#200 祝200回!
今回で何と記事の投稿が200回だそうです。嬉しいことですね。
最近は投稿ペースが半減しているうえ、ただの日記ばかり書いていますが、毎日投稿するという習慣はなんとか継続できています。
まぁ、私が日々綴っているものは駄文なんでしょうけれども、言葉を選択し文を整える、といった「考えること」が私の糧になっていることは間違いないと確信しています。
作文もまた紛れもないコンポジションですよね。何もない所に何かを打ち立てるというその営みには当然ながら技術や体力(気力)が必要です。
それらは磨かないと衰える一方ですから、毎日の積み重ねというのがものをいうわけです。
文に関しては思い入れのなさ故か、言語というものの特殊性かわかりませんが、あまり自己批判的にならず、気楽に継続できています。
音楽もこれぐらい気楽に継続できれば良いのですけど。あれはどうも思い入れが強すぎる。とても厳し目になってしまって、落ち込んで憂鬱になるので嫌になります。しかし、それでもやり続ける根性といったものが必要ですね。いつまでもここままじゃいけない。
さて、今後このnoteがどうなっていくのかは皆目見当がつきません。
やりながら考えるというのは私の基本の生き方でして、どうも自ずとそうなってしまいます。見通しをもたない人間なんですね、困ったことに。
恐らく日記を中心としていくのは変わりないでしょうが、他はノープランです。
私の日記には無造作に思ったことが書き殴られているわけですが、その中にある面白いと思えるような素材を膨らませて別の記事を仕立て上げる、というやり方も良いかもしれませんね。以前にも言ったことかもしれませんが。
ただ、如何に私は毎日同じようなことを言っているか、というのが日記を見返すとわかるものです。少し複雑な心境にならざるを得ませんね。なんだかとても中身のない人間であるかのように感じられてしまい、落胆したりする。
それでも、私は書きます。仮に同じテーマであっても100%同じものはまず生みだされませんから。
正に無常なのですね。その差異に気付くためには観察力が必要ですから、鈍感で大雑把な気質を持った私にはうってつけといえます。全てが学びの機会となり得るようです。
第一、一人の人間が考えていることなど、そう沢山あるものではありません。自然はとても質素ですから。そこまで多くのことを抱え込めません。
しかしその単純なものが刻々と変容し続けているのも確かです。反復を恐れず行きましょう。
さて、そろそろ筆を置くとしましょう。
祝200回の独り言、如何でしたか。またお会いできると嬉しいです。
それでは、また。