エレノア・モードーント作「ある天才」 第1回(翻訳)
【訳者より】
波乱の生涯を送った英国生まれの女性小説家、エレノア・モードーント(Elinor Mordaunt, 1872–1942)の短篇 “Genius” の翻訳を、3回に分けてお送りします。原作は1921〜22年に雑誌に掲載され、1922年の英国短篇小説ベスト集 The Best British Short Stories of 1922 にも採録された作品です。
また、作者モードーントの略年表も併せて公開しますので、ご覧ください。
https://note.com/cat_and_fantasia/n/n37ada07c28cf?sub_rt=share_pw
なお本作には、現代の人権意識に照らして差別的・不適切と見なされる表現が含まれていますが、作品の時代的背景を鑑み、そのままとしています。ご了承ください。
前にも手紙に書いたと思うが、ベン・コーエンという男は、いつでも巨匠たちの名曲のことばかり考えて口ずさんでいる奴だ。常に変わりつつありながらいつまでも変わらないカニング街(訳注 ロンドン東部の地名。埠頭に近く造船業などが盛んで、住人の多くは貧しい労働者だった)の材木屋で働いていた。風のように駆けるノコギリと前後に滑る巨大なカンナが森をむさぼり食う、地に足ついてよそよそしい町だ。川霧に包まれているが、ヒマラヤスギやクスノキの削り屑が漂わせる薬っぽい匂いのせいで、そこに異国の情緒が加わっている。その当時のベン・コーエンは、他の少年たちが一冊一ペニーの通俗小説を読み漁るのと同じ熱心さで楽譜を読みふけっていて、彼が想像した音はまるで巨大な波のように、彼の魂を休むことなく襲い続けていた。
最初の頃は、音楽であれば何でもよかった。それに続く短い期間、ワーグナーが彼を虜にした。ワーグナーの楽曲だけのコンサートをはじめ、ワーグナーの曲が一つでも出てくる催し物であれば全部に通い(まるで、大気の中から嗅ぎつけてくるようだった)、そのために何マイルも歩き、何時間も待った。凍てつく寒さも、みぞれも、ぬかるみも、雨も、非常に貧しい彼が娯楽を追いかけ、安い席を押さえようとする執念の前では、全く問題にならなかった。
ひとたび席につくと、椅子の硬さや窮屈さ、舞台の遠さや混雑もなんのその、憧れと興奮が入り混じった激しい感情が彼をとらえ、揺り動かし、引き裂いた。その激しさは、ラザロが棺桶から飛び出したように彼の虚弱な体が二つに裂けて、彼の魂が肉体から飛び出してこないのが不思議なほどだった(訳注 ラザロはイエス・キリストが起こした奇跡によって死から生き返ったとされる)。ベン・コーエンは小柄な男で、自分の着ているくすんだ黄褐色のレインコート(それは、貧困がもたらすあらゆる罪や、着古した服のみすぼらしさを覆い隠してくれる、ある種の慈悲深い制服のようなものだ)より、自分の肉体の方が自分に関わりが深いということに、ほとんど気づいていなかった。そのベンが、よりによって生身のジェニー・ブリーと関わりを持つことになるとは。
だが、ベン・コーエンの肉体は、他人が思うよりもよほど完璧に彼自身のものだった。ジェニーだったら、不愉快な出来事を日曜日や貴重な夏らしい日に振り払うこともできたろうし、実際にそうしていた。だが、ベンと、音楽抜きでの彼自身の肉体––激しく搏つ心臓、脈打つ血潮、あふれ出す温もり(それはまるで、霧が渦巻く中庭で、凍えた手指を温めるために見張り番が燃やす小さな焚き火のように心地よいものだった)––は、結局のところ驚くほどに一体だった。
その肉体に誰よりも驚かされたのはベン自身だった。とりわけ、彼にとっての至聖所から引き離されまいとするとき、彼の体は激しく反応して、この上なく厳かな旋律を奏でながら泣き、踊り、笑うのだった。その旋律は、ジェニー・ブリーのもたらすぞくぞくするような感覚を、彼女が鳴らすあらゆる四分音符と八分音符を、彼女がもたらす笑顔と興奮を、一風変わった家庭的な安らぎを、そして突然見せる気高さを謳っていた。
ジェニーと知り合ったころ、彼はワーグナーとはすっぱり縁を切り、少しばかり見下した態度でベートーヴェンを横目で眺めつつ、バッハの方へ方向転換してその陰鬱な豪華さに包み込まれていたところで、世間とは没交渉だった。しかしものの見方が変わって、突然の抗いがたい力を感じた彼はそこから引き返してきて、ベートーヴェンという広大で厳かな港に錨を投げ入れたのだ。
それはまるで、美しく心惹かれるもので一杯であると同時に、つまらないものやから騒ぎ、そしていらだちにも満ちた世界を一周する、長い旅から帰ってきたかのようだった。言葉では言い表せない帰還だった。彼は永遠を、すなわち、全てのものを取り込んで、現在と未来の人生が持つ起伏を平らにならしてしまう調和を感じた。自分の人生があまりに起伏に富んでいるせいで、それまでの彼は人生の意味についてまともに考えることができたためしがなかったのだが。
そうしてすぐに、この世の全てが完璧な正常さを帯び、その正常さの本質的で無視できない部分を占めているのはジェニーの存在だった。正常さの感覚があまりに強いせいで、世間の人たちも自分と同じくらいの強さでこう感じているのだろうかという疑問が、ベンの頭から離れなくなった。
この感覚を除いては、ベンは彼の階級の人らしい曖昧模糊とした世界に囚われていた。彼はユダヤ系だったから、他の人たちより沢山の、特に視覚に関する語彙を与えられていたが、自分の感情に関する話題になると、その語彙力も働きを止めてしまうのだった。
いわゆる「市井の人たち」は、私たちに比べて自分の感情のことをよく話題にすると思われているが、実際にはそうではない。彼らは肉体の病気や感覚については口にするが、感情のこととなると非常に奥ゆかしくなってしまう。例えばベンの母親は、自分の体の調子のことや、親類や友達が亡くなったときのことなら話してくれるだろうし、ベンが生まれた日のことは非常に細かなことまで教えてくれるだろう。だが彼女は、自分が息子を愛していること、彼の愛を欲していること、いつも彼の帰りを待ちわびていることや、彼が出かけてしまうと寂しいのだということをベンに伝えようとは夢にも思わなかった。
ベンの方でも、自分がベートーヴェンに対してどんな感情を抱いているか言葉にしたことはなかったし、とりわけ母親にその話をするなどありえないことだった。もし話したとしても、母親にはさっぱり分からなかったことだろう。彼は、ジェニーのことも母親にきちんと話したことはなく、ただこの間知り合った娘で、今度家でのお茶に誘うつもりだとしか言わなかった。だが、言葉にしなくても母親は何が起きているかを理解した。つまりベンはジェニーに求婚するつもりだということ、それはちょうど、食事の支度をするようなもので、人間の本質的な営みの一部だということを。
改めて考えてみると奇妙なことに(滑稽ですらあったかもしれない。もっとも、ベンは滑稽さなどとは全く無縁なのだが)、ベンにとって、自分の音楽家としての人生をベートーヴェンに捧げ、他の英国人がこれまでなしえなかった形でその作品を解釈して演奏しようという決意は、ジェニー・ブリーと結婚しようという、神聖で向こう見ずで、しかし絶対にゆるがない決意と一体のものであったようだ。
ジェニーはジャム工場で働いており、体から何か熟した果物の香りを漂わせていた。熟れたイチゴやラズベリー、プラム、スモモ類の香りがするのだ。彼女は、大変ふっくらしていてみずみずしい感じのする娘だ。真っ赤な唇にきらめく瞳をしており、その赤みがかった茶色は秋のブラックベリーの葉のようで、髪の毛の色とよく調和している。小柄で整った姿をしていて、小さな手は指先の形がよく、器用ですばやい。一挙手一投足が洗練されていて、きっぱりしている。
彼女には船乗りをしている崇拝者がいて、彼が言うには「あの娘はちょいと梁が短いが、帆の張り方は立派なもんだ」という。確かに彼女はそんな印象を与える。とても均整が取れていて、非常に小ぎれいで、黄色いレインコートを脱いで出かけられる稀な朝には、白くて大きなエプロンを付けて出かけるのだ。
ベンが初めて彼女を見かけたとき、彼女はそんな装いでリー川(訳注 カニング街のそばでテムズ川に合流する支流)にかかる橋を渡っていくところだった。その橋はちょうどベンが勤める材木屋の真下にあり、材木を持ち上げるためのクレーンはまるで、一瞬だけ川霧の切れた川面をジグザグに横切っていく黒い音符のようだった。明るい青空に丸っこくて大きな銀色の雲が浮かぶ、爽やかで清らかな日だった。空を渡る風が娘のエプロンを捉えてふわりと巻き上げたのは単なる悪戯心だったのだろう。形のよい足首と、肉付きのよいふくらはぎの動きがあらわになった。ベン・コーエンはそれまでそんなものを想像したことすらなく、目の前に現れたそれはまるでワインのように感じられた。初めて知る味わい、赤く、果実のようなそれは血管を駆けめぐって彼の頭まで上ってきた。ベンだってもちろん、女性に脚があるということは知っていた。彼の母親は洗濯女をしていて、脚のことで苦しんでいるのだ。母親は大変な働き者だが、愚痴っぽい人である。その脚は立ちっぱなしのせいでむくみ、本人いわく「いまいましい筋が浮かんで」おり、パンパンに膨れてストッキングも下までずり落ちてしまっている。
女性の脚のことをテーブルの脚のこと以上に深く考えてみようなどという気をベンが起こしたことはこれまでなかった。だが見てほしい、予想もしなかったことが起きたのだから! つまり、当人もこんなことをしたり、考えたり、感じたりするだろうとは思いもよらなかったことが起きたのだ。私たちが日頃自覚して抑え込もうと努めている誘惑なんて、ものの数にも入らない。だが、口笛のような音を立てながら、ある種の風がどこからともなく吹いてくると(ちょうど、ジェニーのスカートとエプロンを巻き上げたあの風みたいに)、私たちの人生はまるで万華鏡のように突然ひっくり返って、これまで一度も目にしたことのない模様を描き出すのだ。
一体誰が予想できただろうか、あの夢想家で理想主義者で、情熱的で無垢で、芸術に我が身を捧げているベン・コーエンという男が、ジェニー・ブリーの脚に恋するだなんて? 脚というよりもむしろ、足首と、風でスカートがまくれたときに見えたその上のわずかな部分という方が正確だろうか。とにかく、少しも顔を見たことがないのに彼が恋に落ちるなんて誰が予想しただろう?
彼女は橋の真上で立ち止まって、他の娘とおしゃべりしていた。相手は、材木屋の帳場でベンと同僚の娘である。ベンは、この二人が別れて歩き出す前に追い抜こうと足を早めた。ジェニーの顔が見え、同僚の娘はベンに気がつくと気さくに「おはよう!」と声をかけた。ベンも同じ調子であいさつを返した。
通りすぎるとき、ジェニーの声が聞こえた。というより、ベンは聞き取ろうとしていた。その声の音階から何かを聞き取ろうとしていることを彼は自覚していた。「ほんと、言葉にできないくらいでさ。あんな曲はどこにも––」
最後の方は聞こえなかった。だがベンは一連の出来事を心にしまいこみ、刻みつけた上で、頭からその考えを追い払って自分の時間を過ごした。でも彼は感謝の気持ちでいっぱいだった。もういちど〈足首さん〉に出くわしたとき、ベンの同僚のフローリー・ハインズが彼にあいさつしたのをきっかけに、ジェニーもベンに微笑みかけ、一歩ぶん向き直って肩越しに「おはよう」と言ってくれた。そのときもまだ、彼の心はいや増す感謝に満ちていた。
ベンのほっそりしてオリーブ色がかった顔に赤みが差した。彼は彼女の方に近づき、不自然に背を丸めたままひょっこりと頭を下げ、輝く褐色の目で上目遣いにジェニーを見た。ベンはジェニーの持っていた弁当のバスケットを代わりに持ってあげ、そのとき彼女はベンの手が大きくて形のよいことや、指が長くて先端が幅広になっていることに気が付いた。フローリーは彼のことを「ユダ公」呼ばわりしていたが、彼のユダヤ人らしいところといえば、肌の色合いと輝く褐色の瞳くらいだった。見た目以外の点については、ほとんど子供のそれとしか思えない内気さと、音楽以外の事柄に関する自信の欠落に阻まれながらも彼の内面から放たれる輝かしい情熱が、彼のユダヤ人らしいところと言えただろう。こうした特質をもう少し研ぎ澄まして、冷酷なまでの執念深さと生命力を加えれば、むしろそれは純血のアングロサクソン人に見られる性質になっただろう。
ジェニーは、彼女の言うところの「すてきな曲」が好きだったが、音楽の知識は全くなく、理解できることはほとんどなかった。それでも、ほとんど初対面のときから彼女はベン・コーエンという男を理解し、彼を自分の恋人兼息子として受け容れた。もしかすると、後々に比べて最初の頃の方が、彼女はベンのことをずっとよく分かっていたかもしれない。その後ジェニーはしばらくの間自信を失い、動揺し途方に暮れる羽目に陥ったからだ。あまりにも大きな愛情と熱望、もしかしたら自分は何も分かっていない除け者なのかもしれないという恐怖が、全ての物事の輪郭をぼやけさせてしまったのだ。
だが、それはもう少し後の話だ。しばらくの間ジェニーは、一匹のひよこを連れた小柄で愛らしいめんどりのようで、ベンも彼女の翼に守られて安らいでいた。しかし彼の中である考えが頭をもたげ始めた。ジェニーのことも母親のことも自分は愛しているのだから(ジェニーが赤ん坊を、他でもない自分の子を抱いているところを想像して、母親になるとはとはどういうことかベンは理解したのだ)、愛する二人のために自分の価値を証明し、彼女たちが自分と自分の音楽を誇りに感じられるようにする「責任」があると彼は考えたのだ。二人とも既にベンのことを大変誇らしく思っていて、そのお陰でベンの世話をする苦労が余すところなく報われているとは、彼はこれっぽっちも思わなかった。
何よりまずかったのは、ベンが二人に自分の考えを一切伝えていなかったことだ。秀でた男性というものはえてして、自分がそちらに向かおうとしている対象から離れていくように見えるという、まるでカニのような習性を与えられている。見かけの上では単に、ベンが二人のことを少々おろそかにしているように映った。徐々にその傾向は強まり、しまいには、愛する音楽の道に邁進すべく、ベンが二人を脇に追いやっている格好になってしまった。
ベンがジェニーや母親に駄々をこね、わがままを言い、甘えた態度を取ることはもうなかった。どちらの女性もベンのことを「あたしの息子」だと思っていたが、愛が彼を大人の男に成長させた今、彼女たちが感じるのは痛みだけだった。
世にある天才たちの例に漏れず、ベンの行動も度を越していた。自分の壮大な構想にどっぷりと浸って、周りにぶっきらぼうな態度で接した。時には、その構想のことで独り笑いすることもあった。「ぼくが何に取り組んでいるか、人々は知りもしないんだ!」と、彼は独りで勝ち誇るのであった。
以前の彼は、自分の音楽と財産を結びつけて考えることなど決してなかった。しかし、二人の女性に捧げる愛と野心が大きく育ってきた今、彼は新しいおもちゃを与えられた子供そっくりになった。僕は有名になるだけじゃなく、とんでもない大金持ちになるんだ––そう考えただけで彼はあまりのまぶしさに目もくらむ思いがした。彼は新たな誇りと––嘆かわしいことに––いっそう浮世離れした心持ちを抱いて前進していった。
十七歳の頃に彼は身体を悪くして(今でもその屈められた肩には、彼が胸に抱えている古い病苦が見てとれる)、一年間サナトリウムで過ごした。ベンはすっかり良くなって帰ってきた。彼をサナトリウムに行かせてくれたのは、材木屋の共同経営者のセールという若い男だった。彼はベンが戻ってくると、楽譜を読むだけでなく演奏も学べるようにとレッスン代を負担してくれた。
それからというもの、ベンは材木屋の帳場に四六時中張り付いて働いた。そしてその給金で部屋代とピアノを買う大金をまかなった。彼は毎週何時間もその部屋でピアノの練習をし、とても幸せで満ち足りた気持ちで過ごした。
以前のベンは、仕事を辞めることなど一度も考えたことがなかった。だが、ジェニーへの溢れかえるような愛情と、彼女への愛を通じて気づいた母への愛、そして何か大きなことを成し遂げる義務に目覚めた今は違う。どれほどの犠牲を払うことになっても、それが何だというのか。貧乏で、空腹で、みすぼらしいことの何がいけないのだろう? ほんのひとときの苦痛などどうでもいいじゃないか? 彼が欲しいものはほとんど何もなかった。食事を摂るのでさえうっとうしいくらいだった。彼の目は遠い地平線の上に向けられ、未来の輝かしさにあまりに目がくらんでいたために、自分の足元にいまだに横たわっている「今」という小道のことを忘れてしまっていた。
もし、母親が目の前に食事を置いてくれなかったら、ベンは食事のことなどろくに考えもしなかっただろう。だが結局ベンはそれを食べるのだから、誰かしらが金を稼がなくてはならなかった。
母親は、実際の困窮ぶりを息子に悟らせないように努め、真実は自分一人の胸の中に留めておいた。日々の暮らしを送るだけでかかる費用について、彼は子供ほどの知識しか持っていなかった。それにここ数年間、息子と母の収入で十分快適に暮らせてこられたのだ。
「ほんの少しの辛抱だよ」材木屋の仕事を辞める話をしたとき、ベンはこう言った。母親はほとんど勝ち誇ったような気持ちを抱きながら、「あんたが雀の涙ほど稼げるようになるまでの間、あたしひとりの稼ぎで充分にやりくりしてきたんだから」と答えた。
最初のうち、母親はふたたび家計の全てを一人で背負うようになったことに誇りを感じた。息子が今までよりいっそう、自分のものになったのだ。息子は自分なしではやっていけない。例えジェニーがいたとしてもそうなのだ。だが、彼女はベンを産んだ時点ですでに若くはなかったし、今では年寄りで、しかも疲れ果てていた。それは、積み上がり蓄積するあの疲れ、一晩眠っただけでは癒すことができない疲れだった。その疲労は、もっと狭苦しい場所に行くのを待って(という言葉では言い尽くせないほどに待ちわびて)いた––つまり、永遠の眠りを。
「……コンサートが終わってからも辛抱できそう?」
「もし頑張れなかったら、すまんねぇ」
コンサート! それが目標だった。クラプトン(訳注 ロンドン東部の地名。カニング街から北西6キロほどの場所にある)にホールがあって、ベンはそこで素晴らしい音楽を聴いたことがあった。たった一晩だけの偶然の出会いだったが、ベンにはクラプトンの人たちが優れた人々であるように思われた。この場所で音楽の世界に革命を起こすんだ。それに––ベンはここまで考えを進めると、自分のことを全くもって抜け目のない人間だと感じた。僕だって伊達にユダヤ人じゃないんだ––クラプトンには古めかしく立派な屋敷がいくつもあるし、こんな場所に住んでいる人たちは裕福に違いないぞ。
コンサートの日取りが決まると、彼は一日の大半の時間を練習に費やすようになり、家にいる時間は楽譜を読んで過ごした。彼は音楽の迷宮に住んでいた。コンサートの広告を出そうとか、客寄せをしようだとかは考えもしなかった。それどころか彼は旧友も、材木屋で世話になったパトロンも招待しようとしなかった。それは、コンサートのことを口にする場面を想像しただけで恥ずかしさに圧倒されてしまったからだ。ただ単に彼は、自分でもよく分からない手段によって、ロンドンの人々が遠くからコンサートの存在を嗅ぎつけてくれるだろうという気がしていたのだ。サクラを雇ったり、宣伝用に無料チケットを配ったり、パトロンを呼んだり、下準備のための人員を雇うだとか、あちこちにゴマをすって回り、英国紳士や淑女たちの前に出るために舞台化粧をせねばならないといったことは、全くベンの頭になかった。ベートーヴェンは素晴らしい、そして自分はベートーヴェンの魅力を見出した。それだけでベンには十分だった。
「大天使ガブリエルが終末のラッパを吹いたら、わざわざ死人たちに起きるよう言う必要はない。それと同じで、本当にこのコンサートに来るべき人たちは、わざわざ招待するまでもないんだ。だって彼らは僕、ベン・コーエンの演奏を聴きに来るんじゃなく、聴くに値するあの音楽家、ベートーヴェンの音楽を聴きに来るんだから」と、ベンは考えていたのだ。
(第2回に続く)
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