こじらせ男子とはお茶しない
「自分はこじらせている」という自覚がある。
こじらせ男子はカフェに集まってお茶会なんてしない。たがいのこじらせに「うっ」ときてしまうだろうし、昔の自分と未来の自分をみるような気持ちがしてくるので、お茶をのんでる場合じゃなくなる。
だからこじらせ男子のインタビュー集をよむくらいがちょうどいい。
『こじらせ男子とお茶をする』を読みながら、どんなこじらせをかかえた人がいるのか、自分のこじらせはどこにあるのか。お茶を自宅でのみながら。(へこまない程度に)かんがえてみたい。
耳が痛い本は読みたくない
さいきんエッセイをよくよむ。
『好きな食べ物がみつからない』もよかった。古賀さんと好きな食べ物をとことん追求していく本の旅は、「すきなYouTube番組は」というなんてことのない自己紹介項目ひとつ埋めるのに悩んでしまう自分もはげまされる。(そもそもYouTubeは見てない。。)
こじらせ男子の島田潤一郎さんはちがう。ひとり出版社の夏葉社をつくった島田さんには本へのストイックさがある。
耳が痛い話はききたくない。
「みんなと仲良くしましょう」「人が嫌がることはしないようにしましょう」という教えが苦手だ。多少相手が傷ついてもいいから距離をとり、不機嫌な態度をとってしまう。仲良くないのに仲良いと勘違いされたくない。
「話をしてみたら仲良くなれるかもしれない」というのはわかる。けれど、かぎられた人生だ。どうせなら仲良くしているひとたちともっと長く仲良く過ごすことに集中したい。
わざわざ耳が痛い本をよむというストイックさが、どうしても必要になる時期がこれから私にもくるのかもしれない。(すでにきているのかも💦)
服を買わずに野良犬のまま生きていく
服を買わない。
靴下と下着は必要にかられて買うけれど、アウターは学生のころにかったものを10年以上使い続けているし、ズボンも靴もひとつふたつを何年も使い続けている。服を選ぶことが苦手だ。
こじらせ男子の佐々木典士さんは『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を2019年にかいた元ミニマリスト。「何もなくてもいい」というメッセージを届け、たくさんのものを手放した時期をふりかえる。(いまはパートナーと暮らして、ものに囲まれた普通の生活をしている)
ものを手放す解放感は、現代人の娯楽だ。本棚を整理して空いたスペースをみながら「まだまだ買えるな」とミライの積読を想像する時間もたのしい。
しかし服はそうはいかない。平日は毎日同じスーツを着ていても何も言われないのに、休日きていく服が同じだとばつが悪いかんじがする。
「自分に似合うか」「着回しできるか」「シーンに合うか」「選ぶブランドが年相応か」と、考えないといけないことが多い。とくに「周囲にどんな印象をもってほしいか」というのがやっかいだ。ひとを観察するのはたのしいけれど、ひとから観察されることを考える時間は憂鬱になる。
野良犬のまま生きていたい。「あのひとはノラだから」とゆるしてもらえるといい。穴が開いてる手袋も使い続けたい。ボロだからと、それだけで判断する人とは仲良くしたくない。浮いたお金で本を買いたい。
足をのばしてお風呂にはいれる今日は天国
本のつぎに生活にかかせないものはお風呂だろう。
お風呂につかったらぐーっと足をのばす。それからもぐって頭をわしゃわしゃする。窓をひらいて夜風にあたり目をつぶってぼーっとする。天国だ。
こじらせ男子のファビアンさんは又吉直樹さん、ピストジャムさんとともに第一芸人文芸部として活動する、本を読む芸人さん。
すきな本とちょっと広いお風呂さえあったら、この世はたしかな天国だ。
昔のことを思い返すことは少ない。反省したり、悲しんだり、懐かしがることが苦手だ。これから読みたい本や会いたい人、やってみたいことで頭いっぱいにしてたい。
こじらせながら生きていく
自分のこじらせポイントがみえてきた。
仲良くしたいひととだけ、仲良くしたい
服を買うの苦手。なるべく本を買いたい
これからのことだけ考えて、ご機嫌に過ごしたい
めんどうでやっかいなこじらせ男子たち。お茶をしてくれるひとがいる間は、こじらせていたっていいのかもしれない。