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4/1『とろろ豆腐ステーキ』~未知子の未探索日記~

四月一日。
外に出るんじゃなかった。
横断歩道を渡ってしまったあと、引くに引けぬ状況に陥ってから、私はようやく、自らを取り巻く事態に気がついた。

ただでさえ今日は、『四月一日 何が変わる?』特集やら、
『新年度応援キャンペーン』CMやら、桜の舞うピンク色の文字がやたらと目につくのだ。
そういうものが目に入って来るのを避けるために、
祖母の見ているテレビから離れようと、外に出て来たというのに。

駅の構内を通り抜け、ロータリーの向こう側に10分ほど歩くと、
「駅から徒歩5分」と謳った私立大学の姿が見えて来る。
しかし、そびえ立つ海老茶色の壁面は、昨日の散歩で見つけた姿とはまるで違っていた。小さく見える人影が、黒ゴマのごとく大勢群がっているのだ。

私だって、今日は入社式のはずだった。

靴下の穴みたいに、気が付くとぽっかりと開いていた心の虚しさを、
お構いなしに指を突っ込まれ、えぐられた気分だ。

三日前までの寒さが嘘のように、春真っ盛りの麗らかな日差しが照り付ける。寒暖差に耐えられない私の身体は、春の陽気に胸焼けし、潤いを失っていく。
仕方がない。今日は、ゆっくりするとしよう。

外が暗くなるまで、私は自室でのんびりと読書をしていた。けれど、窓から吹く風が急激に冷えた頃、迫りくるような焦りを感じ始めた。
四月一日。入学式のはずだった日。
なにか、始めなければ。

私が今後極めていくべきもののうち、最優先候補は料理だ。
祖母の家に越してきてから一週間。今日は、祖母が町会の集会で遅くなると聞いている。これを機にそろそろ、祖母のアシスタントとして手伝うのではなく、自立しなければ。
けれど、買い物に行って、新しい料理に挑戦するには、
暗いし寒いしなんだか疲れたので、「冷蔵庫の中を見てなんとかする」という上級者テクニックを実践することにした。

冷凍庫には、お歳暮で貰ったのであろう高いハムが、丁寧に小分けにして冷凍してあるが、これを使ってしまうと怒られそうだ。そうすると、今日使えそうなのは、

【冷蔵庫の中身】※使えそうなもの
・木綿豆腐(二丁)
・ネギ(数束)
・白菜(四分の一サイズ)
・にんじん、ピーマン(少量)
・冷凍ご飯
・卵(6個)
・大量の長芋

私にとっては申し分ない食材たちだ。
けれど、きっと一般的な食卓に並べるものとしては、物足りないのだろうということは分かっている。
このまま食材を焼いて並べたのでは、既知の世界。
未知の開拓のために、私はできるかぎりの華やかさを添えるため、スマホの力を借りた。

「木綿豆腐 長芋 おしゃれ料理」

冷蔵庫の中で存在感を示す二つの食材名を入れると、お洒落な料理はいくらでも出て来た。
特に目を引いたのは、真ん中に卵黄が乗った『とろろ豆腐ステーキ』。
「外はカリカリ、中はふわとろ。お洒落な居酒屋メシです」だなんて、今日のコンセプトにぴったりじゃないか。

私は、レシピを忠実に守って、作り始めることにした。
長芋をすりおろしたものに、豆腐一丁をスプーンで潰しながら混ぜ合わせる。この時、豆腐を潰しすぎず、一センチくらいの塊があってもよい。
歯ごたえが良くなるのだそうだ。
卵から、スプーンで卵黄をすくい、別の容器に入れておく。
卵白は、豆腐ととろろの生地に混ぜ合わせる。

フライパンに油を引き、生地を入れる。
ふたをして蒸し焼きにする。
まあまあ器用な方だと自負しているが、これくらいの作業はたやすい。

料理を苦手だと言う人は、レシピをきちんと守らないのだ、とどこかで読んだことがある。素人が身勝手にアレンジをしたところで、うまく行くはずがないのだ。そういう点、私は料理が得意だと言ってよい。

焼き上がった『とろろ豆腐ステーキ』は、美しくまだらに焦げ目がついて、湯気が立ち込め、見るからに美味しそうだった。
真ん中に卵黄を落とし、麺つゆを振りかけ、フライパンからヘラですくって食べると、行ったこともない『居酒屋』の匂いがするようだった。

けれど、最大の落とし穴は別にあった。

このレシピを見たサイトは、豆腐屋が運営しているのだということに気が付いた。豆腐屋は、豆腐をいかにしてたくさん食べさせるかに腐心しているのだった。
豆腐一丁は、一人分では多すぎる。
白菜の味噌汁と冷凍ご飯、『とろろ豆腐ステーキ』という単調なメニューとはいえ、やはり多すぎる。

されど、これは豆腐なのだと考えれば、案外食べ進められるものだった。
私は罪悪感なく、腹八分目を超えて、満足感に浸った。









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