『家族』 村井理子
かわいい顔の若い母親が、赤ん坊を抱いてミルクを飲ませている。隣には真面目そうな父親と、その膝の上に座る聞かん坊そうな幼児。
アパートで暮らす平凡な家族のワンシーン。
表紙の写真に写るこの家族が、この本を読んだ私の心に焼きついて離れない。
著者村井理子が、自らの家族、著者以外は全員すでに他界している家族の物語を赤裸々に綴ったこのエッセイには、生傷をさらすような凄まじさと、絶対に消えない愛がある。
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「兄は子どものまま大人になり、そして死んでいった。」
著者の兄は、幼い頃から多動で周りの雰囲気が読めない子供だった。
発達の個性についての知識が広がった現代であれば、両親の心持ちも、周りの支援も違っていただろう。
しかし当時は、やんちゃな長男は両親には理解できない、やっかいな子供だった。
父は厳しく威圧的なところがあったらしい。
根は優しかったようだが、家族には冷淡だったという。
そんな父は、常に兄に対して苛立ち、声を荒げていた。
食事中に怒られ板の間に正座させられる兄と、じっと下を向く母、せっせとご飯を食べるふりをしてやりすごす幼い著者。
レストランで一人だけメニューを決めない長男に父がイラつき、ひりひりする家族の空気。一目散にメニューを選んで親の怒りから逃げようとする著者。
過去の光景は幼い著者の記憶に焼き付き、今でも心を締め付けるのであろう。
中学生になった兄は学校に行かず夜に遊び歩くようになり、どうにか進学した高校もすぐに退学してしまう。
父と息子の関係はますます悪化し、顔を合わせば怒鳴り合いという状態だったという。
その後も二人は心を通わせることのできないまま、父はガンを発病し、あっという間に亡くなってしまう。49歳という若さだった。
著者の語る父のエピソードは悲しい。
著者の記憶に残る二人の様子があまりに長く険悪だったため、穏やかな時期の記憶はないのだというが、著者の記憶にわずかに残る平和なシーンとして、二人で車図鑑を見ていた光景があるという。
また、大人になり家を出ていた兄が何か問題を起こした時に、著者には詳細は聞かされなかったが、父がその不始末を解決していたらしい。
父は愛情がなかったのではなく、厳しいがごく普通の父親だったのだろう。
実際父は元来、優しい心の持ち主であったらしい。家族には厳しいが、困っている人には惜しみなく手を差し伸べるところもあったという。
優しい反面、繊細でストレスをためやすい。
繊細で弱い心は、兄と同じだったのではないだろうか。
そしてまた、兄も心の底では強く父を慕っていたという。
「殴り合い、取っ組み合いの大げんかをしても、兄は父に対する憧れを捨てきることができていなかった。」とある。
パパはかっこいい、親父はハンサムだと、父の全てを真似したがったという。
そんな二人が、とうとう最後まで歩み寄れないままだった。なんと悲しいことだろうか。
父が亡くなり一年後、久しぶりに会った著者と兄の会話だ。
本当に言いたいことは、なぜ取り返しのつかないくらい遅くなってからしか言えないのだろう。
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「結局私は、母にまつわるほとんど全てを諦めた。」
父と兄との関係とそれに振り回される家族にあった物語の焦点は、父の死後、母に移る。
「母のことは、未だによく理解することができない。私が知る母が、本当の彼女の姿だったかどうかもわからない。」と著者は書く。
ジャズ喫茶を経営する母は、派手な雰囲気で、よく笑う華やかな人だったという。読書が好きで家には大きな本棚があり、小説がたくさんあったらしい。
しかしそんな華やかな母には、掴みどころのないところがあり、表情をぼんやりとさせたり物事をあいまいにやり過ごす癖があった。
著者と母との間には、埋まらない溝があった。
幼少期から、著者にとって母は、「側にいない」人だったという。
下校後、誰もいない暗い家で、母のいる喫茶店に何度も電話をかける幼い少女の姿は物悲しい。
夜になって帰宅した母は飲酒のため朝とは別人のようになっているが、それがお酒のせいとは分からない娘は、朝の母と夜の母が違っていることが理解できず、そんな心の負担から、母をめちゃくちゃに叩く夢を見るようになる。
母が分からない、母に手が届かない、悲痛な子供の心理である。
そんな母が子供に愛情を示すのは、与えることでだった。著者も子供の頃から欲しいものは不自由なく買ってもらえたという。仕事についても続かない兄には、死ぬまで送金をしていたようだ。
しかしそんな母は、父の死後すぐに、信用のできない男と付き合うようになり、生活も、子供への態度もますますだらしなくなる。
怪しげな中年女性を家に住まわせたりと、不可解な行動も多く、問いただしてものらりくらりと逃げて答えない。
この辺りの記述は、正直、読んでいるだけでもイライラしてしまった。
しかし著者がそんな母に抱く感情は「嫌悪」ではなく「落胆」である。
親に対する子供の心の糸の、決して切れない強さをここに感じた。
その通りである。
不器用な父、優しい母。
手のかかる息子と優等生の娘。
どこにでもある家族だ。
歯車が狂ってしまわなければ、そこには涙と苦悩のかわりに笑いと喜びがたくさんあったはず。
絞り出される著者の言葉が胸に刺さる。
この家族の物語は読者の記憶を呼び覚ます。この物語を透かして読者が見るのは、自分の家族の物語だ。
ここに書いた所感は、私の家族の物語を背負った私の所感である。
あなたのものはどのようになるのだろうか。