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#47 睡眠不足の最中で、夢を語る

多分、今、私は寝不足です。
今朝は起きるのしんどかったなぁ。
元々私は夜型寄りの人間なので、就寝時間を早くすることが難しいと感じます。
気を抜くとすぐに遅くなります。午後11時には寝たいと思うのですが・・・・・自律/自立することは何とも難しいものです。
起床時間は固定していて、今のところ継続できています。まぁ、白状すると、二度寝して寝坊することもありますが、それでも以前よりは早起きできるようになったのでよしとしましょう。
それで、就寝時間は以前とさほど変わらないのに、起床時間だけが早くなりました。だから、睡眠時間が短くなってしまっています。
午前中は眠気が残っているのですが、午後になるとそれが気にならなくなってきて、夜はあまり眠くなりません。
運動が足りていないのでしょうか。
しかし、床につくと10分ほどで寝られます。
睡眠というよりも気絶ではないかしら、と思うことがあります。
私はよく夢を見ます。というか毎日見ます。小学生の頃からずっとです。
目覚めた時は内容を把握していますが、音楽を聴いたり、こうしてnoteなどを書いているうちに忘れていきます。忘却スピードは年々上がっているように思います。でも、これは夢に限ったことではありません。単純に記憶力が低下しているのでしょう。
夢の世界では不思議なことが平気で起こります。それが常と言っていい程です。まともなことも、そうでないことも平然と同居しています。
時間感覚もなんだか変です。あっという間に場面が変わったりします。
結構、刺激に溢れている場所です。
そこでは人間が思うような「意味」というものが希薄である気がします。
視覚的にも奇妙であったりするので、面白いです。
インスピレーションになるので、もし私が絵描きだったら、毎日題材に困らないだろう、などと思っていたこともありました。
文学的な動機にもなりますが、私は一番好きな音楽でアウトプットできればいいなと思ったりします。しかし、それをすることが出来ません。これは残念です。
私は何かを音楽で表現するということが出来ません。
音は音でしかなく、なにかの代替品でもなければ代弁者にもなり得ません。自作曲にタイトルをつけるのは好きですが、絶対音楽的な感覚が強いのかもしれません。でも、交響曲何番、みたいなタイトルは厭ですね。だって囚人番号みたいじゃありませんか。
閑話休題。その点、絵や文であれば、夢で見たものをそのままアウトプットできるのでいいなぁ、などと考えてしまいます。まぁ、作品のクオリティはともかく、ですけれど。音楽は構造が強すぎます。
夢は私にとってとても重要なものです。
そういえば、私は夢の中で「今ここは夢である」ということが理解できるんです。メタ認知(in my dream)という感じですね。
ちなみに夢の中でトイレに行って用を足すことも出来ます。ですが、一度も粗相をしたことはありません。
夢の中は居心地のいい空間とかではないですが、夢の中での体の使い方とかが上達したのでしょうかね。
小学生くらいのころは全然できませんでしたから。
ところで、
「夢はみるものではなく、叶えるもの」
という常套句は誰が考えたのでしょう。一種の発明ですよね。特許とれば良かったのに。
それはそれで素晴らしいことです。
しかし、私にはそれはリアリティをもって響くことはありません。
私にとっての夢とは文字通り見るものだからです。
夢は見ることしかできません。受動的にしか接することは出来ません。
向こうの都合次第です。
快も不快もこちらの都合などおかまいなし。何様なのだ、とも思いますが、これはしょうがありませんね。きっと相手は自然ですから。私はすぐにそう悟りました。
夢にはいくつかの意味が与えられているようですが、共通するのは現実ではないという点です。
しかし、今朝まで私が居たあの世界は現実でないのか、と思うとすこし不思議な感じがします。
本当に存在しないものが私に話しかけてきたり、あるいは触れることがどうしてできるでしょうか。
所謂「現実」とは違うかもしれませんが、空想と同じであるかような扱いをされると、どうも腑に落ちない感じがします。

早起き習慣はなんとか継続中であること、しかし睡眠不足ぎみであること、先ほどまではこの2点だけをささっと書こうと思っていたのですが、話は夢へと逸れ、膨らんで、気づけば文字数も1,500を超えました。
夢に関してはもっと色々と書きたいですね。
一時試みていた文章による夢のスケッチも再開しようかしら。
そして絵への憧れを再認識したのでした。

それでは皆様ごきげんよう、さようなら。


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