モノに溢れるモノ屋敷
訪問看護におけるモノ屋敷の世界
以前のnoteでも
片付けられないシンドロームについては投稿した。
上記の記事は、2年前の記事だったが、その後、モノ屋敷の住人のかたがお客様になることが続いた。
今までの方々もすごいと思っていたが、それを超える最強メンツが揃っていた。
ご自分達の世界の中に他人に出入りされるのは本当に嫌だったと思う。
それでも私たちに足を踏み入れさせて頂いたことはご本人達にとっては<革命>に近いモノだったと思っている。
出会いは必然なんて、よく耳にする言葉だけど、
このように私たちに出逢わせて頂いたことも必然だとすれば、冷やかしとかではなく、このような現状が世の中には割と普通にあることを知って頂けたらと思う。
この自分達の世界から抜け出したくても抜け出せない人、そもそも抜け出そうなんて思っていない人がそこには居た。
今、空き家問題も深刻化していると聞くけど
このモノ屋敷の住人の方々の果ての一つの形とも言える。
仕事で訪問に回っているときに朽ちるのを待つ空き家に度々遭遇している。
今どきの住宅が並ぶ街にひっそりと、時には堂々としている空き家を見てとても違和感があり、なんで?とつい思ってしまっていた。
こうなるまでには、どんな歴史があったのだろうと思ったりもしていた。
でも、今、こうやってモノ屋敷の住人の方々にお逢いするようになりそれなりの歴史があったんだろうなぁと思える。
今回は、そんな人たちのお話に少し触れてみたいと思う。
数十年ぶりに家族以外の人と交流が始まっているAさん
80歳代男性。精神疾患があると思われるが、
長らく病院にも行っていない為どのような診断があったのかも不明。
ちょっとした怪我を機会に私たちの訪問看護の介入が始まった。
高齢のご兄弟が老老介護をしていた。
初めて家に入れて頂いた時には、臭気は鼻を通り越して脳みそやら心臓やらまで染み込んだ気がした。
匂いで心臓がドキドキするって、あるのね。
ユニフォームから独特の臭気が消えなかった。
ご兄弟達は、別に住んでおり、お世話のために通っていた。
当然、一緒には住めない香りを放っていた。
高校の頃まではとても勉強ができた方のようで
それはお話をしていくうちに、頭のいい方なのだろうなぁと思った。
その頃から精神疾患があったようで、人と交わることでトラブルもあったようだ。
尿失禁もしていたが、ズボンや座布団が吸い取っていた。
後に、リハビリパンツをお勧めしたことで、
垂れ流しによるご家族の苦悩からは救い出すことができ、ご兄弟は、たいそう喜ばれた。
もうこれだけでも来てもらった意味があった!と。
統合失調症ではないかと思われたが、
その辺りは今もわからないまま。
とにかく、こだわりが強い。
今まで10年くらい入浴していなかった方だったが、
私たちが清拭をしたのが気持ちよかったようで
ガリガリと皮膚がよじれるほど拭く習慣ができてしまった。
10年くらい入浴していない・・のに
(お客さんに、のにって言っちゃダメよ)
「そんな拭きかたじゃダメですよ。何やってるんですか」と
叱られる(笑)
訪問する度に、同僚も何らかの注意を受けて帰ってくる。
部屋の中はというと新聞が沢山あり、何かが入った数百個のレジ袋の山で<要塞>のようなものが作られていた。
要塞を作ることで自分が誰からも攻撃されることない状態を作っているという話を聞いたことがある。
彼の大切な防衛手段かつ聖域なのだと思う。
寝る場所は、その要塞の中の体が1つ入るか入らないかのスペースに新聞紙や座布団で低い丘が斜めに作られている。
私たちには分からない丁度いい斜め加減なのだと思う。
足がご不自由なので介護用ベットおすすめしたが、怒りと共に強い拒否。
お風呂がない家なので、訪問入浴も数回挑戦したが、もうあと10年は入らないと言われた。
そっか、100歳近くになったら入るのね。
モノ屋敷に関しては、ほぼなんの進展もなく経過している。
唯一、匂い問題は、リハビリパンツの導入と
清拭・足浴のケアによりなんとか呼吸はできるレベルになった。
長い年月をかけてここまできているのでそう簡単にひょっこり登場した私たちが変えようと思って
変えられることではないと理解している。
いつも叱られている私たちだけど年末の挨拶をした時に「今年は、Aさんにお会いできてよかったです。」とお伝えしたら「僕もそう思っていますよ。ありがとうございます」と言葉少なに言われちょっと泣けた。
少しずつだけど、これでいいのかなと思えた。
ちょっとずつ動いているみたいだ。
買い物が止まらないBさん
ご夫婦で生活していたBさん60歳代の可愛らしい女性。
難病で点滴治療が必要。
アパートの玄関は、16型テレビくらいの大きさの玄関。
そこに既に靴が二重に重ねられて敷き詰められているので、私たちの脱いだ靴をどこに置くべきか毎回悩み、三重か四重に重ねてから入る。
入ろうとするが、既に入り口からモノが
沢山積み上がっているので訪問バックが当たったりすると崩れてしまう。
ご本人の部屋は、キッチンを経由して奥の部屋にあり、Bさんは座っている。
なんとかBさんに辿り着きたいけど谷間のようなところを通り抜けないとBさんには会えない。
V字の峡谷のようなところを通過しないと会えない。
足は片足しか通れないくらいの峡谷なので
平均台か細い吊り橋を渡っている感じになる。
バランスを崩してはいけない。
雪山が崩れて来るのだから。
なんとかBさんの可愛らしい顔が見えてきた。
Bさんが座るところはぎり、ある!
私たちは、座るところはもちろんないけど
細い吊り橋に立ったままで点滴などの細かい処置をする。
Bさんも精神疾患があり、治療中。
片付けようとしたら発狂された経緯があり
ご主人は、それ以来、片付けていないようだった。
Bさんは、通販で次々に購入されているが、それを使うことはほとんどなく、買って嬉しい、で終わっている。
同じようなものも沢山あった。
私たちの訪問時にもよく宅配の方が来ていた。
経済的にも大変なのだけど、買い物症候群も病状の一つ。
それに対してご主人は怒るでもなく。
2年くらい前の枯れたアレンジメントの花もそのまま。
ご主人がプレゼントしてくれたモノで捨てられないのだそう。
通販のものもそうだけど、思い出のものはそれ以上に捨てられないようだった。
ご本人はもちろんだけど、ご主人のこともとても心配だった。
夫婦とはいえ、物凄い修行で、私が、その修行僧であれば山の2合目くらいで逃げて帰っていたと思う。
結局、入院になり、私たちは、何もしてあげられなかった。
どうしてあげることが良かったのかなぁと今でも思う。
まとめ
今回、ご紹介させて頂いた方は、ほんの一部。
こんな風に生きづらい生活をされている方々もある。
今回は、2ケースともたまたま精神疾患がある方だったけど、精神疾患を持ってる方でも逆に感心するくらい綺麗好きな方もいる。
このような生活を支えているご家族の悩みも大きいと思う。
このような現状を社会の中の人たちに曝け出す勇気もいる。
勇気がなかったり、解決の方法がわからず自分達だけで人知れず悩まれている方々も多いと思う。
ご家族がいない方もいるし、認知症で訳がわからなくなっている方も結構いらっしゃる。
病院に勤務していた頃には到底計り知れない世界だった。
あの頃は、病院で見えていることが、全てのような錯覚をしていた。
今思えばほんの一部しか見えてなかったんだなぁとつくづく思い知らされる。
在宅看護の世界は、ほぼ、ありのままの彼らを見せてもらっている。
叫び声に一番近い場所のような気がしている。
時間をかかるかもしれないが1mmでも何かできないかと探しながらいきたい。
お節介になる可能性も充分に承知しながら。
せめて、心の叫び声が聞こえた時に傍にいるだけでもね。