第1章【2】チェロと赤道直下のオーケストラ
(写真は私がアフリカで働いていた時に撮影したものです。教室が足りないアフリカの国では、青空教室で授業をするのは珍しいことではありません。 写真はブルキナファソの子供たち:ブルキナファソ 撮影:いちあ)
さて、日本での音大入学の話の前に、まだもう少し、赤道直下でのチェロの練習生活の話なのだが、シャロンは、趣味で10歳ころから一生懸命習っていたそうで、上手ではあるけれど、教えるプロではなく、ちゃんとしっかり決まった時間だけレッスンはしてくれるのだが、『どうせ趣味なんだからー。私(←シャロン)も生活費稼ぎのために仕方なくうやってるしー。』というような感じであった。なので、音程が悪くてもなおしかたを教えてくれるわけでもなく、たまに面倒くさいのか、『できてるわ、次にいきましょう。』などと、やる気のなさが露呈するようなことを言って、大いに私を落胆させてくれたりもした。
しかし、このアフリカ赤道直下で、チェロなどという楽器が弾ける人を見つけるはまれで、シャロンは貴重な存在であった。ギコギコと、結局、シャロンとは、2014年まで習っていたけれど、途中、シャロンが2人の子供を出産して、半年ずつ、いないことがあり、大いに困った私は、現地の人で、チェロを6年くらいやってます、という若い、まじめなデービッドという20代の男の子がいて、その彼にシャロンが不在の間に習っていたりした。彼は、イギリス人のチェロの先生が音楽学校にいた当時に習っていた、と言い、子供のころから教会の聖歌隊で歌っていたため、音感がよく、彼には、リズムの取り方をしつこく注意してもらった。デービッドに習っていた間、彼は、彼も参加している、音楽学校で無料でだれでも参加できるオーケストラに『もうそろそろ参加したらどう?』と誘ってくれた。
音楽学校で練習できる、このオーケストラは、誰でも参加できた。週1回月曜夜に練習して、クリスマスやイベントで、無料で教会などで演奏会をした。私はまだ音程も定まらず、指揮者に怒られてばかりだった。しかし、曲をみんなで演奏するのが楽しく、練習は休まず通った。クリスマス演奏会で、教会で演奏した時、教会に聴きにきてくれた現地のおじちゃんが、近くにいた私に『演奏してくれてありがとう。』と言ってくれたのだが、なぜか、ひどくその言葉に感動した。もしかしたら、その瞬間が、私の心の奥底で、音楽やっていこう、と決めた瞬間だったのかもしれない。
オーケストラでは、アフリカへの教育ボランティアとして、ミュンヘンのプロのオーケストラのプレーヤーが数名来て、2週間ほど滞在、オーケストラで私たちと一緒に弾いて演奏会をしてくれたことがあった。このとき、シューマンのピアノ協奏曲を演奏したのだが、情熱的なメロディーが今でも深く心に刻まれていて、忘れられない思い出になった。
そんなこんなで、5年あまり、チェロと音楽にひたる生活をしていた。もちろん仕事をしていたので、すべて、練習は帰宅後で、『1日中ずっと練習できたらどんなに幸せだろうか?』と夢見ていたのだった。そして、心の中に、むくむくと、音楽やりたい、という考えが日々大きくなっていったのであった。
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