がさもないように、今を納得出来る行動をし続けていく

一見、ダブルスタンダード(二重規範)しているように見えますが、
意見・見解等の人の判断する内容は、
白黒はっきり出来ずに、グレーゾーンが発生します。
またグレーゾーンの中にはグラデーション・スペクトラム構造です。

個々のクオリア経験が違うからしょうがないんですよ。
対策として、自分の腑に落ちるポイントを探り続けるしかないんですよ。

その揺らぎ、経験を体感するまでのプロセスを含めての、
クオリア経験値を獲得し続ける
のも人生の意味の側面かと

「あちゃーやらかした」等の喜怒哀楽を経験してから
「まぁしょうがない」と腑に落ちるまでを経験するための
人生とも捉える事もできます。

末期に後悔・未練を残そうとも、自分が選択し続けた人生だと、
納得し腑に落ちる人生にしたい
ものです。


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偲稔
フォローありがとうございます。たまには体休めてご自愛くださいね。

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