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歩けなくなった頃の話/「歩きたい」その理由

これは私の病状が一番悪かった頃、2020年ごろの話だったと思います。

当時のことは壮絶すぎて、正直記憶にはあまり残っていません。

2019年の中頃から身体の痛みが出現し、
2020年は絶え間なく続く痛みに耐えかねて、毎日泣いていた頃だと思います。

歩き方が分からなくなった

ある日、体調をなんとかしようと思って散歩に行こうとするものの、途中で足が動かなくなりました。

「歩き方が分からない」——初めての経験でした。

頭では歩きたいんです。それなのに、足の動かし方が分からないんです。
今までどうやって歩いていたんだっけ?どうやったら足って前に出るの????
頑張って足を動かそうとしても動かない、足を動かしたいのに動かない。どうすればいいの????

歩き方が分からないという現状にパニックになり、訳も分からず、ただただ混乱するしかありませんでした。
本当に泣きそうでした。(実際に泣いたと思います)

トイレまで必死に家の中を這った

そのうち、身体を動かすのも難しい状態になり、ほとんど寝たきりになりました。
食事やお手洗いの時は、なんとか這って家の中を移動しました。
(お風呂で溺れかけて命の危険を感じることもありました。)

ベッドの中ではずっと「歩きたい」——これだけを思って泣いていました。
なんのために歩きたかったか。
お手洗いに行きたかったからです。自分の足で、歩いてトイレに行きたかった。

どうしても身体が動かず、ベッドから転がり落ちるように身体を投げ打ち、地べたを這いずりながらトイレに行こうとする私を見て、
当時同居していた家族から、大人用の紙オムツの使用を勧められました。
(防災用の備えとして、少量ですがいくつかの備蓄がありました。)
さすがにそれは嫌だったので、当時は死に物狂いでトイレまで這って辿り着き、
なんとか便座に座って用を足し、そのまま崩れ落ちるようにしてその場に倒れ込んでいました。

昔、猫を飼っていた時に最期を看取ったことがあるのですが、その時のことを思い出したりもしました。
その子もフラフラになりながら、排泄は最後まで猫用のトイレでしたがっていたので。
猫と一緒にするのもどうかと思いましたが、排泄って、やっぱり人間の、生き物として最後まで守り抜きたい尊厳なんだと思います。

今現在は、長時間の外出は難しいものの、家の中ではなんとか歩けており、
「(トイレに行くために)歩きたい」と思うことはなくなりました。
ですが今でも、その強烈な気持ちだけは胸に残り、時おり無性に「歩きたい」——そんな強い思いにかられたりしています。



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Cat.K|病床からの自己表現
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