災難続きなのでお詣りに行きました
こんにちは。バヌアツ共和国から今は日本に一時帰国中ですが「今回日本に戻ったら絶対に祈祷をしてもらおう!」と心に固く誓っていました。
災いがシャワーのように降って来る
大小様々な災いがここ半年続いていました。
見て見ぬふりをしてきました。
「不幸がたまたま続いただけだ」と。
しかしここまで来るとエクソシストか何かにお願いするしかない!
背筋が凍った決定的な事件は大やけどでした。
ポットが突然破裂して、大量の熱湯が私の腹部大腿を直撃をしました。
全島民(南太平洋の島で生活をしています)に聞こえるくらいの大絶叫で、すぐに着衣のまま冷水シャワーを浴びました。
そもそも常夏の島なのでキンキンの冷水なんかシャワーから出てきません。
氷を患部に置いて一日ションボリしていました。
「バヌアツの病院で下半身を見せるなんてありえない。どうせ今後化膿して感染症になるだろうし、抗生物質を投与されて手術があるかもしれない。見せる時はその時だ」一人でこまめに手当てをし続けていたら、広範囲だった火傷は現在2ヶ月経過、完治をしてほとんど着色も無く終了しました。今後無事にお嫁にも行けます。
その前後も色んなことがありました。
「何かがおかしい」明らかに天に狙い撃ちされているとしか思えない、信じられない事象(不可思議な事件事故)が続きました。けど天の神様はお忙しいから私のような小さき者にアテンションしているはずがありません。
宗教二世の私が選んだお参り先
私は親も祖父母も信仰している宗教がありお勤めを強いられてきました。お蔭様で幼少期はモラルがあって世界の歴史を良く知っている少女でした。しかし高校生になると「神は死んだ!"Gott ist tot!"」親と喧嘩をして信仰を捨てました。
その後はチャンポンです。受験や各種試験があれば湯島天神に神頼み、お正月は近所の神社へお参り、旅先ではカトリックの大聖堂で図々しくお願い事をして、茶道と華道の師匠とお寺へ何度も行って献茶や献花をしてきましたがその度に「清く正しく美しく過ごしたい、将来出家したい」と真剣に思っていました。
やはり宗教、思想、哲学書を好んで読む習性が根強くあり世界各地の聖地巡りが私の好きな旅のテーマです。
今では信仰を持つ家庭で育ったことをプラスに感じています。
成田山を選んだ理由
成田山新勝寺はJR成田駅等で下車、都心からは1時間以上かかりますが全国の初詣、参拝者数の多さは明治神宮に次ぎます。
私は成人するまで一度も訪れたことが無かったのですが建立から1000年以上経つ威風堂々とした古刹の重厚感、年がら年中参拝客が行き交う参道のレトロな雰囲気「また行きたいな」と常々思っていたのでこの度の目的地にしました。
御本尊不動明王は、真言宗の開祖弘法大師空海が自ら一刀三礼(ひと彫りごとに三度礼拝する)の祈りをこめて敬刻開眼された御尊像です。千年以上もの間、御護摩の火を絶やすことなく人々の心願成就を祈願している僧侶の祈りと参拝者の祈りが一体となり清らかな霊験を受ける事ができると言います。
私も今回は護摩祈祷をお願いします。
エクソシスムを行う儀式は基本的に仏教には無いと思われますが、強いて言えば"厄除けお祓い"がそれに当てはまりそうです。しかし取り憑いた悪霊退散を祈祷するわけでは無く、精神的にも肉体的にも変化する人生の節目である厄年は特に気を付けて過ごすことが推奨され、事前にご加護を頂こうという習わしです。厄年でない私は享受できません。
成田参詣、その他の理由
1.占い師にみてもらいたい
2.イベントを体験したい
3.鰻を食べたい
3つを下記の通りブレイクダウンします。
1.易断所が並ぶミステリアスな場所
10年前に遡ります。
「昔は護摩祈祷の待ち時間を潰すのに売店でお土産を買ったり食事をしながらついでに占いをしてもらっていたのに、占いが成田山の人気スポットになった」前出の華道家の師匠がそう言いながら、本堂で初詣を済ませると私をそのまま占いに連れていきました。
「あなたは芸術家だから一生お金と縁がないけど良い仕事をしているからね」とお師匠さんは易者さんに言われていました。
10年前の話ですがお師匠さんは「毎年同じ易者さんにみてもっている」と言っていました。
今回は10年前に訪れた易断所とは違う占い師さんにみてもらいました。
☆占いの結果
女性の四柱推命の易者さんで成田山のお不動様をお祀りしている易断所でした。私は今の疲れきっている生活の現状を1分程度ご挨拶かたがた。その後は家族の生年月日、手相などから占ってくれました。
「あなたは過干渉で世話焼き、超お人よしの星の元に生まれているから仕方ないわね」と仰いました。
→(何だか地味でつまらない星の下に生まれたものですね)
「もう家族は放っておきなさい彼らは勝手に生きてくから」
→(過干渉とは真逆の生き方をご教示)
「仕事は個人事業主になってください、お花の先生とか」
→(え?私が10年前に華道で生きていこうかなと思っていた事を知る筈無いのに)
「女性が多数居る職場オフィスワークは駄目です。同性から足を引っ張られて諸悪の根源にでっち上げられるから。あなたは同性とうまくやれません」
→(就職相談はお願いしてないけど、多いんだろうなぁ職業相談)
「男性はもうこりごりでしょ」
→(恋愛相談もお願いしてないけど、多いんだろうなぁ出会い系相談。え?でも女性とも男性とも上手くいかない私って)
と言うことで、料金は四千円。
大変価値ある体験でした。
何故ならば、誰も自分の話など聞いてくれないし「悩みをちょっぴりでも聞いて貰えて嬉しい」足取りが軽くなりました。
☆おみくじを引いたらいかに?
☆芥川龍之介の『凶』
室生犀星、久米正雄、菊池寛といった文壇のキラ星が登場する芥川龍之介の晩年の超小品です(私のnoteより字数が少ない)
「何となしに凶を感ぜずにはゐられなかつた」
「冥々の裡に或警告を与へてゐる」
私は不穏な最中に居ても芥川龍之介のような自分の死を予兆する「凶」を感じることは無いのでまだいけそうです。
2.お釈迦様の誕生日「花まつり」
成田山新勝寺の参門は毎月様々な行事が行われています。4月1日からはお釈迦さまの御誕生をお祝いする行事「花まつり」が行われています。
お釈迦さまは約2600年前の4月8日、ヒマラヤのふもとルンビニーの花園でお生まれになった際に、天と地を指さし『天上天下唯我独尊』(天にも地にもわれひとり)と仰いました。この言葉には後世解釈が様々されていますが、成田山においては「自分が一番偉いということではなく、一人ひとりの生命の大切さを教えた」と解釈しており万物の幸せを願い、花まつりが開催されています。
3.江戸の成田参詣ブームと鰻
FARGOではこう言ってた
大好きなドラマ『ファーゴ/FARGO』のシーズン1で、ガスが隣人から「世界の不条理すら神からの頂きものだ」という解釈を聞くシーンをがあります。「靴下に穴が開いていても、子どもの咳が治まらなくても不満は言えない、全て神からの恵みだから」と隣人は意味深に話します。
私はこの境地には至っていない為に災いを断ち切りたくて成田山に辿り着きました。しかし私は高校生の時には良いことも悪いことも受け入れる自信があり「神は死んだ」と家族に豪語して信仰を捨てました。自分の運命を丸ごと受け入れるニーチェの強いニヒリズムに憧れていました。それが幸せな生き方だと思っていました。
しかし年を重ねていくと「他者も幸せでなければ私も幸せではない」というメンタリティーが強くなり「幸せ」を感じ難くなりました。
結局、私は人に優しい人間じゃないとシックリこないのです。
日本人特有の精神構造でしょうか?
聖地に赴き”世界の平和と幸せを願う”という行為は「私の気持ちを楽にする事にも繋がる」と感じた成田参詣でした。
今後も祈りがある場所には訪れたいと思います。