コロナ禍での看取りのヒント〜逢えない愛する家族への工夫をシェア〜
【はじめに】
2020年1月から日本でもコロナ感染の報道が始まり、はや1年4ヶ月が経った。感染リスク回避の為、病院の中での「面会」や「看取り」の事情も大きく変化している。訪問看護の中でもコロナ禍においてもたくさんの看取りがあった。
看取りの場は、大きくは、「病院」か「施設」か「在宅」に分かれる。介護者のマンパワー不足であれば、ご本人が家で過ごしたいと思ったとしても叶わないこともある。それぞれの家族の事情や環境によって選択が変わってくる。
それに加えて今はコロナ禍。病院や施設で最期を迎えた人たちが、ご家族と逢えなかった、或いは涙を流しながらガラス越しに手を重ね合わせて面会という報道を見ると本当に辛い。
実際に私たちの訪問看護の現場でも、緩和ケア病棟にエントリーしていても、最期に家族と一緒にいる時間が少ないのは辛いから、みんなで最期まで家で過ごそう!と決める人も多くなっている印象だ。
私達は、そのように人生最期の場にご自宅を選ばれた人たちとの貴重な時間を過ごさせて頂いている。コロナ禍の特殊な中での看取りを今も尚経験中である。今回に続き第2弾の記事も併せて読んで頂けたらと思う。
この貴重な時間で何を大切にして看護をしているか?と問われれば多分こう答える。
自分の大切な人たちや自分自身が受けたいと願う看護を目の前の人にも同じように提供していくこと。
それが、きっと一番、愛に近いと思うから。
何かに迷った時には、自分の親にならどんな風にして欲しい?と自分自身に問い掛ければいい。
【マザーテレサの言葉】
私たちは大きなことはできません。
小さなことを大きな愛を持って行うだけです。
春の花が庭先に並び始めた頃、旅立ち間近のAばぁちゃんの訪問看護が始まった。息子様に会いたがっていたけど、息子様自身も入院して闘病中でずっと会えなかった。コロナ禍で会えない状況の中、何かできることはないかと、ない頭で考えた。
マザーテレサのいう私なりの大きな愛を持って、小さなプレゼントを考えた。今回は、このプレゼントについてシェアしたい。そのプレゼントとは・・・。
【Aばぁちゃんのこと】
98歳のAばぁちゃん。消化器系のがん末期だった。明るい陽射しの入る家で娘様が献身的に介護されていた。
娘様が、お母さんが大好きで大好きでたまらないのが伝わってきた。
いつも一生懸命、お母様のためにパタパタと動かれていた。
私たちがAばぁちゃんに関われた時間は数週間程度だったと思う。私たちは、受け持ち制ではないので、私が関われたのは、4回くらいだったと思う。この1回1回の訪問がとても大切な時間となってくる。私たちが訪問開始になった時には、Aばぁちゃんはすでに寝たきり生活で会話も高齢ということもありうなづく程度だった。それでもニコニコしたり、ありがとう!と働き者の日焼けした細い手を合わせ拝んでくれた。
幸いにも痛みの訴えは、ほとんど無かった。苦しんでいる姿を見るのは、ご家族としては、本当に切なく辛いことなので、本当にありがたかった。
1日を寝て過ごすことも増えていきた。
ペースト食は、娘さんの想いにこたえるように少量食べることが出来ていた。最期の1週間は、水分も僅かしか入らなかった。その様子を見て、娘様は、どんどん悲しそうな顔になっていった。
「おばぁちゃん、頑張って・・・。もうがんばってって言ったらダメなのかなぁ」と言いながらAばぁちゃんの肋骨が浮き出ている胸に顔を埋めた。そんな娘様を見て、数本しか残っていない歯を見せて、弱々しいけど優しく笑っていた。娘の想いには応えたいけどきっと長くは難しいって悟っているかのような顔に見えた。
【息子様のこと】
Aばぁちゃんには、もう一人最愛の息子様がいらっしゃった。その息子様は、難病を抱えていて入院中だった。おばぁちゃんと息子様は、毎日のようにお互いベッドにいながら電話をしてお互いを励まし合っていたようだった。何歳になっても母は母!とても心配されていたそうだ。会えないことについても仕方ないと理解しなければいけないご時世。
面会ができなくても今は、LINEやSkypeやzoomなど便利なアプリがあるので、直接は会えなくてもリモート面会だけはできる。ただ、残念なことに息子様は、スマホではなくガラケーらしくリモート面会も叶わなかった。
Aばぁちゃんが、会いに行くのは難しいから、今のうちにせめて息子様が外出できないものかと伺ってみた。病院の方針で外出をしたら退院をしてもらうと言われたとのこと。「なんちゅう融通の利かない病院やねーん!」と私の心の声が思わず飛び出そうになった。もちろん、病院は、感染予防をしなければという信念でそのような決断をされているのだから。気を取り直して、<もしかして、お互いに今までとは違う容姿になってしまい見えることだけがいいことでもないかもしれないけど>と思うことにした。
【看護師に何かできることはないか】
大好きなお母さんに逢えないのは、息子様も辛いだろう。Aばぁちゃんの容態が、更に下り坂になっていき、階段を3段跳びくらいで駆け降りてる感じになってきた。
ビデオを遺すと言っても頷いたりはできてもお話しができる状態ではなくなっていた。頷くことすらままならない。
何も入っていないカランカランの私の脳みそをフル回転した。
何かできないか?
何かできるやろ?
できることが思いつかず、もう元気な顔ではなかったけどAばぁちゃんの写真をとりあえず何枚か撮らせて頂いた。娘様は、今日は少し辛そうだから明日はお化粧をして写真を撮りたいと言われていた。でも、きっと明日はもっと変化しているだろうと思ったのでその日に写真は撮っておいた。
(後に、ご家族に渡すためにこの時の写真を使い、今どきのアプリを駆使し、自然な感じでお化粧をしたものを編集した。)
Aばぁちゃんは、おそらくあと数日で神様に真っ白な歯を入れて貰って可愛い天使になってしまうだろう。でも、この状態を知らない息子様は(そう、息子様はこの時点では、今、大事な時だからAばぁちゃんの容態を言わないでと病院からストップがかかっていたのだ)、後で、母親の死を聞かされることになる。その時になんとか力になれるものはないかと考えた。
できれば、Aばぁちゃんが、【そこに居た】と感じられるものがいい。
実は、半年に1回くらい、無償の愛の神様がアイディアを降らしてくれる打ち出の小槌を持って降りてくることがある(笑)
個人的には、ガネーシャあたりかなぁと勝手に思っている。
その時、突然やってきた。その打ち出の小槌が、キラキラと私の空っぽの頭の中に何かを入れてくれた。(注:話半分で聞いてね)
【打ち出の小槌からでてきたもの】
それ、いいやん!とすぐにハイタッチして合意した。
それならもしかしたらAばぁちゃんが歯の美しい可愛い天使になってからも息子様が、お母さんは【そこに居た】って感じられるかもしれないと。
しかし、時間が限られている。すぐに取り掛からないと。
翌日100円ショップに駆け込んだ。
全ての材料が、訪問看護の救世主とも言える100円ショップで揃った。
そろそろ勿体ぶるのはやめてそろそろ言おう。
それは、<Aばぁちゃんの手形>!
魚拓みたいに手にインクをつけてペタ!みたいなのも考えたけどそれだと今ひとつぬくもりも存在感も薄れる気がした。
だから、ふわふわの軽いねんどを持っていった。手形なら、もし、寂しかったり辛くなってしまった時にAばぁちゃんの手に重ね合わせたかのように感じられるのではないかと思った。
そして、Aばぁちゃんに手形を取らせて頂く理由を説明しなければならない。
わかってくれるかなぁと言う心配をよそにAばぁちゃんは、ちゃんと目を開けてくれた。調子に乗って、ちょっと難しいリクエストもしてみた。息子様の頭をよしよしって撫でるような気持ちで手を置いて貰っていいですか?と。無茶振りだとはわかっていながらそこに込める想いを大切にしたい私としてはダメ元で言ってみた。これまた、本当にわかってくれたのかわからないけど、久々に頷いてくれてご自分から手を差し出し、協力的だった。
想像以上に力がない人の手形をとる難しさを感じた。自分で押し付ける場合は、ふわふわ粘土くらいならすぐに型が取れそうなのだけど。なんせAばぁちゃんは力がなくてお任せモードに入っている。ごめんね、ごめんね、と言いながら型をとった。Aばぁちゃんは、自分が居なくなってからも息子様のこれからの生きる力になれるよう最後の力を振り絞って頑張ってくれたのだろう。
【不器用な人が作ったつくり方】
手形なんて作ったこともないので完全な我流。<つくり方>なんて項目を作っちゃいけない。だから普通の作り方ではなく、<不器用大会>と言う大会があれば毎年優勝しているだろう私なので、正直に<不器用な人が作ったつくり方>とさせて頂いた。もっといい方法があれば、是非、教えて頂きたい。材料は、全て100円ショップで調達できた。
1、手形を取る時点で木のトレーに2個分の黄色ふわふわ軽い粘土を平坦に敷き詰める。(最初にトレーにボンドを塗り粘土を接着したほうがよかった)
2、手を押し付けて型をとる
〜 この時点で私は、自宅に持ち帰って作業 〜
3、粘土の手形の手の部分だけゴールドのラメ入りのアクリル絵の具を塗る
(思ったより手形の凹み方が浅く手の部分がわかりにくかったので、手の部分だけ少しだけ色を入れることにした。折角ならラメで神々しく!)
4、アクリル絵の具でmotherと文字入れをする
5、アクリル絵の具が全て乾いたら上から水性ニスを2度塗りをする
6、Aばぁちゃんのとっておきの手形感を出すためにもイミテーションのパールで周囲を囲う。パールには穴が空いていたので糸を通して最後にグルーガンで接着する→完成!
初めての体験で手作り感しかなくて、喜んでくれるかなぁと心配はあった。翌日、ラッピングして娘様にお渡しすると、手形を手に取った瞬間、娘様が号泣した。
「絶対喜んでくれる!ありがとう!嬉しい!」とご自分の手を手形に当てて「こんなに小さな手なのね」とまた涙が流れる。後日訪問した際にも「訪問看護師さんがすごいの!」とスピーカーでご近所のみんなに自慢したいくらいですとお世辞にも言って頂いた。
Aばぁちゃんは、もう目を閉じたままで理解はできていないようだったけど。
手作り感満載だけど愛だけはたっぷり入っている手形がこちら↑↑
【まとめ】
このプレゼントを遺して数日後に娘様に見守られながらAばぁちゃんは天使になった。娘様は、ずっとずっと泣いていた。でも、病院だったら逢えなかったけどずっと一緒にいられて家で看取ることができてよかったと言われた。
コロナ禍の中、世界中でもこのように人生の最期の瞬間でさえ家族に逢えない人たちが大勢いることと思う。このような時だからこそ、何か自分たちにできることはないか?って探し続けることで何か見えてくることだってあると思う。コロナと言うこの地球規模の現象は、私たちに何かを考えさせてくれるものでもあるのかもしれない。
私達は、末期のお客様の看護と同じくらい、ご家族のケアもとても重要だと思っている。看護の世界では、ご家族のことも<第二の患者様>という言葉もある。お客様が亡くなられた後もご家族は、生きていかなくてはならない。その時に少しでも前に進んでいけるようなお手伝いも同時にしていきたい。
今回の小さな試みが、医療従事者や介護をされている方の何かのヒントになってくれたり、ご家族の支えになってくれたら嬉しい。こんなご時世だから制限だらけで何もできることがないと諦めないで欲しい。諦めた時点で終わってしまう。きっとなんらかの方法が残されているはずだから。
ただ、改めて言うまでもなく、大切なのは、このような形あるものだけではなくむしろ無形のものの方が誰の心にも残るものだと思っている。いつかは形あるものは無くなっていくのだから。
手形よりもAばぁちゃんがポンポンと我が子の頭を優しく撫でてくれるような愛情が残ってくれたらそれでいいなと思う。
そんなことを大切にしたい。