伝統と継続のはざまを跳び越える加勢鳥たち|民俗行事
「カッカッカーッのカッカッカーッ」と跳ね踊る奇習、加勢鳥。全国にファンのいる、知る人ぞ知る行事らしい。
蔵王のスノーモンスターを見るため泊まった町の居酒屋で、この行事の存在を告げられる。聞き慣れぬ「かせどり」なる単語に惹かれ検索すると、愉快な笛太鼓の音とともに麦藁が踊り町を練り歩く動画が面白く、そわそわと当日の朝を迎えました。知らなかった。こんなに胸躍る民俗行事があるなんて。
蔵王の麓、上山市
蔵王のスノーモンスターが目的の山形旅行で泊まった場所が、たまたま上山市でした。山形市と蔵王町(宮城県)に挟まれた、人口約3万人の町。
天文五年(1535年)に築城された上山城の城下町として発展しました。
少し歩くと、城下町らしい街道と温泉旅館が隣接し、コンパクトながら見ごたえある街並みです。次に来たときは町歩きだけでも楽しめそう。
現在、上山城には天守閣がありますが、それは昭和57年(1982年)に作られた模擬天守で、内部は資料館。本来天守閣のなかった場所に復元するのはなかなか議論があったとか。割り切って模擬天守建造を断行した姿勢と、加勢鳥の在り方は少し共通するものを感じています(後述)。
跳ね踊る加勢鳥たち
蔵王の雪を満喫した翌朝。せっかくなので上山城で行われる開会式から見ようと、10時に城に向かう。
会場に入れないかも・・と心配でしたが近づくと人の間隔には余裕があり、人垣の頭越しになんとかセレモニーが見える。
セレモニーだけど色んな方々の挨拶は手短でメッセージは明確。音響設備がしっかりしているので聞き取りやすく、これまで参加した屋外行事のなかでも、トップクラスにストレスがない。これだけでいい行事の予感がする。
加勢鳥たちは、裸の上にケンダイと呼ばれる藁みのをかぶり、その恰好で跳ね踊るのですが、そこに見物客たちは水をかけまくる。”祝い水”なので遠慮なくかけるのが行事として正しい姿らいし。今年は雪こそないが、真冬の東北地方。寒くないわけがない・・。
会場中央に火が焚かれ、浮足立った加勢鳥たちがわらわらと降りてくる。それだけでカワイイ。観客の老いも若きもにこにこしていました。
笛太鼓のお囃子とともに、ついに始まる加勢鳥たちのダンス。このリズムと歌詞を楽しんでいただきたいので、ぜひ音ありで再生してほしい。
38羽の加勢鳥は2チーム(AとB:チーム名の雑さに笑ってしまった)に分かれ、跳ね踊る。
演舞の周りにはいつの間にか水の入ったバケツが置かれており、観客たちはひしゃくで水をかけて、かけて、かける。
演舞が終わると、いよいよ城下町へ。
高校生ぐらいの運営スタッフさんたちがお土産を手売りしていて、ほっこり。かわいい手作り加勢鳥を買った。
ぞろぞろと人間は鳥の後追い。水をかけたり一緒に歌ったり踊ったり写真や動画を撮ったりそれぞれに楽しみながら、城下を練り歩く。
じゃんじゃん水を掛けられる。
行列が立てに長くなり、途中からAチーム、Bチームのルートも分岐するのでいつの間にか同行者とも散り散りに。みんなそれぞれ加勢鳥にどっぷりはまっている様子だったので、まぁいいか。
月岡ホテル前で記念写真をともに撮っていただき、午後の予定があるので惜しみながら鳥たちとはお別れ。加勢鳥たちは移動しながら15時まで跳ね踊り続けるそう。
当日は、市内各所でいろんなイベントも同時開催されていて、加勢鳥だけでなく町歩きもとっても楽しそうでした。
伝統か継続か
加勢鳥は江戸初期に始まった、約400年の歴史ある行事ですが、明治時代に一度途絶えています(王政復古の大号令のもと旧藩的な文化が廃止された)。その後、昭和34年に有志により復活、昭和61年に保存会が結成され、現在は全国にファンのいる民俗行事として継続しています。
模擬天守閣が完成して4年後に保存会が設立したようです。新しい城を中心に町おこしの一環として加勢鳥を盛り上げる流れが生まれていたのかもしれません。
たった半日、たまたまめぐり合わせた行事でしたが今もなお忘れがたい経験となりました。その理由は「加勢鳥」自体の魅力もさることながら、民俗行事と聞くと想像するような因習臭さがなく(それはそれで好きなんですが)、地元民/ヨソモノ、老人/若者、などの壁もほとんど感じない、オープンな空気感が心地よいイベントだったから。
偉そうな老人も(目立つ場所には)おらず、幅広い世代が冗談を交わしながら作り上げていました。地元出身の若者も、この日をめがけて帰ってくるらしい。そうだろうなぁ。開会式の市長挨拶でも「加勢鳥はまちづくりの在り方そのもの(意訳)」とおっしゃっていたのが心に残っています。
帰ってからもごそごそと加勢鳥について調べていると、コロナ禍で開催が途切れたり、ケンダイ職人さんが亡くなられて承継が危ぶまれたところ、地元大学生たちの支援が技術を繋いだそう。
この一文を読んだときに思い出しのは、燕三条・工場の祭典のWEBサイトのメッセージ。そこにはグスタフ・マーラーの言葉が引用されている。
加勢鳥保存会を設立され、継続してきた方々もおそらく同じことを思い、外部に開かれた行事へとデザインしていたったのではないでしょうか。葛藤もあっただろうと思います。どうしてそんな決断ができたんだろう。
この辺りを改めて体感すべく、来年は、加勢鳥を目的に上山町を再訪したいと思います。今からもう楽しみ。カッカッカのカーッ!!
タイトルの「伝統と継続」・・・
加勢鳥の話しを民俗学好きな友人たちにLINEで送りつけていたとき、Yさんに言われた「(各地のお祭り・行事は)伝統と継続の、ギリギリのせめぎ合いで、守っているのですよね…」という言葉からお借りしました。
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