#ゲーム制作徒然「『テストプレイ』というものについて」
#ゲーム制作徒然 。
どうも、死に急ぐ生命の果実です。
みなさん、ゲーム作ってますか?
え、作ってない。
まぁ、そういう方もたくさんおられますでしょう。
自分はというと、仕事にしろ趣味にしろ、ゲームを作るということには何かと縁があります。
自分が作ったものでひとが楽しそうに遊んでくれるのを見ると、なかなか感慨深いものがあります。
一言にゲームを作るというとあいまいな話なのですが、今日はその中のフェーズのひとつ、「テストプレイ」というものについて少し書き記しておきたいと思います。
ざっくり以下のような構成でお話をできればと考えております。
テストプレイとは
読んで字のごとく。
ゲーム開発の流れは現場によって逐一変わったりするので、定義はしない。
企画時やそのプレゼンテーションの段階で、狙った楽しさやゲーム体験が得られそうかを紙ペンやワイヤーフレームやモックなどで制作者が確かめるために行ったり、またはある程度形になってきた段階でデバッグも兼ねてテストプレイを行うということがままある。
最近ではクローズドβやオープンβなどもテストプレイといってもいいだろう。
なんなら、リリース直後はユーザーが体を張ったテストプレイであることも、ままある。(ない。)(ないよね?)(ないと言ってくれ)
コンシューマーゲームやスマホゲームのみならず、アナログゲーム(ボードゲームやカードゲーム)なども当然テストプレイを行う。
今回は主にアナログゲームの話題を主軸に構成する。
が、ゲーム制作のうちのテストプレイというフェーズに対して横断的に言えることも多く入るので、興味のある方はご一読いただきたい。
テストプレイ会
テストプレイ会―というものがある。
筆者が参加しているボードゲーム会では、一定の頻度でテストプレイ卓が立てられる。
これは主にアマチュアでアナログゲームを制作している人が、実際にテストプレイを行いお互いに制作物に対して意見交換を設ける場だ。
ビデオゲームと異なり、アナログゲームのテストプレイはプレイヤー複数人が対面で行うことが必要である。またコンポーネント(要はカードやボードやサイコロなどの道具のことだ)のわかりやすさや手触りまでがテストの対象となるため、実際にリアルで集まり、ゲームに触れることが必要となる。
そのための「テストプレイ会」である。
さて、アナログゲーム制作に興味があったりとか、実際に作っているけれど、テストプレイ会に参加してみたい。と考えているそこのあなた。
そう、あなたに向けてこの記事を書いている。
テストプレイ会はそんなに怖いものではない。
むしろ楽しい場所である。ゲームは楽しいものだからだ。
とはいえ、いくつか気をつけるべきこともある。
前置きが長くなったが、本日はどんなことに気をつけるべきかをつらつらと書いていきたい。
ざっくり以下のような感じだ。
形にしたものを準備する
モチベーションを下げる言動はNG
製作者は何を必要としているのか
制作者が議論のハンドリングをする
形にしたものを準備する
ゲーム自体は未完成でもいいが、最低限提案したい遊びを体験できる形では持って行ったほうが良い。
筆者は企画書での持ち込みをしたことがあるが、いかんせんテストプレイに付き合ってもらうみなさんの想像力をリソースとしてお借りするには、実物がないと難しい。
イメージはなんとなく伝わるが、雰囲気とコンポーネントのデザインくらいしか話ができず、正直なところみなさんの時間を無駄にしてしまったと後悔している。
ゲームの制作は企画書からという向きはあるが、手軽に試作できるのもボドゲの特殊なところなので、まず作るべき。
モノを用意できないのでなければ、その時はテストプレイの募集には手を上げないほうが無難であろう。
実際に作りながら検討できるアナログゲームと、先にできるだけ固めておかなければ制作にすら入ることのできないビデオゲーム。
同じゲームでありながら、その制作過程は真逆である。
―と、話が脱線しそうになった。
このあたりの話は、興味のある方がいればまた別の機会にしたいと思う。
モチベーションを下げる言動はNG
というルールを定義するのもどうかとも思ったが。
ゲームを作ることは基本楽しい体験であると思っているので、悪意の有無に関わらず周囲のモチベーションを下げるのはよくはない。
自覚があるのであれば控えたほうがよいだろう。
思ったことを言える瞬発力と、それを一瞬考える思いやりは必要である。
気をつけたいのが、ポジティブな意見のつもりでも相手を下げることがあるのを気持ちの隅に置いておきたい。
例えば、テストプレイで思いついた改善案をとにかく口に出すのはいいが、これが一歩間違うと制作者が「この意見を採用したら、もう自分の作りたかったゲームではない」となる一線はある。まあある。よくある。このプライベートかつセンシティブな領域を侵されるとモチベはめちゃめちゃ下がる。
相手の心を折る一言というのは、いついかなる時に出るかわからないものなので、ひとの作ったゲームに感想やアドバイスをする時には気をつけておきたい。
サバサバものを言うのと、ズケズケものを言うのは違うのだ。
言い方ひとつ、タイミングひとつでこれは回避できる。
製作者は何を必要としているのかを考える
言うてもそんなんなにが地雷かわからんし、意見交換できないテストプレイ会に意味はないのだ!と言う向きもあるだろう。
まぁそれはそう。なのでテストプレイをする際「今どのような状態で、どんな方向性の意見が欲しいのか」を明確化しておくのが良いだろう。
例えば「ここまで作り込んだので、いろいろなパターンをテストしてみたい」というのもあるし、「遊びとしてそもそも成立しているのか検証したい」というのもあるだろう。
(自分の「企画ベースでブレストしたい」はダメだったが、これは時と場合によるだろう。今回は歓迎されてはいなかった。まぁそういう場が欲しい時もあるといえばある)
テストプレイと意見交換の趣旨を明示しておくことで、前述の不用意な発言が減り、みんな少しずつ幸せになれるのではないかなと考えている。
とにかく矛盾やアラを探してバグを見つける……というのがテストプレイだと考えている人も当然いるとは思うが、自分は必ずしも目的がそれだけとは思わない。
空気を読め、察しろとまで強くいう気はないが、今何が求められていて、どの程度の粒度の意見を、どのように伝えるべきなのかは、考える余裕は持っておいたほうがいいだろう。
テストプレイにルールを作るのは良くないが、それは無礼であっても良いという意味ではない。
製作者が議論のハンドリングをする(させてあげたい)
前述したように、「今どんな状態で」「何に困っていて」「どんな意見が必要なのか」「方向性」「粒度」「モチベーション」など、テストプレイではさまざまな要素の前提の共有が必要だ。ならば制作者が議論のイニシアチブを握るのが早くて確実だ。
ファシリテーターという言葉が適切だろうか。
このポジションがいないと、とにかく声のでかい人、言いたいことをあけすけという人が議論のペースを作りがちだ。
制作者の望まない意見交換の暴走はあまり建設的ではないだろう。
サバサバとズケズケは違うのである。(二回目)
テストプレイは参加する皆の貴重な時間を使って行われるものであるから、出来るだけ楽しく、そして得るものが多い会にすべきだと思う。
この辺りの考え方はもう少し皆それぞれが考えてもいいのではないだろうか。
余談
最後に思い出話をしよう。
昔、ゲームを制作をしていた時のデバッガーの言葉である。
彼にも思うことはあるのかもしれないが、物事、特に楽しさという繊細な感情を適切に伝えるには、知性や言葉選びや言い方などがあるだろう。
なお、彼が今何をしているのかは知らない。
もうひとつ。
昔ゲーム制作をしていた時のレベルデザイナーの言葉である。
彼にも考えることはあったのかもしれないが「相手がなぜ楽しいと感じるか」感情の動きを筋道だてて科学しなければ、再現も制御もできない。
自分が楽しいと思う事が、イコール万人が楽しいものではないのだ。
なお、彼が今何をしているのかは知らない。
まとめ
ゲームデザインとは、人の心・感情の動きをゲームを通して意図的にコントロールするための技術である。
で、大抵の人はそんなことできねぇ!と思うだろう。筆者もそうだ。
だからこそ、テストプレイが必要なのである。
テストプレイ会は、そういった人の心の動きが意図的かどうか検証するチャンスである。
伝える側も受ける側も、上記した「テストプレイで気をつけること」くらいの事前情報は持っていてもいいのではないか。そう思う次第である。
ということで、本日僕からは以上です。