エモいの向こう側へ、行く。ーみかん栽培がつくる文化的景観ー
みかんは崖に実り、ワサビは木陰を作る。山の茶畑には霧が立ち込める。農業は、その地域の風土や歴史にあわせて特徴的な景色を作っているらしい。
そんなことに気づいたのはここ一年ほどの話し。みかん栽培の歴史を追っかけたことで、最近たまに景色の中から必然性をみつけられるようになってきた。「エモい」「きれい」「スゴイ」よりも少し具体的な感想が思い浮かぶと、けっこう嬉しい。
賤機山のみかん
先日、よくいく沼地(麻機遊水地)を上から眺めてみたくて、沼地に隣接する小高い山に登った。標高200mに満たない、賤機山だ。
登ってみると、現役のみかん畑だらけではないか。作業中の方もちらほら。息切れしつつ挨拶をする。なかなかの傾斜だ。
この辺りは明治末期からけっこう温州ミカンをつくっているエリア。いつも沼地で虫や鳥ばっかり探していたので、失念してた。
崖下にレールの伸びるモノラックたちをみつけるたび「こんな場所で人と機械が一緒になって頑張るのか」と興奮して撮影会を開催しいながら道を進む。すでに麻機遊水池をを眺める目的は達成しているため、ゴールのあてはとくにはない。飽きるまで歩くのみ(楽しくってなかなか離れられない)。
ずっと景色がいい。夕暮れが近づいてきた。
ふと振り返ると、富士山も見えていた。絶景だ・・
そうこうするうちに出会った、わたしの推しモノラック。
撮影しているとあっという間に時間が経っていた。
さすがに日没が近いので下山しよう、と思ったけど、また足が止まる。
こんな景色に出会えるとおもっておらず、一人でうぉぉとつぶやきながら写真を撮りまくる。賤機山はけっこう現役のみかん畑が残っている。なぜ現役を何度も強調するのかというと、崖での農作業は過酷なので、離農も多くて竹林になっていたりする。
戦前から斜面地の農園では、みかんとタケノコを育てることが多く、孟宗竹が植わっていることが多い。ところが斜面の離農が進み耕作放棄されると、果樹の樹勢は衰えど、孟宗竹は繁殖力が強いため逆にどんどん広がってしまう。竹林は根が浅く土砂崩れに繋がったり、周囲の植生に影響したり、イノシシが好んで住む環境を提供することになったり…
(20年近く問題視されてるので、詳しくは「竹害」「放任竹林」などで検索を)ゆえに、崖みかんには敬意をもって眺めてしまう。美味しいみかん作りを続けてくれてありがとう。
・・と、ついつい知った知識を開陳したくなるのが悪い癖だ、うっかりすると説教臭くなる。でも、同じ景色をみていてもそこにこういう蘊蓄語りマンがいると面白いと思う方は私だけじゃないと思うのだけど、どうでしょうか。
野良の有識者
たとえば旅先で出会ったおじさんがやたらと物知りで、ガイドブックにない知識を教えてくれることって、ある。博物館や大学でもない場所で想定外のラッキーな出会い。そんなときは敬意を込めて「野良の有識者だ..」とひとりごちる。そしてずいぶん前から彼らにひそかに憧れている。私も誰かにとってそうなりたい。
そんなときにとてもいい教本にであった。「静岡県の文化的景観総合調査報告書」だ。無料で全文公開されている。公共事業に感謝。
地域の気候・地質・歴史を背景に人の営みが作ってきた景色のことを「文化的景観」というらしい。報告書中では、掛川の茶畑と伊豆のわさび田を事例として解説している。世界の解像度が上がってしまう!
崖みかんの写真を興奮して撮りながら目指していたのはこれだった。景色に知識を紐づけて世界の解像度を上げたかったのだ。憧れの知識体系は「文化的景観」という単語ですっぽりと腹落ち。まだ到底及ばないけれど、旅先や身近な場所でみた景色の何に心動かされたかを紐解きつつ、ゆっくりと野良の有識者たちの背中を追いかけたいと思う。