ベトナム歴史秘話:国際電話の国番号は、なぜ「84」となったのか?〈前編〉
ベトナムへの国際電話をかける時、頭に付ける国番号は「84」。
しかし東南アジアの国々では、マレーシア60、インドネシア62、フィリピン63、シンガポール65、タイ66と6で始まることが多く、一方で8で始まる2桁の国番号は、東アジアの日本81、韓国82、中国86にベトナム84を入れて4ヵ国しかありません。
地理的に東南アジアに位置するベトナムの国番号は、なぜ8で始まる「84」なのか?そもそも国番号とは、どのようにして決まったのか?
半世紀上前の国際機関の資料、当時の国際情勢、ベトナムが置かれた歴史的経緯などから、ベトナムの国際電話-国番号「84」が設定された理由について考えてみました。
1. 国際電話の国番号とは?
まず国番号は、現在どのようにして決まっているのでしょうか。
この番号は、国際電気通信連合(International Telecommunication Union、ITU)の電気通信標準化部門(ITU-T)においてE.164として定義されており、「 List of ITU-T Recommendation E.164 assigned country codes」から確認することができます。
上記図にあるように世界の地域ごとにゾーン分けされており、ゾーンごとに国番号の数字が決まっています。
◆ゾーン1(国番号が1で始まる):北米(アメリカ、カナダ、カリブ海等)
◆ゾーン2(国番号が2で始まる):アフリカ
◆ゾーン3(国番号が3で始まる):ヨーロッパ
◆ゾーン4(国番号が4で始まる):ヨーロッパ
◆ゾーン5(国番号が5で始まる):中南米(メキシコ以南)
◆ゾーン6(国番号が6で始まる):東南アジア、オセアニア
◆ゾーン7(国番号が7で始まる):ロシア
◆ゾーン8(国番号が8で始まる):東アジア及び衛星利用の国際移動通信
◆ゾーン9(国番号が9で始まる):西アジア、中東、南アジア
なお0は、国や地域への割り当てがありません
ITUは、国連(国際連合)の専門機関の一つとして、2021年10月時点で193の構成国が加盟し、540の部門・準部門構成員、及び161の学術会員で構成されている世界的な国際機関になります。(総務省のWEBより)
このITU設立までの歴史は、人類における通信の歴史と被ります。
1834年モールスによって電信機が発明され、1839年ロンドンで世界初の商用電信サービスが開始、当時広がっていた鉄道沿線での有線電信が広がっていきます。1849年にプロイセン王国とオーストリア帝国との間で結ばれた電信条約に基づいて初めての国際電信が開始しますが、ヨーロッパの国々が続々と有線電信を接続すると、通信方法など国際的な取り決めを行う必要が出てきました。
1865年にオーストリア、プロイセン(ドイツ)、オランダ、ベルギー、サルディーニャ(イタリア)、スペイン、スイスなどヨーロッパの20ヵ国の参加で万国電信連合が設立されます。
その後1901年マルコーニによって大西洋を横断した無線通信が成功、当時欧米列強と言われた国々の本国と植民地間、船舶無線用として世界中へ急速に広がっていきます。
特に1912年のタイタニック号の事故後は、船舶の無線遭難信号の共通波長や、救難信号を他の電信よりも優先することなどが定められます。
1932年のマドリード会議で国際電気通信連合(ITU)という新しい名称になり、国際電信条約と国際無線電信条約が統合され国際電気通信条約になります。
そして第二次世界大戦後の1947年、新しく設立された国際連合との協定により、ITU が国連における電気通信の専門機関として認められ現在に至ります。
では、ITUにおいて国番号は、どういう経緯で決まったものなのでしょうか?ITUが公開している今から60年以上前の資料を見てみましょう。
2. ヨーロッパと地中海沿岸で国番号が設定(1960年)
国際電話の国番号が初めて定義されたのは1960年12月8日~16日にインドのニューデリーで開催されたITU内の通信分野の標準策定を担当する、国際電信電話諮問委員会(フランス語のComité Consultatif International Télégraphique et Téléphoniqueの頭文字を取ってCCITT、現在ではITU-Tと名を変える)の第二回総会おいてです。
この時に決まった内容や話し合った内容は、その時の総会議事録の表紙の色から「RED BOOK」として現在もITUのサイト上で公開されています。
1960年時点では、ヨーロッパと地中海沿岸国だけに番号が割り振られており、様々な用途に使うためのスペシャルコード用にも番号帯が配分されています。
この国番号は(後述する当時の国際電話事情から)電話会社が国際電話を繋ぐために利用し一般の人々が使うことはなかったとも考えられますが、これ以降、国番号というものが国際電話の世界に登場していきます。
2-1. 幻となった国番号の合理的かつ公平な配分提案
興味深いのは、この1960年の時点でオーストラリア代表より、将来の世界すべての国への番号割り当てにあたり以下の提案がされていることです。
今回1960年に定義された国番号(ヨーロッパおよび地中海沿岸国)を可能な限り維持しつつ、40年後の2000年時点で必要になると予想される各国の電話番号数(電話番号の桁数、長さ。つまり電話を利用する人口に関係する要素)から、国番号の桁数を1~3桁で定めることを提案しています。
まず世界の地域ごとの番号の割り当てですが、
北米の「1」に続く「2」には、ソ連(U.S.S.R)を配置し、同じく人口の多いインドに「9」、中国に「0」といずれも1桁の番号を提示していることがわかります。
こうすることで西暦2000年時点ですべての国で電話番号が国番号を入れて11桁で収まるという合理的な考え方に基づく番号配分です。
また日本の国番号「81」が登場するのが一般的には、次のCCITT総会である1964年になりますが、実は1960年の時点で日本に「81」が予定されていたこともわかりますね。
なお上記案でチリには「561」が提案されていますが、1964年にチリは「56」となりました。
3. 世界各国に国番号が設定(1964年)
1964年6月15日~26日、スイスのジュネーブで開催されたCCITTの第3回総会。ここで当時ITUに加盟していた各国への国番号が設定されます。
それは総会議事録の「BLUE BOOK」から確認できます。6番の東南アジア・オセアニアと、8番の東アジアを見てみましょう。
シンガポールの独立は1965年であるため、1964年時点では「65」がまだ未設定となっています。
この1964年時点からベトナム、カンボジア、ラオスの旧フランス領インドシナであった3ヶ国は、国番号が8で始まるゾーンに属していたことがわかります。
またベトナムの後ろに(Republic of)と書いてあることがわかる通り、この国は、南ベトナム(1955~1975に存在したベトナム共和国)になります。
北ベトナム(ベトナム民主共和国)はITUに加盟しなかったため国番号がなく、南北統一後に南側が持っていた番号「84」を引き継いで現在に至ります。よって以降に出てくるベトナムとは特に断りのない限り、南ベトナムを指します。
またこの時の国番号の桁数ですが、次のように決まりました。
アメリカとカナダなど北米は統合した電話システムを持っていたので1桁の1番、ソ連も衛星国を含めて人口が多いため1桁の7番。他国の場合、現在と将来の見込みで電話の利用人口が多い国には2桁の番号が、少ない国には3桁の番号を割り当てられました。
また歴史的経緯から電話が普及していたヨーロッパには、3と4といった2つのゾーンが与えられ、結果的に2桁を設定された国が多くなりました。
なお1980年以降に国番号が割り当てられた国は、規模に関係なく一律3桁となっています。例えば北朝鮮はITUに加盟したのが1975年9月24日と遅く、国番号が設定された時期は1980年となり結果、国番号は3桁の「850」となりました。
4. 国番号は国際電話の未来を見据えて作られた
このようにして決まった国際電話の国番号ですが、なぜこういったものが決まったのでしょうか?
それがわかる資料があります。自然科学と社会科学の研究を促進する国連教育科学文化機関(UNESCO)が出している定期刊行物「The UNESCO Courier」です。
この1965年5月号には、1865年の万国電信連合設立から100周年ということで通信100年の歩み、そして国際電話の国番号が決められた1965年当時の状況が紹介されています。
上記によると1954年に9,000万台だった電話は、1965年現在で1.7億台へ増え、2000年までに6億台に増えると予想されています。
それに伴い国際電話の利用も爆発的に増えると予想されており、電話交換手が手動で接続する(1965年当時の)やり方では対応できなくなるため、今後は各電話機から国番号を付けてダイヤルをすることで自動または半自動で国際電話をかけれるようにする、そういった電話の未来を見据えて作られた仕組みであることがわかります。
さてこうやって決まった国番号でなぜベトナムは、「The UNESCO Courier」に書かれている名称で言うならSouth Pacific=南太平洋のグループ6ではなく、North Pacific=北太平洋のグループ8なのでしょうか。
考えられる理由は、計4つあります。
5. 理由1 タイに連番(ゾロ目)を取られたのが嫌だった
国番号を見ているとあることに気が付きます。それは1桁は米ソの超大国、2桁の連番(ゾロ目)は、基本的に各地域における大国が取っているということです。
上記に無い2のゾーンのアフリカと、8のゾーンの東アジアに該当する国がないのは、揉めるのを防ぐためと考えられます。
当時のアフリカは、続々と独立し国が増えているものの、電話インフラが整っていない国も多い状況でした。そのため2桁の番号を持つ国は、「20」アラブ連合(エジプトとシリアの連合国家)、「21」マグリブ(旧フランス植民地のアルジェリア、モロッコ、チュニジア、リビアの電話統合番号)、「27」南アフリカのわずか3ヶ国です。そして22はありませんでしたが22で始まる220~229は1964年の時点で10ヵ国に全て配分済みです。
また東アジアの場合、日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、一方の中国は大躍進政策の失敗後で文化大革命前といった、ほぼ国を閉ざしている時期であったことから、明確に地域の大国として2桁の連番「88」が取れる状況の国が無かったと考えられます。
なお9のゾーンで「99」が無いのは、「999」がイギリスなど多くの国で火災、警察、救急車など緊急用の電話番号となっているため、国番号の「99」と「999」は、将来的な国際(緊急)サービス用に取っておいたからと考えられます。
5.1 連番(ゾロ目)は、ステータスシンボルだったのか?
2桁の連番(ゾロ目)の国番号を持つことが各地域における大国の証、ステータスシンボルであったと考えられる理由は、1960年ヨーロッパと地中海の国々に国番号が初めて設定された時の配分からもわかります。
この時、2桁の連番(ゾロ目)を取った国は
・22 ベルギー
・33 フランス
・44 イギリス
・55 オランダ
・66 スイス
の5ヵ国でした。
そしてこれらの国々に共通するのは、基本的に「1865年の万国電信連合(ITUの前身)初期加盟国」「電話が普及し台数の多い国」「第二次世界大戦中に枢軸国ではない&冷戦下で東側ではない」といった共通の特徴があります。
なお電話の普及状況ですが、1960年のCCITTで西ドイツが出した以下のデータ(左側)と国番号の設定(右側)を比べてみると面白いです。
上記電話台数の数字の意味は7.36x10の6乗、つまり736万台と考えられます。(国によっては「,」を小数点の意味で使う国があるためです)
敗戦国ドイツとイタリアに加えて電話台数の多いスペインは参戦こそしてないものの枢軸国であり、スウェーデンが該当しなかったのは第二次大戦中の中立政策に枢軸よりではないかといった議論※があったため・・・これが戦後のITU内での立ち位置や発言力に影響したからではないでしょうか。
※イギリスの首相チャーチルなどもスウェーデンについて「ignored the greater moral issues of the war and played both sides for profit(戦争のより大きな道徳的問題を無視し、利益のために両陣営を翻弄した)」と評価しています。
話を戻しますが、そして1964年に改めて国番号が設定される際、ヨーロッパの連番「33」と「44」は、フランスとイギリスによって引き続き保有されることになります。
うがった見方をすればITU内で発言力の強い2大国のフランスとイギリスの番号がそのまま引き継がれるよう、ヨーロッパのゾーン=番号帯が3と4になり、世界各国の国番号設定にも影響したと考えられるのではないでしょうか。
また余談ですが1960年当時、地中海沿岸でフランスの植民地だったアルジェリアの国番号が「21」だったのは、ダイヤル式電話だった時代にフランスから見て電話がかけやすかった(ダイヤルを右に回してダイヤルが元の位置に戻るまでの移動距離=電話をかけるまでの時間の短さといった利便性)だったとも考えられます。
5.2 国番号は大国に有利な選定だったのか?合理的に選ばれたもう1つの国番号
発言力の強い大国が並びの良い番号、連番(ゾロ目)を取ったと証拠はもう1つあります。実は、発言力の強い大国の影響を受けずに設定されたと考えられるもう1つの国番号があることです。それが国際テレックスの国番号です。
テレックスは、テレタイプ端末と呼ばれるタイプライターを使い文字を入力して電信で送り、受け取り側はテレプリンターと呼ばれる印刷装置で送られた文字を印刷して見る、例えるならワープロに入力したものがFAXで送られるような機械で、インターネットが国際的に普及する2000年代前半まで、商業通信手段として利用されていた方式でした。
このテレックス用の国番号も1964年のCCITTで設定されます。まず地域のゾーンは、以下のように設定されました。
またテレックス端末の台数や将来の台数によってすべての国で国番号は2桁か3桁とされ、例えば日本を含むゾーンだと次のような番号となります。
ベトナムはこの1964年の時点ではテレックスの国番号が無く、上記で利用可能となっていた空き番号の805を後に設定されます。(現在のテレックス国番号は、ITUのサイトにあるRecommendation F.69 を参照)
このテレックスの国番号、アメリカはネットワークが2つあった関係上それに対応させるため23と25と2つありますが、フランス42、イギリス51、ソ連64、ブラジル381、タイ86といずれも連番(ゾロ目)ではあません。
連番と取った国もメキシコ22、オランダ44、デンマーク55、チェコスロバキア66と、機械的に割り振られているように見えます。
この理由として当時テレックスは、一般の人が使うもの、目にする番号ではなく、銀行、商社、政府機関(大使館)など一部の人たちが業務で使うものという認識があったため、各国ともに国番号へのこだわりがなかったと考えられます。
なお番号の設定に関するルールの説明には、
といった記述があり、テレックスでは、地域の大国による連番(ゾロ目)選別が働かないようにした、逆を返せば国際電話番号では、発言力の強い国に有利な選定がまかり通っていたと考えることもできるのではないでしょうか?
5.3 なぜタイに地域の大国の座を取られたことを認めたくなかったのか?
そもそもベトナムは、なぜタイにステータスシンボルとしての連番(ゾロ目)を取られたのが嫌だったのでしょうか?
考えられる理由の1つにベトナムはフランスの植民地であったため、戦争前はタイよりも通信インフラの面で後れを取っていない自負があったと考えられます。
例えば長距離国際無線電話の実現。第二次世界大戦前のフランス領インドシナでは、タイに先駆けてヨーロッパとの大陸間、国際無線電話を実現していました。
・パリ~サイゴン間:1930年開通
・バンコク~ベルリン間:1931年開通
これは1927年に初の長距離国際無線電話を実現したアメリカ~イギリス間からわずか3年遅れであり、日本で初めて実現したのが1934年の日本とフィリピン(マニラ)間であったことからすると日本よりも4年早い状況など、フランスの植民地であったがゆえに通信における先進導入地域であったことが伺えます。
しかし第二次世界大戦後、インドシナ戦争(フランスからの独立)、南北分断、国内でのベトコンとの内戦といった影響を受けます。
例えばITUが出している「TELEGRAPY STATISTICS」という各国の通信インフラや通信量など状況を記載した統計年鑑の1963年版を見ると、通信面におけるタイの存在感はベトナムよりも大きなものになっています。
またITUに加盟した時期も南ベトナム(ベトナム国、バオ・ダイ政権)がフランスから独立した後の1951年9月24日に対し、植民地にならなかったタイはITUの前身組織から加盟していた為1883年4月21日とだいぶ差があり、ITU内での立ち位置、存在感、発言力でも差があったものと考えられます。
もう1つ考えられる理由は、歴史的にベトナムはタイとインドシナ半島の覇権、カンボジアへの影響力を巡って争うライバル国同士であった点です。
ベトナム最後の王朝、グエン朝もタイ(シャム)と1831~1834年、1841~1845年と2度にわたって戦争を行っていますし、国番号が決まる24年前の1940年には、タイがフランス領インドシナに戦争を仕掛けてカンボジアの一部を奪ったことは、当時ベトナムの為政者達の記憶にもあったはずです。
タイが連番(ゾロ目)の「66」を取った国番号6で始まるゾーンに所属することは、タイをこの地域を代表するような大国と認めることになるので嫌だ。それゆえベトナムは、連番の該当国がいない国番号8で始まるゾーンを選んだとも考えられます。
5.4 国家間の好き嫌いで地域を離れて国番号が設定されたケースが他にもある
では、国番号、所属する地域ゾーンとは、そのような国家同士の好き嫌いといった理由で選ぶことができるものなのでしょうか?
実は同じような理由で国番号を選んだと考えられる国が2つあります。それがアルメニアとバングラデシュです。
アルメニアはかつてソ連の構成国であったため国番号は「7」でしたが、ソ連崩壊後に独立します。そして1992年にITUへ加盟し、国番号を選択するにあたり中央アジアの9のゾーンではなく、ヨーロッパの3のゾーンを強く希望し、周辺国がすべて9で始まる番号でありながら一ヵ国だけ「374」となりました。
この理由としては、自国はヨーロッパの一部だとという主張に加えて、ナゴルノカラバフ紛争で争っていたアゼルバイジャン「994」や、歴史問題(アルメニア人虐殺)を認めないトルコ「90」と同じ9で始まるゾーンに所属したくなかったからと考えられます。
バングラデシュは、かつて東パキスタンと呼ばれパキスタンの一部でしたが、西側(現パキスタン)に偏った政策に反発し、パキスタンとの間でバングラデシュ独立戦争が起こり1971年に独立、1973年にITUへ加盟します。
こうした経緯から周辺国の国番号がいずれも9で始まるのに、パキスタン「92」と同じ9で始まるゾーンを拒否し、なんと東アジアの8で始まる「880」の番号を獲得しました。そして興味深いのはCCITTの資料1976年「OrangeBook」での記述です。
バングラデシュはおそらく相当、強引に要求した可能性があり、880の採番がいかに異例なことであったかは、CCITTの資料にわざわざ上記のような注釈が付いていることからも伺えます。
以上のような2ヵ国の事例からすればベトナムがタイの66を認めたくないので東南アジアではなく、自国は東アジアだと主張し8で始まるゾーンを選ぶことができたと考えられるのではないでしょうか?
6. 理由2 ベトナムは東アジアである
ベトナムが東アジアという主張が通った背景には、当時の地理的な認識も影響したのではないかと考えられます。
そもそもベトナムが東南アジアの国というのは、いつ頃に決まった話なのでしょうか?
現在、国連では国連ジオスキームとして政治的理由ではなく統計上の目的で国を地域に分けています。それは国連のサイト内における「Standard country or area codes for statistical use (M49)」、「Geographic Regions」として下記図のように地域が定められており、ベトナムは東南アジアの地域に入っています。
ちなみに前述のアルメニアは西アジア、バングラデシュは南アジアです。
しかしこのM49の区分けが始まったのは1970年以降であり、世界中に国番号が割り振られた1964年時点ではまだありませんでした。
では1964年の時点ではどういう定義だったのか、それを知る手掛かりがCCITTの資料にかかれていました。
ベトナム、カンボジア、ラオスの3ヶ国は、日本や中国、インドなどと一緒にされ中央・東アジアという括りにされています。
そして興味深いのは、「Asiatic archipelago」の表記。日本語に直すなら「アジア諸島」でインドネシア、ボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイ)、フィリピンが含まれると書かれています。同資料内には、
といった記述があり、国番号の設定にあたってベトナム、カンボジア、ラオスのインドシナ3ヶ国は、アジア諸島(現在の東南アジアに属する国々)と明確に区別されているため、当時、少なくともITUにおいては東アジアのゾーンと認識されていた可能性もあります。
また現在の国連ジオスキームにおいてモンゴルは東アジアに分類されていますが、国際電話の国番号は1968年にモンゴルへの国番号が設定された時から、西アジア、中東、南アジア、(現在では中央アジアも含む)のゾーン9である「976」です。
当時カザフスタンはソ連の一部であり、国番号は7番。つまり7や8に囲まれた中でモンゴル1ヵ国だけ9で始まる国番号であったわけです
よって1960年代の国番号設定時は、ベトナムが東アジアのゾーン8を希望しそれを認めたことについては、何もおかしなことではなかったとも考えられるのではないでしょうか。
7. 理由3「84」はラッキーナンバーである
ではベトナムは、なぜ「84」を希望したのでしょうか?「84」という番号に何か意味があるのでしょうか。
実は、ベトナムでも良番と呼ばれる並びの良い携帯電話番号を販売したり、電話番号の数字の良し悪し(民間信仰における数字の意味)を解説するサイトがたくさんあります。
そういったサイトに書かれている内容を日本語に訳してみますと、
と「84」がベトナムにおいて非常に良い数字、ラッキーナンバーであることがわかります。ちなみにタイ66の次の数字である67だとすると・・・
上記サイトには67のポジティブな意味も載っていますが、上記のような悪い意味合いもあるようです。
果たして当時のベトナム人(特に為政者)たちが、こういった民間信仰を信じていたのかは不明ですが、ベトナムを訪れたことがある人は、エレベータの中で不思議な番号を目にした人も多いでしょう。それは13階が無く12A階となっていることです。
13が使われない理由は、風水的な理由や、キリスト教における「最後の晩餐にいた人数」「13日の金曜日」などの話がフランス植民地時代に広がり忌避されたと考えられます。
現在でもこういった数字の良し悪しを気にする国民であることから、国番号の設定時に空いていた「84」をこれはラッキーだと思って選択した、そんな可能性も考えられるのではないでしょうか?
さてここまで3つの理由を述べましたが、実はもう1つ考えられる、4つ目の理由があります。それは、「日本がベトナムの国番号選定に影響した」のではないかということです。それはいったいどういったことか?
長くなりましたので続きは、「後編」をご覧ください。
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