誰かの『地球屋』になれるのかもしれない。
大人になると、昔読んだSFファンタジーを忘れ、魔法も冒険なく、ちょっとしたラッキーと自業自得の不運があざなえる日々。飛び乗る電車は必ず予定駅に着くし、衣装箪笥は雪国に繋がらないし、ネコに話しかけられることもありません。すっかり物語の世界から卒業した、と思っていました。
「ここは私にとっての『地球屋』なんです」
よくいくお店の常連客に、中学生の女の子がいます。彼女とは、顔を合わせたときにおすすめの本の情報を交換するようなゆるい関係。先日は、児童書について盛り上がりました。かぎばあさんシリーズ、岡田淳さんや、梨木香歩さん、ナルニア国物語…
ふと、彼女が「私、『耳をすませば』の雫ちゃんにすごく共感していて」と言い出しました。
スタジオジブリのアニメ映画「耳をすませば」は、中学生の少女・雫の初恋と成長の物語。ふとしたきっかけで、雫はアンティークショップ「地球屋」へたどり着き、通ううちに優しい店主や意味ありげな猫、初恋の相手と出会います。
久しぶりに「耳をすませば」のあらすじを思い出しながら、年齢も近いしね、恋の話しかな、と聞いていると、彼女の口から「このお店、私にとっての『地球屋』なんです」と予想外のセリフが飛び出しました。「ここにくると、いつも変わった人やいろんなことがあって、ドキドキします。」
反転する世界
想定外の告白に一瞬面喰ったものの、急に、見慣れた店内が鮮やかに色づき始めました。そうか私は不思議な世界の住人だったのか。
世界が反転する奇妙な感覚。子供の頃、何度も必死に不思議の世界へ行きたいと願っていました。こんな形で叶うなんて全然予想してなかった。なんて素敵なことなんだ。
自分の日常は誰かにとっての非日常
いつの間にか、不思議な世界を空想する時間は減り、現実的な問題を優先するようになりました。大人はそういうもんだと思っていました。
ただ、だからといって、ワクワクしなくなったわけではない。カフェで知り合ったおばあさんの身の上話に感動したり、ふと立ち寄った路地で素敵なパン屋さんを見つけたり、思い返せば小さな不思議な出会いをいくつも重ねてきました。
おばあさんも、パン屋も、自分達のことを不思議な存在とは思っていないでしょう。日常を過ごしている中で、たまたま隣り合わせた客と会話した、常連以外の人間がふらっと立ち寄った、たぶん、それぐらいの出来事です。
自分の非日常は誰かの日常であり、そして何より私の日常が、誰かにとっての非日常。とくに子供からみた大人の世界は、それだけで特別な世界に見えることを、すっかり忘れていました。
彼女の一言のおかげで、私は地球屋の一員となりました。たまにどうしてもネガティブな思考に捕らわれる日があるのですが、憂鬱な雨も、物語序盤の演出にみえることよ。ありがとう。
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