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自分を知ることが幸福への第一歩

しばしば、「これさえなければ、もっと幸せだったのに」とか、「全ての嫌な事から解放されてもっと幸せになりたい」という言葉を耳にします。
確かに、苦しい時にはそのように思ってしまうこともありますよね。
しかし、その言葉を聞きながら、ある種の違和感も感じます。
また、そう語る本人も、どこかでその不合理さを感じている、と思うこともあります。

人は生きている限り、何らかの困難に遭遇するものだからです。
ですから人は、「1つの困難が無くなっても、また次の困難が現れる」ということをどこかで何となく感じているのだと思います。

では人は永遠に困難から逃げられないものなのでしょうか。
そもそも、そのように困難が来るのは、どういった意味があるのでしょうか。

「人の悩みのほとんどは人間関係である」と心理学者のアドラーは言いました。
つまり、人は一人で生きている分には、あまり悩まないものです。
この世でまったく一人で生きていたら、楽でよいのかもしれません。
なのに、何故、人はそれでも人と交わるのでしょうか。

一つには、人は「まったく一人で過ごすことは、刺激がなさ過ぎてつまらない」ということもどこかで解っているからだと思います。
ですから人は、友を得て、恋をして、伴侶を得て、子どもを作るのです。
交流関係を増やすことで刺激が増え、人生の楽しさも増します。
しかしその反面、当然悩みも増えるものです。
それでも人は、他者と関係を持とうとします。
それは、人にとって刺激がないとは、成長の機会がないということを潜在的にどこかで解っているからかもしれません。
人は、困難を乗り越えようとすることで賢くなり、成長します。
そして人は、他者と交わることでより困難を味わい、成長します。

もう一つの理由としては、自分一人でいると、自分が何者かが解らないからです。
人が生まれたての頃は「自分は万能なのだ」と思っている、と心理学では言われます。
しかし成育過程で、自分の意志の通じない人に出会ったり、自分がコントロールできない困難にぶつかることで、自分の効力がどこまで及び、どういったことが難しいのかを知っていきます。
つまり自分の能力の限界を知るのです。
また、いろいろな人に交わることで、様々な感情を持ちます。
うれしいことや楽しいことを享受することもあるでしょう。
しかし、時には受け入れられないことや悲しいこと、怒りを感じることもあるでしょう。
その中で、自分はどういうことに楽しみを見出す存在で、どういったことを許容できない人なのかということを知ることができるのです。
つまり、他者と交わることで、自分という存在が何なのかを知ることができるのです。

さらに、受け入れられないなど負の感情を抱くことも、自分の中にその受け入れられないものがあるからだと言われます。
人が感情を抱くということは、そこに何らかのこだわり(コンプレックス)がある、ということを自分に知らせてくれる材料となるのです。

そして、正の(良い)感情を生む対象だけでなく、負の感情を生む対象をも受け入れることで、初めて人は苦しみから解放されるのだと考えられます。
それを最初に説いたのはブッダ(仏陀)と言われています。
そして、そのブッダの考え方は、近年、心理学でも広く受け入れられるようになってきたのです。
実際、鬱(うつ)や不安症の治療などへの効果が証明されており、臨床的にも用いられています。

私たちが生まれ生きている意味は、「自分を知り、そして受け入れること」なのかも知れません。
つまり、私たちのそれぞれの責任は、「自分を愛すること」なのかも知れません。
またそうすることで、「他者を愛すること」にも繋がると言われます。
他者を愛し受け入れることが広がると、いろいろな人々や、物事、生物、世界・・・と、この世の広くを受け入れることに繋がっていきます。
すると、「受け入れられない」ものが減っていくので、苦が無くなるということなのではないでしょうか。

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