セミナー「融合って何だろう?」開催しました
12月4日(土)、チャレンジフィールド北海道セミナー「融合って何だろう?」を開催しました。
融合って何でしょうか?
融け合う(とけあう)と読んだときにイメージするのは、ケーキのタネです。小麦粉やバター、牛乳等の材料を入れてよく混ぜると、原型がわからないどろどろの状態になります。私のイメージでは、融合というのはそんな状態。
私たちが取り組むチャレンジフィールド北海道は、さまざまな人や組織が融合し課題設定の段階から一体的となって取り組むことが、経済産業省から求められています。
でもそれってどういうことなんでしょう?それぞれが意思や歴史、プライドを持って生きている人や組織が融合するとはどういうことなのか?
私にとって「融合」のイメージはケーキのタネですが、人によっては全く違うこともあるでしょう。想像できない、わからない、統一されていないこの「融合」という概念について、わからないまま何となく進めるのではなく、いったんみんなでじっくり考えてみる機会があってもよいのでは、という着想のもと、今回このセミナーが企画されました。
前半:パネルディスカッション
まず、地域イノベーションご専門の公立はこだて未来大学の田柳先生にこのコンセプトについて相談させていただき、それならば!と田柳先生お墨付きの「融合実践者」をパネラーとして厳選いただき、パネルディスカッションを実施しました。
パネラーのみなさんは、
・札幌市立大学の中島学長
・北海道大学電子科学研究所・中垣教授
・㈱アートフル代表取締役・船戸さん
※登壇者のみなさまの紹介はこちらの記事をご覧ください。
AI起点で考える社会のあり方、粘菌をはじめとする生き物の進化から眺める人間社会の進化、スタートアップ企業における働き方、、本当にさまざまな視点から融合についてのディスカッションが重ねられました。
田柳先生からは、
すべての利害関係者がひとつの共有目的を明らかにして課題解決に取り組むとき、必要なことは「関与すること」「巻き込むこと」「自分ごととすること」「対話する/本音で向き合うこと(ぶつかり合うリスクをおそれないこと)」
というお話がありました。
私が、仕事でもプライべートでも、この社会でいちばん難しいだろうなと感じるのは、最後の「対話する/本音で向き合うこと」です。
他は、何らかの外からのインセンティブがあれば何とかできるかもしれません。でも腹を割って話す・向き合うということは、自分の弱さを直視することにもつながるし、他人と自分との間のハードルを下げるために自分が傷つく可能性が高まります。単純にこわいことだと思います。
でも、元から分かり合えるはずのない他人同士が手を携えて何かをやるには、この「対話する/本音で向き合う」ことから逃げるわけにはいかないようにも思うのです。
そうした意味で、このチャレンジフィールド北海道という事業を進めるにあたって、あるいは地域・社会課題解決をするにあたって、既存の枠組み・関係性から脱却し、「対話する/本音で向き合う」ことのできる場づくりが必要かもしれないと感じました。
後半:トーク&ライブドローイング
経験談や示唆に富むパネルディスカッションをインプットしたあとは、それを腹落ちさせるためのアウトプットの時間を設けたく、
現在進行形で融合を模索している人同士のトークタイムを進めつつ、その会話を可視化していただくワークショップを行いました。ファシリテーターとライブドローイングを担当いただいたのは林匡宏さんです。
※林さんのご紹介はこちらの記事をご覧ください。
トークに参加いただいたいのは、
月形町でまちづくりに取り組む本多さん、北広島市でまちづくりに取り組む大橋さん、教育系スタートアップを運営されている嶋本さん、現役大学生の竹内さん、そしてチャレンジフィールド北海道総括エリアコーディネーターの山田さんです。
前半のパネルディスカッションに登壇いただいた皆さまにもご参加いただきました。
このトークも見どころが多いので、ぜひ後日配信のアーカイブ動画をご覧いただきたいのですが、
日々正解のない課題にチャレンジしている皆さんから出てきた言葉は、
「偶発的な出会い」
「大いなるマンネリ」
「健全な無駄打ち」
「相互作用」
「あえての誤解(をおそれない)」
「わからないことを、わからないまま伝える(ことも大切)」
「非効率なものも受け入れていく」
「包摂」
「↑そうしたものが安心して生み出される『場づくり』」
でした。
計画に沿って四角四面に整えたところから、真新しいもの生み出されません。失敗しても大丈夫という安心の「場」や、周囲の温かい目や雰囲気の中で、偶然のつながり、思いがけない組み合わせから、新しいもの、新しい答えが生み出されるのだということです。
中島学長がズバッと「イノベーションや研究は全部結果論」とおっしゃっていたのが私には爽快に感じられました。
これまで「イノベーションを起こしてやる!」と腕まくりしてイノベーションを起こした人はたぶんいなくて、おそらく無我夢中にやってみて、振り返ったらそれが結果的にイノベーションになっていた、という文脈だと思うのです。
田柳先生がおっしゃっていたように、イノベーションや社会的変革は人間がコントロールできるものではない、ということです。
私たちの日々の暮らしでも、他人に対して、自分にとってのあるべき姿や当たり前を押し付けてしまうことがあります。
「マンションに住んでいれば、20時を過ぎたら『普通』静かにしてほしいよね。」
「中学生なら『普通』これくらいわかるでしょ。」
「新人が電話取るのが『普通』でしょ!」
細かい事例ですが、そういう当たり前の押しつけの対極にあるのが「安心して失敗できる場」だと思います。
船戸さんが最後に「マンションの共用部分の使い方が優しい、おおらかで見守れる世界がいい」とおっしゃっていました。他人と自分とに線を引くのではなく、ゆるやかにつながり認め合える世界、私もいいと思います。
科学技術の進歩により、わからないことの方が少ない(ような気のする)社会になりました。ググれば数秒でだいたいのことはわかってしまいます。
ただそのことは、私たちの「わからないもの」「不安定なもの」に対する耐性を奪っているようにも思えます。
中垣先生がおっしゃっていました。「ゾウリムシからの教訓で、環境が与えられて初めて、その場で発露する潜在性がある」とのこと。未知の環境にあえて身を置くことが、私たちに新たな潜在性を発露させる方法のひとつだと改めて学ばせていただきました。
まとまらない、まとめ
私たちはいま、正解のよくわからない不安定な社会を生きています。不安定にもかかわらず、今までの正攻法や慣習・慣例を参考にすることはあっても、「固執」することは危険です。
その時に必要なのは、状況を客観的に眺めて、いろいろな方法をフラットに判断し、軽やかに選択していくことかもしれません。
また、新しい発想を生むためには、新しい発想を「生もうとする」とかえってうまくいかなくなるのもよくわかります。(自分の発想の限界を越える方法を、自分の発想を使って考えても、結局は自分の発想の枠外には出られません。)
場を用意するだけで、わからないものにゆだねる、任せる、試しにやってみる。誤算を受け入れる。そうした姿勢は、一般的な仕事や社会人として求められる「予算」「計画」「管理」とは相性が悪く、安心もできません。
でもその不安をちょっと楽しむような感覚をひとりひとりが少しずつもてると、社会はもっと優しく、希望ももてるようになると感じます。
それができるようなシステムができないことには何とも難しいですが、問題を先延ばしにし続けられるほど、私たちに時間が無いことも確かです。
結論がなかなか出せないこの抽象的なテーマについて、鮮やかにディスカッションとトークを仕切ってくださった田柳先生と林さんに感謝です。そして登壇いただいたパネラーのみなさん、トーク参加者のみなさん、メモする手の止められないわくわくするお話をありがとうございました。
林さんの神業
林さんが、前半のパネルディスカッションから後半のトークまで、ずっと描いていたのがこちらのドローイング。
今回のテーマ「融合」を可視化いただきました。
完成版は、またウェブで公開しますので、どうぞお楽しみに。
また、アーカイブ動画も現在編集中です。公開の際にはお知らせいたします。ぜひたくさんの方に見ていただきたい、珠玉の言葉の宝庫です。
(和田)