『ウィトゲンシュタインの愛人』 デイヴィッド・マークソン
謎めいた題名の本書は、一人の女性がタイプライターで書き綴る手記、という体裁の小説だ。
何が起きたのかは明かされないが、世界から人間と動物が消滅し、この女性は、唯一の生き残りのようである。
最初は他の生き残りを探し、やがて諦め、何年もただ一人世界中を移動しながら生きてきた彼女が、その孤独な移動生活や、事が起こるより前の生活について、と同時に、ランダムに頭の中に浮かんでくる様々な文化的知識を正誤ないまぜに思い浮かぶままに書き綴る。
記憶も知識も錯綜するのを、錯綜するままに書くその語り口は飄々としてユーモラスだ。
独特な文体は、いわゆる「意識の流れ」のようでもある。
彼女は、以前の自分は「心から離れた」(アウトオブマインド)時期にあった、と語り、それを正気を失っていた時期とも表現しているが、「意識」(マインド)を意識していなかった時期、というようにも考えられると思った。
なぜならこの手記をタイプしている今、彼女の意識は「意識」のみに向かっている、いわばインサイドマインドの状態であると思われるからだ。
たった一人孤独に見る夕日を表現する、詩的で絵画的な文章が、しおりのようにはさまる。
以前画家だった彼女は、美術はもちろん音楽にも造詣が深く、ギリシャ神話や哲学史にも明るい。
ホメロス、アリストテレス、ブラームス、ウィトゲンシュタイン(題名にも登場する)、、、
過去の哲学者や芸術家についての伝記的トリビアが、彼女の頭に浮かぶままに書き連ねられる。
過去の偉大な人々の業績や発言、つまり人類が存在した証を、人類のおそらく最後の一人であろう彼女が、思い巡らし、タイプしていく。
そしてまた、彼女の思いの向くままのタイピングそれ自体が、人間というものが、心で感じ、頭で考え、記憶を遊ばせる存在だということの証でもある。
しかし、全ての生物が地上から消えた世界で、自分以外の誰にも読まれることはないと分かっている手記を、彼女は一体何に向かって書いているのか。・・・
終盤近くになると、手記の内容はより個人的に、感情的になる。
そして、はっきりとは言及されないものの、頻出する「痛み」、「不安」、「疲れ」というキーワードから、彼女自身の終わりが近いかもしれないことも窺える。
最後の数ページは、鎮魂歌のようだと感じた。
人類への、そしてその最後の一人である彼女自身への。