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意識的に敬意を。

今日は毒吐きモードかもしれない。
吐ける毒は吐いとけってじっちゃんに言われたので吐いておきます。

仕事をするということは、基本
何かをする人」に対して「何かをしてほしい人」がお金を支払うことで成り立つものだと思います。

今の私はクライアントから「音全般作って!」って言われる何かをする側の人でもあるし、「作るの手伝って!」と協力者に何かをしてほしい側の人でもある、そんな立場です。

クライアントなんて書いてますが、クライアントだからって媚び諂ったりするつもりはないし、協力を仰ぐ依頼をする時でも思ったことはしっかり言えるイーブンな関係を築きたいと常に思っています。

どちらの立場も進行しているからこそ、どちらの目線からも嫌だなと思う立ち回りは避けようと考えられるのでとても良い経験になります。

そんな中今日は特に、敬意や誠意、まごころがないのは嫌だなと思っていることに気がつきました。

モノの伝え方、連絡のタイミング、断りの入れ方
意思の伝え方、言葉尻、モノの扱い方。
うまくある必要はないのです。それらに敬意があるか、誠意があるか。

例えば小さな子が拙い言い方でも何かを伝えようとすることの尊さってあると思います。
そこには純粋な真心があるから伝わるものがあると思っています。

・「変わりはいくらでもいる」と思っている人のモノの言い方
・賃金が高いか安いかで人を見ている人の態度
・経験値、経験年数で上下を測る人の考え方

挙げていけば色々あると思いますが、どれも敬意はないでしょう。

敬意のない人の言葉に傾けている私の心は、時間が経つにつれ閉じていくのを感じます。
とはいえ、これからひとまずは付き合っていかなければいけない人だと
私がいずれ「話を聞かない人」になってしまうので、
適切な距離をおき、敬意がないオーラから距離を置いて自衛します。

とはいえ、基本的にはお互いに敬意を持てる方と付き合いたいですよね。

というわけで、返報性の法則。
相手から受けたアクションに対し「お返し」をしたいと感じる心理のこと
です。

これは敬意にも当てはまると思います。
自分から敬意を持つことで相手と敬意を持ち合うこと、それが叶えられるのではと思っています。

しかし意識していても何の偏見もなく敬意を持つって意外と難しいことです。
気づかない間に、人と比較をしたり、自分の周りの文化と比較をしたり
比較による優劣がついて回るからだと私は考えています。
こんな話をしている私も、きっとどこかで偏見を持っているに違いないです。

なので意識的に敬意を。
それでも敬意のない対応をされるときは残念に思いますが
自分だけでも、意識的に敬意を。

今日はイラッとした日だったので自分に言い聞かせるアンガーマネジメント的、デトックス的ライフログ。

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まむら
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