Dignity or Pride?
『時空を超えて出会う喜び』の後半で取り上げた、かつてお世話になった人との交流について、思いを巡らせている。
その方は今もご健在であった。住む地を変え、役職を変え、お元気にされているようだ。
◇
私がいくらか英語ができるという前提だったかもしれない。
その方は唐突に、
「英日辞書や日英辞書って誤訳だなーーーっと思うことが多いよね?」
と話題にされた。
会話の詳細まで記憶を辿ることはできないのだが、印象深く覚えている単語は、「Dignity と Pride」の誤訳という話だった。
「Dignity」とは尊厳であるとか品格であるとか、そういう訳をされていることが多い。それに対して、「Pride」は誇り、傲慢、自慢となっているが、「Pride」に含まれる誇りというニュアンスは、日本人が大切にしてきた「誇り」とは違っているのではないかということだった。
一般的に「プライドをかけて」という表現など、肯定的で前向きな意志を表す言葉として「Pride」を使うようだが、その使い方に疑問を持っているというのだ。
自らの誇り、自身を奮い立たせ「自らの良心に背かない行為をする」という意志を表す言葉として「Dignity」を使うべきだと主張されていた。
その時の私は、「Dignity」の語感を掴めてないことを正直に伝え、誤訳については一般論として「そういうこともあるでしょうね」という程度の返答しかできなかったことを覚えている。
すると、その方は、これから生きていく間に、「Dignity と Pride」の違いを考えていったらいいと言葉をかけてくださった。教育的配慮だったのだろう。
◇
あれから時が過ぎ、なるほどなと腑に落ちるまで理解が進んだ「Dignity と Pride」。
その違いは明らかであるし、今では、なぜその違いが分らなかったのだろうと思うほどだ。
では、どのような違いなのか?具体的にどのような違いがあるのかを場面でみていこう。
自分と違う意見に対して「Dignity」があれば、その違いを受け入れた上で言葉を選ぶことができるだろうが、「 Pride」が災いして、違いに噛みつく行為をしてしまうといったようなこともありえる。
新型ウイルスの施策について、他の国のほうが成功していたと感じたり、他の国の首相や大統領のほうが立派に思えたりするとき、そこに「Dignity」はない。自分の国が最もよい施策をとったと確証がないことに「 Pride」が傷ついたという嘆きがあるだけだ。
◇
いまこそ、「Dignity と Pride」の違いを語感から理解するときではないだろうか?
「こうあるべきです」と他者との違いを否定することもなく、「あっちのほうがよかった」と嘆くこともしない。
自分自身に誇りを持ち尊厳と品格を保った行動を選択する。
誰も経験したことのない道を進む時は自分の良心が頼り。
自らの判断を信じるためにも「Dignity」を胸に刻み進んでいこう。
for reference