その9 突然の別れ
小さい頃から母親っ子だった私はどうも男の人が苦手だった。女家系というのもあり、なおさら身近に男の人が少なかったからかもしれない。それは父親も同様に私はあまり懐かなかった。口唇口蓋裂で産まれた際病院で付きっきりでいたのが母だったのも影響するのかもしれない。そのため父との思い出がさほどない。
なにから書こうか悩むが、私は父が大嫌いだった。もしかしたら今もかもしれない。
毎日家でお酒を飲んではたまに母と喧嘩になり酔った勢いで手をあげる。そんな父が許せなかった。自身の機嫌さえ自分でとることが出来ず母と姉と私が楽しそうにしてるのが不愉快なのかいきなりキレ出しては暴れまくる。姉とトイレに隠れた際ドアをドンドンと叩かれた恐怖は多少なりとも覚えてる。
それでも私なりに彼に懐こうと努力した。歯の検診に付いてきてくれるときは嫌だったし会話もそんなしなかったけど、終わった後にステーキとマンガを買ってくれた。男らしくしなきゃと思って剣道も始めたし野球も興味無いけどテレビで見始めてこの球団が好きと無理して話を合わせてた。プロダクションにいた際テレビに出たのを録画してたビデオテープを何度も見返してくれてた時は嬉しかったし彼も嬉しそうだった。
そんな中彼は母方の職場で喧嘩別れし仕事を辞めてきた。当時母方の会社は祖父から続いている割りかし裕福な会社だった。母方の兄弟は癖があるが会社を辞めた彼はその日からずっと家で堕落した生活をしていた。仕事もろくに探さず家でグータラする生活。母もたまに発破をかけるが逆上し手をあげる。私は自然と恐怖から怒りや憎しみへとなり、思春期もあって嫌いな存在となっていった。
そしてタクシー会社で働き始めるのだが田舎のタクシーで一家を支えることは難しく、母も仕事を始めた。それでも変わらない生活。私は極力顔を合わせたくなくて避けていた。母も離婚を考えて行動していた時期だった。
その時に私は学校へ行くのが億劫へとなり教室へ入るのも気持ち悪くて学校を休みがちになっていた。ある日担任が家に来た際両親もいて話し合いがなされた。私は怒られると思った。イジられてるとか親には心配かけたくなかったし、情けないと思われると思ったからだ。そんな時父が「どうした?」と頭を撫でて問いかけた時に自然と涙が流れてしがみついていた。そこは唯一救われたところかも知れない。そこから適度に保健室から教室へと戻っていくのだが。弱いとか逃げとも思われるかもしれないが私にはクラスにいないことがその時は楽だった中学2年。
恐らくクラスと家庭の問題で私もどこかやさぐれていたのかもしれない。そしてその日は突然やってくる…。
父の仕事は夜勤もある。そのため会わない日も多かった。私は夜行性でなかなか眠れず遅くまでいつもベッドで起きていた。
ある日父がバイクでいつものように帰ってきた音がした。一度家へ入りまた出ていく。顔を合わせたくないから全て音頼りだ。二階の自室から耳をすませると今度は車に乗り込む音がしたがエンジンがかからない。
他の家の車かな?そんなことを思いつつ眠りにつく。朝の目覚ましで起きてストーブをつける。すぐに目についたのはテーブルにいつもはない父のポシェットとお札と硬貨が1つずつ綺麗に並べられていた。支払いでもあるのだろうと私はいつも遅刻ギリギリなため急いでご飯を食べ時間を見て家を飛び出す。車庫の異変すら気づかずに。
二限が終わった頃だろうか。先生から父が危篤だから急いで帰るようにと告げられる。
えっ?危篤…言葉の意味は知っていた。しかし理解するには時間を要した。仲いい友だちにも確認するように聞いてみた。 すると冷静に友だちも死ぬ間際と答えてくれた。
病院に向かうと酸素マスクをし横たわる父がそこにいた。母に聞くと車で煉炭焚いて寝ていたそう。息苦しくなったのか足には煉炭にぶつけたであろう火傷もあったそうだ。その数日後父は息を引き取った。私や母や祖母を残して。煙が充満したり車が爆発しないためか窓も少し開いていたため自殺という処理はされなかったが大方それだろう。
夜仕事から帰ってお酒を飲みその勢いで実行したのだろう。器具は倉庫に、煉炭はタクシー会社に置いてあったそう。
そこからはあまり覚えてない。感情すらも無だったのかもしれない。嫌いだったから。母は無責任だと悲しみよりも怒りを感じていた。私はというと後に、いや今もかもしれないが自身の足枷になっている。
あの夜の、テーブルの異変に気づいていれば、車庫を見ていれば…嫌な後悔とトラウマが私を蝕む。
恐らく父は鬱病になっていたようだが家族にも見放されてるため相談できず病んでいったのだろうという話だった。
死んだ後で借金も発覚した。そこでも思い悩んでたのだろう。しかしあまりにも身勝手である。家族を残して自死するなんて。父の兄弟はそのことに病み精神的におかしくなってしまい入院した。負の連鎖である。
この時から私は決意したことがある。どんなに辛くても決して自分で死を選ばないこと。された側の気持ちがわかるから。そしてお金への考え。周りに迷惑かけないこと。
煉炭を見ると今でも父を思い出す。嫌な思い出だ。私は父親が嫌いだ。私や家族に負の遺産を残して逝ったから。